住宅街の中に佇む円形の建物

名古屋市の西部にある名古屋市演劇練習館。住宅街の中にあり、周囲は稲葉地公園として整備され、住民が散歩をしたり、子どもたちが遊具で遊んだり、憩いの場として親しまれている。そんな中でひときわ目を引く白い円形の建物が演劇練習館だ。名古屋市から公益財団法人 名古屋市文化振興事業団が管理運営を委託され、演劇を中心とした舞台芸術の練習の場に特化した施設となっている。

ここはもともと配水塔として建てられた。それから図書館そして現在の演劇練習館へと2度生まれ変わった特異な経緯を持つ。リノベーションの好例として、建築関係者の見学も多いという建物を訪れた。

公園の中に位置する白亜の建物として、美しい風景を作り出している名古屋市演劇練習館。配水塔当時はコンクリートの素肌のままだったといわれる公園の中に位置する白亜の建物として、美しい風景を作り出している名古屋市演劇練習館。配水塔当時はコンクリートの素肌のままだったといわれる

1937年に稲葉地配水塔として竣工。設計変更により古代ギリシャの神殿のような外観に

4階のホールに残されている配水塔当時に使用されていた配水管。最上階にあった水槽に貯められた水がこの管を通して送られた4階のホールに残されている配水塔当時に使用されていた配水管。最上階にあった水槽に貯められた水がこの管を通して送られた

演劇練習館の元となった稲葉地配水塔は、1937(昭和12)年に完成した。名古屋駅の改良計画による区画整理事業に伴い、名古屋駅以西への水の需要が高まったためだ。

最初の設計時、塔頂部の水槽は590立方メートルで予定されていたが、水需要の急速な伸びが予測されたことで3,930立方メートルへと変更。直径33mとはるかに巨大になった水槽を支える補強柱として、外周に直径1.5m、高さ20mの円筒柱16本が配置された。この外周の柱が古代ギリシャの神殿を思わせる特徴的な外観を生むことになった。個性ある造りのため、デザインが先かと思っていたが、設計変更の対処によるものと知り、とても興味深く思った。

配水管は水の使用量が少ない夜間に配水管内の水圧が上昇することを利用して水を貯留し、昼間に自然流下で配水するという仕組みで、市民に水を届けた。太平洋戦争中の1945(昭和20)年の大空襲では、名古屋駅や名古屋城が炎上し、当時の名古屋市の約4分の1が焼失したと言われる。そんな中で稲葉地配水塔は奇跡的に被災を免れているが、実はその前年、1944(昭和19)年に使用休止となっていた。名古屋市に隣接する愛知県・大治町に大治浄水場ができたことで、その役割を終えたのである。

図書館、そして演劇練習館へ。リノベーションで再々活用

わずか7年で廃止となってしまった稲葉地配水塔は約20年の長きに渡りそのまま残されていたが、1965(昭和40)年に図書館(中村図書館)として活用されることになった。改修にあたっては、文化遺産という価値が考えられ、特徴的な外観をできるだけ保つこととされた。なお、開館の際に周辺を稲葉地公園として整備した。1982(昭和57)年には日本建築学会により、明治から昭和戦前の建築学的に重要である約2000棟の1つに選出。さらに、1989(平成元)年には、名古屋市の都市景観重要建築物に指定された。だが、手狭になったことを理由に図書館が移転となり、1991(平成3)年3月で再び役割を終える。

その後、再々活用は意外なところから決定する。図書館閉館と同年の11月に名古屋を拠点に活躍する俳優・天野鎮雄氏が当時の名古屋市長であった故 西尾武喜氏と対談した際、演劇の稽古場不足を訴えたことがきっかけで、市長が英断。演劇練習館として改修されることになった。

再び外観の造りはほぼそのままに、工事費12億2700万円をかけて改修を実施。配水塔の水槽があったところは図書館時代には使われていなかったが、本格的な照明や音響機器を備えたリハーサル室になった。2~4階に大小の練習室が計8室、日本舞踊などの稽古もできる和室が1室、そのほか小道具や衣装などの製作ができる研修室を備えた。

<写真左上>大練習室のひとつ。(写真提供:名古屋市演劇練習館)</BR><写真左下>1階にある資料コーナー(壁にかかった衣装などは取材時に行われていた企画展のもの)</BR><写真右>正面入口の右手に野外劇場スペースが設けられている<写真左上>大練習室のひとつ。(写真提供:名古屋市演劇練習館)
<写真左下>1階にある資料コーナー(壁にかかった衣装などは取材時に行われていた企画展のもの)
<写真右>正面入口の右手に野外劇場スペースが設けられている

利用率85%超えを誇る施設に。建物の歴史のPRも心がける

中村区役所が発行する「まち歩きカード」。表面(右)は現在の様子、裏面(左)は昭和28年ごろ(配水塔の役割を終えて使用されていない時期)の写真が掲載されている中村区役所が発行する「まち歩きカード」。表面(右)は現在の様子、裏面(左)は昭和28年ごろ(配水塔の役割を終えて使用されていない時期)の写真が掲載されている

演劇練習館は1995(平成7)年にオープン。公募で選ばれた愛称「アクテノン」は、演劇の“アクト”と、外観からイメージされるギリシャの“パルテノン神殿”を合成したもの。かつて配水塔であったことから水を意味する“アクア”も連想させる。1996(平成8)年には、名古屋市都市景観賞を受賞した。

再リノベーションした施設としてもかなり成功している。「利用状況は、開館当初は50~60%ほどでしたが平成28年度は85.4%となり、だんだん市民に浸透してきているようです」と館長の大柳彰さん。その理由として、「利用率は年月をかけてじょじょに伸ばしてきたのですが、心がけていることは、利用者の立場に立つということです。小道具の貸し出しサービスや資料コーナーの充実などをしています。また、通常は夜9時30分に閉館しますが、延長で最大24時まで利用が可能です。指定管理者として名古屋市文化振興事業団の運営となりますが、私共だけができるサービスだと思っております。」公共施設ならではの利用料金の安さもあるが、利用者を考えた細やかな配慮が魅力のひとつともなっている。

基本的にはこの演劇練習館は利用者のみの入館となるが、1年に1回、一般公開日を設けて内部公開をし、地域の人々へのPRをしている。また、秋に利用者の祭典である「アクテノン フェスティバル」を開催し、野外劇場で行う演劇などの公演も利用者、そして地域の人々に楽しみにされているという。

「基本的なコンセプトというのはしっかりしていて、あくまでも演劇などの練習の施設で、それに対するサポートをしていくことからはずれてはいけないと思っています。ただ、建物の歴史を紹介するとか、資料を保存するということは、別の視点で大切なものだと思っています」と大柳さん。

建物の紹介の一環として、この演劇練習館がある名古屋市中村区の区役所の企画である「まち歩きカード」に取り上げられている。区内の歴史を紹介する企画で、カードは演劇練習館でもらうことができる。「このまち歩きの企画や、施設開放事業やFacebookやホームページで宣伝するなど、地道な努力が必要なものですから、そういったものは絶えず発信していくのは大事かなと思っております」。

歴史ある建物が2度生まれ変わった。特徴的な外観は偶然が生んだもので、途中長く使われない時期があったものの、建物としての価値が大切に守られてきた。配水塔から文化施設へと様変わりしたが、地域のランドマークとして存在感を放つ。

取材協力:名古屋市演劇練習館 https://www.bunka758.or.jp/scd20_top.html

2018年 04月08日 11時00分