かつての出雲大社本殿は15階建てのビルに相当!?

雨に濡れる出雲大社の現在の本殿。現在でも約24mの高さを誇る巨大建造物だ雨に濡れる出雲大社の現在の本殿。現在でも約24mの高さを誇る巨大建造物だ

本殿の高さ約24m、大屋根の面積で言えば180坪という破格の大きさを誇る出雲大社。古代の本殿はさらに大きく、高さ48m、または96mの高層本殿だったという説があるのをご存知だろうか?

96mというのはさすがに信憑性が疑われているが、2000年に出雲大社境内から、直径約1.35mの巨木を3本組にして1つの柱とする、1248年(鎌倉時代)に完成した巨大柱が発見されたことからも、48m説は実存した可能性が指摘されている。48mといえば、現代でも15階建てのビルに相当する高さだ。

果たしてかつての日本で、そのような木造の高層建造物の造営が行われていたのだろうか。

現代の建築学者たちが知識やシミュレーション技術を駆使して復元した模型が並ぶ島根県立古代出雲博物館。今回は、古代の木造建造物の可能性について同博物館でお話を伺った。

論議が分かれる古代巨大本殿の存在

お話を伺った島根県立古代出雲歴史博物館 専門学芸員の岡 宏三氏。ちなみに写真は1881(明治14年)遷宮の際に用いられていた出雲大社の屋根部分の千木(ちぎ)・勝男木(かつおぎ)の実物を岡氏が説明している場面。あまりの大きさに、千木・勝男木はフレームに収まらない。その大きさを物語るお話を伺った島根県立古代出雲歴史博物館 専門学芸員の岡 宏三氏。ちなみに写真は1881(明治14年)遷宮の際に用いられていた出雲大社の屋根部分の千木(ちぎ)・勝男木(かつおぎ)の実物を岡氏が説明している場面。あまりの大きさに、千木・勝男木はフレームに収まらない。その大きさを物語る

出雲大社の現在の本殿は、1744年(延享元年)に造営され、高さ8丈(約24m)の建造物が三度の修繕を加えながら今に伝わっている。しかし、古代には32丈(約96m)、中世には16丈(約48m)だったとの言い伝えが残っている。

出雲大社宮司「千家」家には、古い時代に書かれたと思われる出雲大社本殿の平面設計図「金輪御造営差図(かなわのごぞうえいさしず)」が残されており、巨木3本を1つの柱として組み、全9本の巨大柱が本殿を支えた構造が記されている。

2000年に出雲大社境内から直径約1.35mの巨木を3本組にして1つの柱とする巨大柱が発見されたことからも「金輪御造営差図」との合致が指摘され、このため48mの高層本殿の実存が裏付けられたかのような報道が多くなされた。

あくまでも地下に埋まっていた柱の残存部分が発見されたのであり、当初の柱の全長はまだ判明していないと、島根県立古代出雲歴史博物館 専門学芸員の岡 宏三氏は説明する。

「『48m級の高層本殿がほぼ確実にあった』そう誤解されている方は多いのですが、実はその存在はまだ謎とされています。よく巨大建造物が存在した根拠として平安時代の『口遊(くちずさみ)』を挙げる方もいますが、口遊はあくまでも“大きさ”を謳っているもので、“高さ”を謳っているものではありません」

『口遊』というのは、平安時代に貴族の子息の教科書として用いられたものだが、ここに当時の大きな建物として「雲太、和二、三京」の記述が見られる。つまり当時の建造物としてベスト3を記しているのだが、1位が出雲大社、2位が東大寺の大仏殿、3位が平安京の大極殿というわけだ。

「2位の東大寺の大仏殿の高さが当時15丈(約45m)あったので、1位の出雲大社はそれ以上の高さがあったはずだ。そうした論調もありますが、口遊でいわれているのは、高さではなくあくまでも大きさ。口遊が大きさを示したものだという指摘は100年も前からあり、『神社では出雲大社が1番、寺では東大寺の大仏殿、人が生活をする場所としては平安京の大極殿』のことを指しているのではないかという見解もあります。つまり現状では高さに関する確実な資料はでていないのです」

