江戸時代の大名の暮らしを知ることができる美術館
1935(昭和10)年に開館した「徳川美術館」。江戸時代に、紀伊徳川家、水戸徳川家とともに御三家といわれた尾張徳川家の重宝を収蔵する私立美術館だ。私立の美術館としては、日本で4番目に古い。
徳川家康の九男・義直を初代とする尾張徳川家は、将軍家に次ぐ地位を持つ御三家のなかでも筆頭で、最高の格式を誇っていた。尾張徳川家十九代・義親(よしちか)は、代々伝わる大名道具を後世に伝えるため1931(昭和6)年に財団法人を設立して、品々を寄贈。さらに人々の研究や教養に役に立つようにと美術館が造られた。美術館の収蔵品は、家康の遺品のほか、歴代当主や夫人たちが愛用した品、婚礼の際の持参品など約1万件にも及ぶ。
徳川美術館は、尾張徳川家の居城であった名古屋城から東へ約3kmの場所にある。かつて“大曽根屋敷”と呼ばれた、尾張徳川家二代・光友の隠居所があったところだ。現在は、近世大名庭園を再現した池泉回遊式の日本庭園がある「徳川園」、尾張徳川家伝来の古書籍を所蔵する「名古屋市蓬左文庫」と一体化し、大名文化を伝える。
膨大なコレクションが多くの歴史好きを魅了している徳川美術館だが、今回は建物の観点から迫りたい。
①徳川園の入り口には、かつての尾張徳川家別邸の表門で、通称・黒門がどっしりと構える。門の先に見える緑色の屋根の建物が徳川美術館②徳川美術館外観
③2004(平成16)年に整備された徳川園を含む全景。十九代・義親は財団設立に先駆け、1930(昭和5)年に大曽根屋敷の敷地の大部分を名古屋市に寄贈。それにより明治期に約6,300坪あった敷地が約2,300坪に。名古屋市は寄贈された敷地を「徳川園」として1932(昭和7)年から有料公開したが、1945(昭和20)年の大空襲で園の大部分を焼失。その後は一般的な公園として利用され、2004(平成16)年秋に日本庭園としてリニューアルオープンした。ちなみに、蓬左文庫はもともと財団が開設したが、大空襲で美術館は被災しなかったものの、その後の復興資金とするため1950(昭和25)年に名古屋市に蔵書が売却された。徳川美術館の手前、右下の建物が名古屋市蓬左文庫で、池のある左側が徳川園(写真:「徳川美術館ガイドブック」より)
重厚感のある帝冠様式の本館は、国の有形文化財に登録
徳川美術館の建物は、開館当初からの本館と1987(昭和62)年に増築された新館からなる。実は、現在の正面玄関は新館に位置する。
本館と収蔵庫(現・南収蔵庫)は、建設にあたって設計図案懸賞募集が行われた。そこで1等となった佐野時平の案を基に、大江新太郎と、のちに帝室博物館(現・東京国立博物館本館)を設計した渡邊仁が外観設計を、吉本与志雄が実施設計をして、1932(昭和7)年に着工。施行は竹中工務店が担当した。
外観意匠は、当時流行していた帝冠様式。鉄筋コンクリート造の洋式建築に、和風または東洋風の屋根をかけるという、和洋折衷のスタイルである。名古屋市では、名古屋市庁舎、愛知県庁舎も同じ様式だ。
屋根瓦について「織部焼きで、愛知県瀬戸市で作られたもの。いまも建築当時の瓦のままです」と教えてくださったのは、今回取材にご対応いただいた徳川美術館・管理部の野村弘和さん。明様式の緑色釉薬瓦は美しさも保っている。
