まもなく築50年になろうかという「太陽の塔」の建造物再生物語

日本人であれば、ほとんど誰もが知っている「太陽の塔」。

大阪万国博覧会開催時の1970年からずっと後に生まれた者も「太陽の塔」の存在自体は時代を超えて見聞きしているはずだ。しかしこの塔が外から眺めるだけのものではなく、内部を見て回れたことを知る者は、博覧会を経験した世代を下るとぐっと少なくなるだろう。博覧会開催から数年経って生まれた筆者も例外ではない。太陽の塔を単なる“巨大な彫刻”として認識していた。

当時、内部は「人類の進歩と調和」を表現するテーマ館の展示空間の一部として存在していた。閉幕後、半世紀にわたって内部は原則非公開とされてきたが、耐震補強工事を皮切りに再生プロジェクトが進行。今年2018年、内部空間も常設の展示施設に生まれ変わった。

それは、まもなく築50年になろうかという建造物の再生物語であり、そして昭和の奇才・岡本太郎のメッセージが鮮やかに蘇っている。

天候に恵まれたこの日、天を仰ぐように立つ「太陽の塔」天候に恵まれたこの日、天を仰ぐように立つ「太陽の塔」

博覧会閉幕後、原則非公開とされた内部公開にむけて

1970年の国際博覧会を知らない若い世代の方も読者には多いだろう。そこでまずは、日本人にとっての博覧会の意味合いと、センセーショナルだった当時の「太陽の塔」の原型を振り返ってみよう。

日本万国博覧会は、日本はもちろんのことアジアで初となった国際博覧会だ。高度経済成長期を経て、経済大国となった日本が国家を挙げて開催した一大イベント。活況の日本を世界に誇示すると同時に、一方で急成長の裏に顕在化した公害問題なども暗に課題として捉えていることも博覧会のテーマが「人類の進歩と調和」だったことからも見て取れる。

そんな中で、博覧会のテーマ館の一部として建設されたのが「太陽の塔」だ。高さ約70m、基底部の直径約20m、天を仰ぐ腕の長さも約25m。子どものような感想で申し訳ないのだが、塔の前に立って思うのは、とにかく想像を遥かに上回る巨大さだということ。写真などでその形状は十分に知っていたが、その場に立ってみるとただただその大きさに驚く。高さ70mといえば、ゆうに20階以上のビルと同等の高さだ。奈良の大仏が約18mなので、その差は歴然。太陽の顔を持つ擬人化できそうな物体がこの巨大さで存在していると圧倒されてしまう。この風貌は日本美の伝統から外れているのはもちろんのこと、西洋の美的基準にも合致しておらず、世界を見渡してみても類似のモニュメントを探すことはできないという。

岡本太郎が一体何を表現しようとしたのかは、本人が明確に語っていないため現在も分からない。ただ、特長的な3つの顔についてはその意味合いが語られている。正面の中心にある「太陽の顔」は“現在”を表し、頭頂部の「黄金の顔」は“未来”を、そして背面の「黒い太陽」は“過去”を表している。これは岡本太郎が「人間の体、精神のうちには、いつでも人類の過去、現在、未来が一体になって輪廻している」と考えていたからだ。

この「過去、現在、未来」を巡るアプローチは、パビリオンとしての太陽の塔内部にも踏襲されていた。現在は埋められている地下空間には「地底の太陽」のモニュメントとともに、仮面や神像がむき出しで空中に浮かぶ呪術的な空間があった。そこには地下から上へ上へと伸びる高さ約41mにも及ぶこれまた巨大な「生命の樹」が存在し、そこに単細胞生物から、三葉虫や魚類、両生類から爬虫類、そして哺乳類からクロマニヨン人のオブジェが連なりあい“生命の物語”が語られていた。

訪れた人々は、地下空間の展示から入り、生命の樹の空中展示を4基のエスカレーターで乗り継ぎ、腕の部分から当時太陽の塔の周りにめぐらされていた大屋根へと抜けていく構造だった。ちなみにこの大屋根は世界の丹下健三の作品だ。なんとも天才同士の共演(競演!?)。

今回の内部再生では、地下空間は掘り起こさないものの、生命の樹とその多くのオブジェを再現している。

博覧会開催当時、太陽の塔の周りには地上30m上空に大屋根が架けられ、そこから突き抜ける形で太陽の塔が立っていた博覧会開催当時、太陽の塔の周りには地上30m上空に大屋根が架けられ、そこから突き抜ける形で太陽の塔が立っていた

芸術作品を傷つけない耐震補強のため、3Dスキャナーを活用して足場を設置

単に、オブジェを再生するのとは違い、築45年の巨大建造物に耐震補強を施しながら再生することは、チャレンジの連続だったと説明するのは大阪府日本万国博覧会記念公園事務所 営業推進課 広報チームの梅田彩香さんだ。

「パビリオンは、終了後には撤去されることがほとんどです。長期間の耐久性などは念頭に置かれていません。この太陽の塔も博覧会終了後に撤去される予定だったところを保存の声が寄せられたこともあり、特異な例として残ったものです。博覧会のレガシーを後世に継承し、人が立ち入れる施設とするために、耐震補強の必要性が生じました」。

耐震補強としては、壁面を20㎝コンクリートの増し打ちを行うことに。しかし、これは言うほど簡単ではなかったという。
「足場を組むことすら難題でした。内部は非公開とされていましたが、生命の樹や30体のオブジェがそのままに残されていました。もちろん、オブジェの多くは朽ち果てていたため、今回ほとんどは新たに作りなおしています。ただ、生命の樹自体は当時のものを使用することになりました。内部に約41mもの樹や生物模型などがあり、傷つけないように足場を組むことすら難しい。結果、3Dスキャナーで太陽の塔の立体的な図面を作成し、足場を組んだのです」。

