その島はゆったりした時間が流れ、古民家で癒される

瀬戸内海の小さな島に小さな古民家宿がある。愛媛県の佐島にある「汐見の家」だ。

宿は、細い路地の入口に「汐見の家→」という看板があり、それをたどって行くと、長屋門が見えてくる。それをくぐり、小さく品の良い母屋が正面に出迎える。宿の管理人が近くに出ているようだが、鍵はかかっていない。大きな玄関スペースに入り、左手にはふすまで仕切られた男女別の相部屋がある。宿の管理人にうかがうと、日中、この集落では鍵をかけない人は珍しくないという。宿には、エアコンはなく、夏は扇風機や団扇で涼を取り、冬の夜は湯たんぽによって暖をとる。離れには五右衛門風呂がある。
佐島はとても静かな島で、宿から数分の船着き場から夕日が美しく見え、凪が心地よい。

2012年4月、空き家になって久しいこの家の処分のため、この宿のオーナーである西村暢子さんは、30年ぶりに佐島を訪れた。この家はかつて、ご先祖が暮らしていた家である。ところが、しまなみ海道の美しさと古民家の佇まいに心打たれ、1年半迷った後、処分を撤回して、再生に舵を切り替えることにした。

長屋門をくぐった正面に母屋の玄関。右手の離れには、五右衛門風呂がある長屋門をくぐった正面に母屋の玄関。右手の離れには、五右衛門風呂がある

古民家再生というキーワードで検索すると「宿」があった

玄関を入ると広い土間スペースで、左が畳の部屋、正面が食卓になる玄関を入ると広い土間スペースで、左が畳の部屋、正面が食卓になる

この家のかつての主、曽祖父が亡くなって40年経ち、その後、アメリカに移住して医者として成功した大叔父のロバートさんが、引退して別荘として利用していたが、その当時に比べるとすっかり荒れ果てていた。

西村さんは、東京で大手商社勤務のシングルマザー。2013年から2017年にかけて、毎月のように瀬戸内海を訪ねて、地域の人や近隣とコミュニケーションをとってきた。もともと、大学時代に民俗学研究会に所属して田舎の暮らしをフィールドワークとして見に行っていた。当時、すでに地方での過疎化が問題となっていた時期で、素晴らしい地域の財産が失われているのを歯がゆい想いで見ていた。まさに自分に、先祖の古民家を守れるかどうか、そんな問いかけを迫られていたのだ。

2013年9月に残す方針に決めたものの、どうやって残すかを考えあぐね、インターネットで調べてみると、古民家再生というキーワードで、古民家宿という事例がいくつも出てきた。岡山県の倉敷にある中村功芳さんの「有隣庵」、徳島県の祖谷にあるアレックス・カーさんの「ちいおり」などの事例があった。その後、そこを訪ねて、古民家宿の何たるかを視察し、また愛媛県古民家再生協会というサイトを見つけ、連絡をとった。愛媛県古民家再生協会の代表である武知さんという女性建築家の方が、2013年10月に佐島に来られ、古民家鑑定をしてもらった。

結論としては、再生可能であるということが明確になったが、プランや予算規模など、可能性を模索していたため、具体的な設計がスタートするには、ずいぶん時間がかかった。

ゼロからスタートの宿づくり、予想外の展開も

五右衛門風呂は、独特な温かさを感じる五右衛門風呂は、独特な温かさを感じる

見積もりが出来て、予算内におさめるべく、優先順位を組み立て、まずは、簡易宿泊所の登録が最低限可能な状態にすることを選んだ。管理人も決まり、2015年10月のオープンを目標にした。工事が始まったのが、同年9月で、地元の島外から大工さんが泊り込でやってきて1ヶ月でいっきに進んだ。
庭も荒れていたが、ロンドンで庭やランドスケープの仕事をしている西村さんの実姉に設計と施工管理を頼み、コンセプトは「佐島の里山」となった。同年9月に、庭をほぼ更地にして、実姉の一時帰国に合わせた突貫工事となった。

ところが、予定していた管理人が、都合が悪くなり、オープンが延期となった。簡易宿所の登録には、管理人の名前が必要だからだ。次の管理人の女性候補が現れ、最終的には、翌年2016年の4月の開業となった。