「戦時中は近くに爆弾が落とされ、尾張徳川家の屋敷などは燃えてしまいましたが、美術館は爆弾の破片で壁に穴が空いたり、窓が一部破損したりしましたが、残りました。その当時は、鉄筋コンクリート造もほかにあまりなかったでしょうし、それだけ頑丈だったということでしょうか」。その丈夫さゆえに、数々の重宝も守られたというわけだ。
開館時は、自然光を電動回転式で取り入れる高窓や、二重窓の間に乾燥した空気を通して湿度を調節するなど、近代的設備を備えたことでヨーロッパの建設界にも紹介されたそうだ。ただ、現在は紫外線が美術品に影響を及ぼすということから、自然光を取り込まないようにしている。
また、本館の玄関内デザインもすばらしい。イタリアから輸入された黒大理石を使用した腰壁には、色タイルの象嵌(ぞうがん)で図様が施されている。平清盛が広島の厳島神社に奉納した国宝「平家納経」のなかの一巻「宝塔品(ほうとうぼん)」紙背に施された装飾を基にしているという。ドアの上にある欄間の木彫りも見事だ。現在、本館玄関からの出入りはできないが、第7展示室から玄関内に入れるので、ぜひ見落とさないようにしてほしい。
新館が増築された際に本館も壁の塗り直しや天井の吸音材吹き付けなどが行われたが、ほとんどは当時のままの姿をとどめる。昭和初期の日本の美術館建築を代表する建造物として、本館と南収蔵庫は1997(平成9)年に国の有形文化財に登録された。
①徳川美術館の玄関は、現在は新館となっているため、切り妻屋根の本館玄関は美術館専用駐車場がある敷地南側から正面を見ることができる。または、新館の展示室から本館へ移動する通路の窓越しに横面を見られる。2016(平成28)年には本館の耐震補強工事が行われた②本館玄関内。腰壁の図様には、美術館の母体である公益財団法人徳川黎明会にちなみ、「れ」「い」「め」「い」「か」「い」という文字が配されているので、探してみるのも楽しい(写真は「徳川美術館ガイドブック」より)
③本館玄関の外観。屋根には瓦と同色の鯱が飾られている
④施工当時の本館と南収蔵庫(写真左側) 。南収蔵庫は、新館の建物ができたため、現在は外側からは壁の一部が見られるのみとなっている(左下と右下の写真提供:徳川美術館)
新館は名古屋城をモチーフに
新館は1985(昭和60)年に開館50周年を記念して計画され、1987(昭和62)年に完成した。
「いまでは多くの方が来てくださっていますが、新館ができる前の徳川美術館は、入場者が年間5万人いくかいかないかというくらいでした。その頃、名古屋市内に観光できる所がまだ少ないと考えていた名古屋財界が徳川美術館に注目しました。全国からお客さまに来ていただこうと盛り上がり、多くの寄付が寄せられ、新館ができたのです」と野村さん。
新館の設計は、株式会社日建設計の名古屋事務所が担当。名古屋城をモチーフとし、外観は白壁と緑の屋根。玄関ホールには、名古屋城の出入り口の形とされる枡形虎口(ますがたこぐち)を模し、鉄砲狭間(てっぽうさま=鉄砲を撃つために設けられた小窓)が備えられている。
玄関ホールの先、展示室への入り口には名古屋城の本丸エリア北側にある不明門が再現されている。
展示空間にも建築美が!
