「生きる」ことそのものを感じさせる家

茨城県石岡市に「落日荘」と名付けられた伝統構法の家がある。都市計画家として横浜市の都市計画に携わり、また日本最大の国際協力NGO「日本国際ボランティアセンター」の代表を務め世界の飢餓、環境問題などに取り組んできた岩崎駿介氏の邸宅だ。

コンクリートの基礎に、日本の伝統的な「木組み」の技術を用いて建てられた家なのだが、驚くのは、この邸宅が岩崎氏ご夫婦二人のセルフビルドで完成していることだ。8年の歳月をかけ、基礎から大工仕事までほぼ二人の手で仕上げられている。東京芸術大学の建築科で学んだ岩崎氏だが、設計を専門として活動されたことはない。もちろん大工仕事などは独学の域である。

それだけでも感嘆に値するのだがさらに考えさせられるのは、「落日荘」には思想といってよい確固たる思いがあることだ。しかもその視点は日本はおろか世界、いや地球全体をも捉えている。

「家」というものは、単なる住まいではなく「生きる」ことそのものを物語る。「落日荘」はそんなことを教えてくれる家だ。

今回は前後編で「落日荘」という空間を拝見しながら、岩崎氏の持論に触れつつ、家づくりのノウハウなどのレベルを超えて、“人と住まい”について考えてみたいと思う。

岩崎駿介氏が8年の歳月をかけてご夫婦二人で建てられた邸宅「落日荘」岩崎駿介氏が8年の歳月をかけてご夫婦二人で建てられた邸宅「落日荘」

素人仕事を超えた圧倒的な存在感

玄関に入ると目に飛び込んでくる二階への階段。外光とステンドグラスが調和し、まるで絵画の一枚のような光景だ玄関に入ると目に飛び込んでくる二階への階段。外光とステンドグラスが調和し、まるで絵画の一枚のような光景だ

茨城県石岡市、街から車で15分ほど走った山間の場所に「落日荘」はある。入口の坂道を登りきるとそこには1200坪の敷地に、立派な木組みの家が建っていた。セルフビルドと聞いていたので小規模なログハウス系の建物を想像していたが、落日荘はその予想をはるかに超えた大邸宅だった。正面玄関の手の込んだ格子の木戸、張り出た軒の複雑な木組みを見るだけで、とても素人の手によるものには思えず、その存在感に圧倒された。

正面玄関に通されると既に完成から5年の月日が経っているが、優しい木の香りが漂ってきた。玄関の正面には二階に続く木製の階段が開口部の光、そしてステンドグラスとともにまるで一つの絵画のような美しさで目に飛び込んでくる。壁面は一部コンクリートが使われているが、表面を丁寧に削っている。こうした加工を「斫り(はつり)」というそうだが、そのためにコンクリート特有の冷たさは感じない。木とよく調和している。

玄関から続く廊下を進むと右手にキッチン、左手に夫妻の仕事部屋があり、奥には視界が開ける居間が広がる。玄関から居間までは、何回か数段の段差を下りていくことになる。岩崎氏によればこうした段差を設けているのも意図的なもの。「駐車場で車を降りて門をくぐり、玄関を入って居間につくまでの時間距離を、15cmの段差を繰り返してあるリズムを作り、テラスに広がる解放感へと導く演出をしている」という。

参考にしたのは、カンボジアの建物

見上げると柱や梁が幾何学模様を織りなしている室内。間接照明が使われているので、木の力強さと光の柔らかさの両方を感じられる。見上げると柱や梁が幾何学模様を織りなしている室内。間接照明が使われているので、木の力強さと光の柔らかさの両方を感じられる。

中に入って天井を見上げれば、柱と梁が美しく何層にも幾何学模様を作りだしている。欄間や壁面の格子とあいまってところどころにアジアの家具が並び、木組みといえども「和」の印象だけではないアジア的な空間が広がる。

岩崎氏は都市計画に携わりながら、関心が世界の飢餓・紛争・環境問題に移る中で、長年アジアでのボランティア活動を精力的にこなしてきた。この家を着想したのは今から13年前の64歳の時、カンボジアに滞在していた時のことだという。「今度日本に帰ったらそろそろ落ち着く場所が欲しい」。急に家づくりを思い立ち、カンボジアの建物を見て回ったそうだ。壁を感じさせない開放感のある熱帯の建物を参考にしたからこそ、「落日荘」も遮蔽する感覚のない広がりのあるフォルムを形成しているのだ。

体感的に世界を感じる

建物の西に向かう線は足尾山の頂上の下に収れんする。ここに立ちながら世界を見渡すような想像ができるし、地球のどこにいるかを数字や地図などではなく、体感できるという建物の西に向かう線は足尾山の頂上の下に収れんする。ここに立ちながら世界を見渡すような想像ができるし、地球のどこにいるかを数字や地図などではなく、体感できるという