そこで、古い時代の出雲大社本殿の実像に迫るために、現代を代表する5人の建築史家が、限られた文献や絵画資料、2000年に発見された巨大柱の遺構などを踏まえ、上屋構造の推定復元を試みたという。

現代を代表する5人の建築史家が推定復元に挑戦

鎌倉時代を想定した1/50の出雲大社本殿の復元模型。右から藤澤教授、宮本教授、黒田教授、浅川教授、三浦教授が示した模型だ鎌倉時代を想定した1/50の出雲大社本殿の復元模型。右から藤澤教授、宮本教授、黒田教授、浅川教授、三浦教授が示した模型だ

この推定復元に挑戦したのは、藤澤 彰 芝浦工業大学教授、宮本長二郎 東北芸術工科大学教授、黒田龍二 神戸大学工学教授、さらには浅川滋男 鳥取環境大学教授、三浦正幸 広島大学教授の5名で、日本を代表する建築史家だ。研究を重ね推定した1/50の復元模型をそれぞれ製作しているが、高さは様々で細部にも違いが見られ、どの資料を重視するかなどで見解が異なっている。

高さに関して言えば、藤澤教授と宮本教授は16丈(48m)を積極的に認め、長大な階段を設けているが、三浦教授は8丈(24m)説を採用。黒田教授は16丈説を退け、出土した柱と同じ鎌倉時代の境内を描いた絵図にみえる本殿建築の床上と床下の寸法比率などから高さを算出。浅川教授は、2000年の巨大柱の出土遺構分析を最重要視し高さはどちらの説も採用していない。

「高さばかりでなく、階段の角度や位置、棟を支える柱の角度などみなさん様々に異なっています。階段もあまり長いものは絵図に描かれた本殿と重なって、先端が境内を突き抜けてしまう問題点がありますし、角度がキツイものは果たして上り下りができたのか? という疑問が生じます。建築史の第一線で活躍される先生方でもこれだけ見解が異なります。個人的には48mという先入観にとらわれず、それ以上の高さの想定も含めて柔軟に検証し直してみてもいいのではと思っています」

平安時代を想定した復元プロジェクト

また、古代出雲博物館では、5名の建築史家の鎌倉時代推定復元模型の横には、平安時代を想定した本殿の1/10の模型を陳列している。

これは、故・福山敏男 京都大学名誉教授が戦前に作成した平安時代の本殿を想定した設計図を元に、1980年代に入って株式会社大林組の復元プロジェクトで部分修正し製作されたものだという。応力解析モデルによる構造解析を加え、古い時代の出雲大社像に迫っている。

3本1組みの巨大柱を想定し設計したもので、2000年の巨大柱が発見される前にこうした設計を論じていた研究者はごくわずか、福山教授が戦前から先見の明で的確に示していたという点で評価が高い模型だ。

ちなみに、このプロジェクトでは、現代に置き換えた工期と費用もシミュレーションされている。総工期6年、延人員12万6,700人、総工費121億8,600万円という、現代でも大規模なビル工事に引けを取らない結果だ。

平安時代を想定した1/10の出雲大社本殿の復元模型。戦前に設計された故・福山教授の設計図をもとに、1980年代に(株)大林組が一代プロジェクトとして推定模型を作成した平安時代を想定した1/10の出雲大社本殿の復元模型。戦前に設計された故・福山教授の設計図をもとに、1980年代に(株)大林組が一代プロジェクトとして推定模型を作成した

木造建築へ挑んだ先人たち

もちろん、48mの本殿が実存したかどうかは、更なる発見などがない限り確証は持てない。しかし、単なる歴史的ロマンとしての“古代超巨大本殿”の想像を超え、現代の建築史家が様々に行った検証結果を受け止めてみるのも興味深い。少なくとも建築学の観点からも現在以上に大きな本殿が造営されていたとみる見解は一致するからだ。

前回の記事で紹介したように、出雲大社本殿の造営には古くから森林資源の確保という課題も存在する。

いずれにしても並々ならぬ努力で木造建築へ挑んだ先人たちの挑戦がそこにあったことは間違いない。読者のみなさんは、出雲大社の巨大本殿の真偽、古代の木造建築の技術力をどのように考えるだろうか?

2015年 04月15日 11時07分