当時、開業が延期となったことで、予算の都合で諦めていたことも、前進することになった。
長屋門の瓦の改修工事が、2015年12月に実現したのだ。出来れば島の古瓦で再生出来ないかと伝手を探していたところ、ある日、友人と弓削島を歩いていたところ、空き家の前に大量の古瓦を発見し、知人を介してお願いしたところ、快く譲ってもらった。この瓦は、佐島産の瓦で、佐島の宮ノ浦(みやんな)付近に焼き物に適した土があり、蛸壺作りから転身した瓦屋さんがいたため、弓削や佐島には比較的早い頃から瓦屋根が普及していたのだ。

さらに五右衛門風呂の改修工事も2016年1月から3月で実現した。
左官仕事は、島の五右衛門風呂を長年手掛けてきた弓削島の岩上さんが担当した。ぶっきらぼうな広島弁だが、話す毎に人柄の温かさが伝わってきたと当時を振り返る西村さん。釜は排水口が錆びて直せず買い替え、天保2年創業の広島市の大和重工株式会社に依頼。たたらの技術を受け継ぐ鋳造メーカーで、今でも五右衛門風呂の釜を製造している。

さらに風呂場の内装は、全て隣の隣の島に住む公務員の黒田さんが、ボランティアとして手がけた。
他に井戸の青竹の蓋や注ぎ口の竹筒、竹製のポンプの目隠し、キッチンの窓の飾り格子も黒田さんによるものだ。彼の活躍なくして、ここまでの雰囲気ある古民家にならなかったと西村さんは振り返る。

外国人観光客に人気の古民家と素朴な島の時間

宿は建物だけでは、ただの箱だ。
現在、二人の女性が島外からやってきて、運営管理をしている。西村さんとしては、大家としてこの建物を守り、一方、ここで宿経営をやってみたい人を募っていた。その一人、ケイコさんは、2015年6月にモニター宿泊をしていたのが縁で、その後、管理人募集を知って応募しきた。

彼女もシングルマザーで、小さい子どもを育てながら、仕事をできる場を求め、この島にやってきたという。子どもに目が届き、のびのび育てるには、佐島は理想的だと声を弾ませるケイコさん。
もう一人のメンバーは、北海道出身のミエさんだ。今治でシクロの家というゲストハウスのキャリアがあり、開業前にリノベーションの都合で何度かそのゲストハウスに泊まりに来ていた西村さんと出会い、たまたま縁があって、汐見の家で働くことになった。

客層は、車で大阪、京都など関西から来る方が多く、一方、東京方面も少なくない。さらに外国人も多いのが特徴だ。2割が外国人客で、エアービーアンドビーからの予約が一番多い。古民家の雰囲気を気に入り、京都などを訪ねてきて、帰国前にここでゆっくりするケースが何度もあった。外国人は古い建物を見て、素晴らしいと連呼していた。汐見の家に泊まって島の雰囲気を知り、さらに島の人と仲良くなって移住するというパターンもあるそうだ。

玄関の内側から外の長屋門をが見える。改修によって瓦が美しい玄関の内側から外の長屋門をが見える。改修によって瓦が美しい

古民家再生を通して、島が家族のように感じてきた

佐島からの夕日が美しく、凪が心地よい佐島からの夕日が美しく、凪が心地よい

西村さんは、古民家再生は、決してスムーズではなかったと振り返る。進捗は一進一退を繰り返した。
そういときは、かつて別荘利用していたアメリカに移住した大叔父のロバートさんのことを調べることで、気分が前向きになれたそうだ。実際に、西村さんが、高校生のときに佐島を訪ね、ロバートさんに会っている。

アメリカの情報公開は進んでいる。だから、彼の入国記録や戦時中の収容所の記録、オレゴン大学の付属ミュージアムに寄贈した日本美術のコレクションの記録など、インターネットから事実や生き様が浮かび上がってくるという。

ところで、古民家をリノベーションしたことで、西村さんの意識に変化があった。それは、宿は地域と一体という考え方になったのだ。まるで島全体が親戚のような気分になってきたという。ここに泊まっていた人が、その後、島への移住につながったケースもあり、佐島とのご縁をいただけたのが西村さんにとって嬉しかったそうだ。

2018年 05月20日 11時00分