そして「落日荘」を訪れる人を刺激するのが、何よりも開放感のある居間、そしてその先に広がる舞台のようなテラスからの眺望だ。遮るものの何もない広い木製のテラスの正面には、足尾山が位置する。ただし、ここは単に広大な山々を望むためだけに作られたわけではない。岩崎氏には、ある意図があった。

岩崎氏がこの土地を手に入れた後、気が付いたのは、足尾山とほぼ同じ緯度「北緯36度16分49秒」にこの土地が位置していることだった。そこで、岩崎氏は落日荘の建物をすべてこの緯度と平行に配置することにした。

なぜこんなことをしたかというと、「この落日荘から世界を、そして地球を感じたかったから」と岩崎氏はいう。

落日荘ではベランダから西を望めば太陽の沈む位置というのが季節によって刻々と変わっていくのをその目で実感できる。春分・秋分のころには足尾山の山頂に太陽は沈むが、冬至となれば足尾山の左の筑波山側に大きくズレていく。夏至の頃は逆に右手に位置する加波山にむかって沈む。

「インカの建物などは太陽の位置を非常に意識しています。例えば王座の股の間から太陽が覗くように作られているなど、計器を用いることなく時や季節感じることができます。この落日荘も太陽の沈む位置で季節を体感できるようになっています」

さらに、この場所に立つことで世界が感じられると岩崎氏は続ける。

「落日荘の建物は足尾山と同じ緯度に並行に建てているので、建物の西に向かう線は、足尾山の頂上の直下に収れんします。この軸線を辿り、足尾山の軸線を遠く追えば、世界各国の位置を感じることができます。例えばインドはこの軸線の少し左に位置している。地球は丸いのでこの軸線は円を描きながら、結局アメリカなども経由して自分の背中に戻ってきます。地球上の1点にいながら、感覚で世界を感じることができるのです」

「地球を感じる家」、岩崎氏は落日荘をそう呼んでいる。

必要なのは都市の解体、そして小さな物質的循環

岩崎ご夫妻。もちろん撮影場所は足尾山を望むベランダだ。この日は残念ながら晴天に恵まれなかったが、晴れた日には足尾山が一望できる。日によっては眼下に雲海を望むこともできるそうだ岩崎ご夫妻。もちろん撮影場所は足尾山を望むベランダだ。この日は残念ながら晴天に恵まれなかったが、晴れた日には足尾山が一望できる。日によっては眼下に雲海を望むこともできるそうだ

自分がどこにいるのか、常に感じていたい。家づくりにおいて世界や地球を感じることに岩崎氏がこだわったのには、理由がある。

岩崎氏は東京世田谷生まれ、海外に滞在することも多く、若い頃は東京に戻るとほっとしたという。しかし、いつしか人工的な都市というものに限界を感じるようになった。「都市は人類を滅ぼす。なぜかといったら都市は私たちに必要なものを見えないように、見えないようにと隠してしまっているから」だという。

「まだ子供が小さかったころ、女房がいない時に子供に夕飯を食べさせようと勤め先の大学からの帰り道に、パン粉のついた揚げるだけになっているアジフライを買いました。家ですぐさま調理をし、子供たちと喜んで食べて、器用に料理を作ったと自負していたのです。しかし、数日後、日本の食材はどこからきているかをレポートしたテレビ番組がありました。その素材が「アジ」で、タイで若者が海に出てアジをとり、女性が安い賃金でそれをアジフライに加工していることを知りました。そこで気が付いたんです。自分が忙しい合間に素早く料理をできたのも、目に見えないけれどタイの人々が加勢してくれていたからだと。そして、そこにとても安い賃金しか支払っていないことに」

いわば、発展途上国の労働力やエネルギーの搾取の上に、先進国の生活は成り立っている。特に都市になれば、そうした仕組みに気づかないよう、見せないように作られてしまっている。コンビニには多くの商品が並び簡単に手にできる。しかし、その商品がどこからきているか、誰も想像力を働かせられない。

「私は、そうした意識の元に、都市計画から第三世界(岩崎氏は、先進国が優位に立って呼称する「発展途上国」という言葉を避けて、第三世界と呼ぶ)における飢餓問題や環境問題に20年取り組んできたので、日本に戻って家を建てる時に都市に住むことは考えられませんでした。せめて自分たちの食べるものは自分たちで作る自給自足の生活にしたい。小さな地域での物質の循環を目指すために、この山間の地を選んだのです」

落日荘が足尾山の同緯度にあることは、確かに偶然だった。しかし、自分の位置を常に体感し、世界を感じ、地球に向けて意識を持てる空間を目指した。そこには、岩崎氏のこれまでの信念と思想が込められていたのだ。

しかも、驚くことにこの「落日荘」は、まだ完成していないという。現在拝見したのはあくまでも母屋、あと十年をかけて完成させていくという。

≪後編に続く≫

(注)掲載写真の一部は、岩為氏、砺波周平氏などの写真を、岩崎氏の承認を持って使用しました。

2014年 10月06日 11時28分