「当館は単に美術品を並べるだけではなく、道具などが使われていた空間を再現して、当時の人たちが見たような空間のなかで見ていただく展示をしています。美術品が飾られていた、使われていた、本来の状態を鑑賞できるというのもコンセプトなんです」
野村さんがそう語る“空間”は、新館の第1~4展示室にある。先に展示室についてご紹介しておくと、新館は第1~6展示室、本館は第7~9展示室がある。第1~4展示室は大名道具のなかでも、武具刀剣類や、客のもてなしに使われた茶道具、掛軸など、公的な場で用いられる“表道具”が並ぶ。第5展示室は、大名家の夫人や姫君がプライベートで愛用した“奥道具”が飾られている。第6展示室は国宝「源氏物語絵巻」をレプリカと映像で紹介。第7~9展示室は特別展や企画展が催される。
さて、“空間”について話を戻すと、まず第1展示室では入ってすぐの正面に「具足(ぐそく)飾り」が再現されている。具足飾りとは、名古屋城二之丸御殿の御夜居之間(おんよいのま)で毎年正月十一日に行われた「具足始め」の飾りつけのこと。甲冑、太刀、旗幟(はたのぼり)などを飾り、その年の武運を祈願する尾張徳川家の年中行事だったそうだ。
次に第2展示室では「茶の湯」の場を再現。名古屋城の二之丸御殿にあったという猿面茶室(さるめんちゃしつ)を復元し、釜や名物茶器が置かれている。猿面茶室は、京都にある妙喜庵(みょうきあん)の待庵(たいあん)、同じく京都の建仁寺の如庵(じょあん、現在は愛知県犬山市に移築)とともに日本の三名席の一つとして、戦前は国宝に指定されていた。だが、明治維新後に名古屋市内の公園に移築されるも、1945(昭和20)年の戦災で焼失。いまでは名古屋城にも復元されているが常時一般公開されてはおらず、ここで間近に見られるのは貴重だ。
第3展示室は、名古屋城二之丸御殿内の広間・上段の間と鎖(くさり)の間を復元。大名が公務を行う場であった上段の間では、違棚(ちがいだな)、書院床(しょいんどこ)などの飾り付けの空間があり、そこに書画や香炉、文房具などが飾られている。一方、大名がくつろぐ場所であった鎖の間には、釜などの茶道具や掛軸が飾られている。
そして第4展示室にあるのは、名古屋城二之丸御殿にあった表(おもて)能舞台。徳川幕府は、能を武家の式楽(公式の場での音楽)と定めたため、大名の御殿には必ず能舞台が設けられたそうだ。能面や装束が飾られるなか、総檜造りの豪華な能舞台が存在感を放つ。柱組みや木彫りの意匠の美しさに目を奪われた。
徳川美術館が所蔵する名品に感嘆しつつ、それが使われていた当時の空間があることで、さらに江戸時代の大名文化、暮らしぶりがイメージしやすく、体感できるものであった。展示室にて、豪奢な大名文化の時代にあった建築の美に出合うことができる。
貴重なコレクションと、それを見せる空間演出が魅力に
明治維新や戦争があり、各地の大名家の道具は売却・処分がされてしまった。徳川美術館の収蔵品には、紀伊徳川家、一橋徳川家などの大名家の道具を購入したり、寄贈されたりしたものもあり、これほどに大名道具がそろっているのは唯一無二だ。
日本刀が注目されている近年、数多くの名刀を収蔵する徳川美術館には全国からファンが訪れている。「伝統を守らなければならないという意見がある一方、若い方に来ていただくためにはいろいろな新しい試みもしなければならないと思います」と野村さん。興味を引くような企画展を工夫して行っているそうだ。
尾張徳川家に関する、いまでは美術品と呼ばれる重宝が収められていることについて「タイムカプセルのようですよ」と語った野村さん。豊富な種類だけでなく、家宝として大切に守られてきたことから、保存状態の良さも評価されている。所蔵品には、国宝9件、重要文化財59件、重要美術品46件が含まれているという。
そしてそのコレクションが、日本伝統の空間演出の“美”も感じる展示となっているのも大きな魅力だ。
取材協力:徳川美術館 https://www.tokugawa-art-museum.jp/
参考文献:「徳川美術館ガイドブック」
①第1展示室入ってすぐにある「具足(ぐそく)飾り」。尾張徳川家で毎年正月十一日に行われた、甲冑を飾ってその年の武運を祈願する“具足始め”を再現している。各コレクションは大きくは3ヶ月に一度、細かくは1ヶ月に一度入れ替えられている②約500振が収蔵されている刀剣は、質・量ともに日本一といわれる。江戸時代の研ぎのままで、当時の姿をそのまま鑑賞できることもファンを喜ばせている
③徳川家康の愛刀「重要文化財 脇指 無銘 貞宗 名物 物吉貞宗」
④「徳川家康三方ケ原戦役画像」
⑤国宝「源氏物語絵巻」柏木(三)。「源氏物語絵巻」は毎年11月下旬に数場面を選んで特別公開されており、人気の特別展示となっている(以上、写真提供:徳川美術館)
⑥今回お話を伺った、徳川美術館・管理部の野村弘和さん。新館ができた年に入社し、広報などを経て現在は施設管理を担当。「美術品を守るため、温湿度など空調は大切で、細心の注意を払っています」
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