また、当時の記録が完全に残っていないことや当時の建設に携わった人々が現役から退いていたことも再生に知恵を絞らなければならなかった要因だ。一つひとつ当時の状況を検証しつつ、類推しながら「太陽の塔」の原型、そして岡本太郎の思いを汲んでいく日々だったという。

「地下のオブジェであった『地底の太陽』は、閉幕後に行方不明になっていました。今回、再生時にプロローグとなる空間を増築し、開催当時の地下の様子を再現しています。行方不明になった地底の太陽は、設計図もありません。当時の写真を頼りにまずは手のひらサイズの原型をつくり、1/10の模型を作成、最終的に当時の大きさまで再現しました」(梅田さん)

そうして甦った地底の太陽は、開催時に展示された縄文時代を彷彿とさせる土偶や世界各地から集められた仮面などを再展示し、当時の記録映像を活かしながら再生されている。

博覧会閉幕後、行方不明になってしまった「地底の太陽」も再現(写真上)。当時の地下展示で使用された仮面などもプロローグ空間に展示されている(写真下:左)。お話を伺った梅田彩香さん(写真下:右)博覧会閉幕後、行方不明になってしまった「地底の太陽」も再現(写真上)。当時の地下展示で使用された仮面などもプロローグ空間に展示されている(写真下:左)。お話を伺った梅田彩香さん(写真下:右)

再生された“生命の樹”

塔の中心部に進んでいくと、鮮やかな生命の樹が堂々と幹を天に伸ばしている。そして、その周りには、単細胞生物から人類まで当時と同じ生命の進化の過程が再現されている。そこには、岡本太郎が残したこだわりをそのまま変えずに表現しようとした努力、そして岡本太郎が生きていれば取り入れたのではないかと思われる現在の技術も与されているという。

「生命の樹には、単細胞生物から人類の姿までの生命の進化の過程が表現されていますが、岡本太郎が最もこだわったのは、単細胞生物だと言われています。一番最下層にはアメーバが展示され、とても大きく存在感を放っているのに対し、最上部に展示された人類の姿は実に小さくなっています。当時はできなかった装飾としてLEDを採用し、アメーバ等を中から光り輝かせることで命のみずみずしさを表現しています。それは、岡本太郎が残した『人類は、進歩なんてしていない。どの命も輝いている』との見解から単細胞生物を重要視したのを今回の再生でも大切にしました」(梅田さん)

生命の樹を取り囲む、生命のめぐりを順を追って体現していく空間は、明確な表現理由を残してないものも多い。階段を取り囲む壁面には「知のひだ」と岡本太郎が呼んだ原色の赤いひだが脈打つように並んでいる。音響を均一に拡散させる役割をもつが、文献としては残ってないだけに太郎の真意を捉えることはできない。ただ、綿密に再現された空間に身を置くだけで言葉にはならない“感覚”での知覚を体現できる。

右腕の部分はかつて、エスカレーターで外部のデッキへいざなわれていたが、安全性の問題からエスカレーターは撤去されている。そこからは鉄骨躯体があらわになっているのだが、まるで幾何学模様にようにも感じる。原色の光源の演出と相まって、宇宙空間にいざなわれるような幻想的な空間を構築している。

再生は、ただ以前の空間を再現するのではない。かつての熱量を伝えるとともに、現在の新たなエッセンスを加え創造を再現しているようだ。

「生命の樹」を巡る空間は、まさに異次元。最下層のアメーバーは大きく光輝く(写真上段:左)。鉄骨躯体があらわになった左腕の部分(写真下段:左)。階段に沿うように連なる壁面「知のひだ」も幻想的(写真下段:右)「生命の樹」を巡る空間は、まさに異次元。最下層のアメーバーは大きく光輝く(写真上段:左)。鉄骨躯体があらわになった左腕の部分(写真下段:左)。階段に沿うように連なる壁面「知のひだ」も幻想的(写真下段:右)

建造物であり芸術作品でもある「太陽の塔」を後世へ

塔内への入り口から中心部に続く廊下は、岡本太郎の残したスケッチの展示スペースになっている(写真下)。1967年6月1日の記された、太陽の塔の原案スケッチ(写真上)塔内への入り口から中心部に続く廊下は、岡本太郎の残したスケッチの展示スペースになっている(写真下)。1967年6月1日の記された、太陽の塔の原案スケッチ(写真上)

現在、太陽の塔の入り口には、岡本太郎の手書きのスケッチが残されている。現在の「太陽の塔」に行きつくまでの変遷が分かる手書きのスケッチだ。

1枚目はまだ、「太陽の塔」の原型にはなっていない。生命の樹のインスピレーションなのか大きな樹の周りに階段が施されたような絵が残されている。そこに添えられた一文が印象的だ。「ひろがることによって、逆に根にかえって行く」――。博覧会開催当時、単細胞生物に重きを置いた意味合いが、見てとれるようだ。

「太陽の塔」内部の48年振りの再生は、携わった人々の細部へのこだわりが実を結んでいるのだと思う。

奇しくも内部公開を始めてからまもなくの2018年6月18日、大阪北部を震源とするマグニチュード6.1の大地震が襲った。公園内の設備に被害が出てため一時公開が中止されていたが、太陽の塔自体に問題はなく、現在は内部公開も再開された。

代わるもののない「太陽の塔」。建造物であり芸術作品でもあるこの塔が、これからも長く残されていくことを願うばかりだ。

2018年 08月17日 11時05分