2026年に話題になった大規模開発TAKANAWA GATEWAY CITY(高輪ゲートウェイシティ:東京都港区)、OIMACHI TRACKS(大井町トラックス:東京都品川区)、JIYUGAOKA MUSE SQUARE(自由が丘ミューズスクエア:東京都目黒区)は、いずれも分譲住宅ではなく賃貸住宅を供給している。再開発といえばタワーマンションの分譲住宅という印象を持つ人も少なくないかもしれない。どうして、これらの開発ではすべてが賃貸住宅だったのだろう。地域の課題、開発の意図などを踏まえて紐解いていこう。

3つの開発はいずれも土地所有者主導で進められた

2026年9月17日、自由が丘駅前の再開発、自由が丘ミューズスクエアがオープンした。地下1階から5階が商業施設、6階がオフィス、7階以上が住宅という15階建ての複合開発である。

住宅は1LDK~3LDK、全170戸のうち地権者住戸を除く123戸が賃貸である。再開発といえば分譲、タワマンと考える人が多いためか、一時、近隣の分譲マンションと混同した情報が出回っていたが、最初から同開発では住宅は賃貸として計画されていた。

考えてみると2026年に話題になった大規模開発では、賃貸住宅が供給された事例が多い。3月に開業した高輪ゲートウェイシティの住宅800戸超も、大井町トラックスの住宅200戸弱もすべて賃貸。そして、これらの開発に共通するのは土地所有者が主導した開発だということである。

自由が丘ミューズスクエア(画像:PIXTA)自由が丘ミューズスクエア(画像:PIXTA)

一般的な再開発は地域が発案することも多いものの、その後はプロである協力事業者が主導して進められることになるが、自由が丘ミューズスクエア、高輪ゲートウェイシティ、大井町トラックスはいずれも土地所有者が自ら計画を進めた。

そして共通するのが、どの事業もそれぞれの土地が土地所有者にとって重要な場所であるということ。JR東日本(本来はJR全体だろうと思うが)にとって高輪ゲートウェイシティは鉄道事業の始まりの地であり、大井町トラックスは長らく社宅のあった、多くの社員が暮らした土地。自由が丘ミューズスクエアは再開発ビルに元々あった老舗店が多く戻ってきていることを考えれば、彼らにとってその土地がどういう意味を持つかは明らか。手放したくない大事な、大事な土地で、しかもいずれも駅前の一等地。それらを分譲するとは考えにくい。

これは最近の開発に限ったことではない。「丸の内の大家さん」と言われる三菱地所、「港区の大家さん」といわれる森ビルはいずれも賃貸事業の売上構成比が大きい。三菱地所の2026年3月期決算における住宅事業の割合は25.8%で、このうちには分譲も賃貸も含まれている。それ以外の事業用不動産を扱うコマーシャル不動産事業が34.9%、丸の内事業が21.6%と考えると、分譲の比率はそれほど大きくはない。また、森ビルも同様で、2026年3月期の決算では賃貸収益が全体の60.9%を占めており、分譲収益は19.5%である。

つまり、都市部の一等地の開発では実はもともとオフィスはもちろん、住宅でも賃貸事業が中心なのである。大手の不動産会社のなかには高額賃貸物件をシリーズとして展開している事業者も多いが、そうした物件も都心中心部に集まっている。

100年先の責任を持つために賃貸という選択【高輪ゲートウェイシティの場合】

また、高輪ゲートウェイシティ、大井町トラックス、自由が丘ミューズスクエアの住宅はいずれもその地での新たな挑戦、市場の開拓であることも共通する。

たとえば高輪ゲートウェイシティは前述したように鉄道発祥の地であり、明治時代に車両基地となって以降も日本の発展を鉄道を通じて支えて来た地である。歴史的には重要な場所ではあるが、もともと人が暮らしてきた土地は、再開発エリアから第一京浜(江戸時代の五街道のひとつである旧東海道が前身)を挟んだ西側の高台で、こちらには旧宮邸や財界人、文豪たちの邸宅が並んでいた。

高輪ゲートウェイシティ(画像:PIXTA)高輪ゲートウェイシティ(画像:PIXTA)
高輪ゲートウェイシティは、かつての田町電車区(画像:PIXTA)高輪ゲートウェイシティは、かつての田町電車区(画像:PIXTA)

そんな住宅地としては認識されてこなかった場所に、これまでJR東日本が手掛けてきた住宅関連の事業、まちづくり事業の中でも有数の規模の街を作り、800戸超という多数の住宅を作るのである。開発にあたっては長期にわたり、さまざまな検討が行われたはずで、その結果、この街は「100年先の心豊かなくらしのための実験場」「国際交流拠点」と位置づけられた。

それが賃貸という選択につながった。未来に向けた実験である以上、街や住宅を作っておしまいとするわけにはいかない。実験の場は安定した、揺るぎのないものである必要があり、分譲して権利を分散させることは考えられない。

国際的な交流の拠点であり続けるためには、人の入れ替わりが容易で、住む人が固定されず、新しい人が入りやすい環境を保ち続ける必要がある。となれば居住者が固定してしまいがちな分譲は国際交流拠点には不向きである。街の運営、管理を事業者が主体的に担えて、住む人の流動性、多様性を生むのは賃貸というわけである。

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街になかったものを付加するために賃貸【大井町トラックスの場合】

大井町トラックス。それほど高い建物がないエリアのため、非常に目立つ(筆者撮影)大井町トラックス。それほど高い建物がないエリアのため、非常に目立つ(筆者撮影)
通りから1本入ると車が通りにくい、通れない道も多い(筆者撮影)通りから1本入ると車が通りにくい、通れない道も多い(筆者撮影)

大井町は高輪とは違い、すでに住宅地としての素地があったし、交通、生活の利便性の高い立地には人気もあった。だが、大井町には足りないものがあった。住宅と防災機能である。

歩いてみれば分かるが、大井町駅周辺では駅近くに大規模な建物が並ぶものの、それ以外は商店街、飲食店街などに代表される小規模、低層な建物が中心となっている。

区役所通りには2012年、2019年に完成した再開発タワーマンションが2棟あるが、それを除けばある程度の戸数があるマンションは仙台坂周辺に集中している。区役所通りと仙台坂の間のエリアには細街路も多く、駅に近いにもかかわらず、空き家と思しき建物も。

大井町トラックスの再開発エリアにはかつてJR東日本の社宅があった(2011年、筆者撮影)大井町トラックスの再開発エリアにはかつてJR東日本の社宅があった(2011年、筆者撮影)

これは明治後期から大正期にかけて工業地帯として発展してきた大井町駅周辺の歴史によるものである。かつてはJRの線路を挟んで駅周辺にはいくつもの工場が並んでおり、それらが1989(平成元)年の大井町駅前再開発で品川区総合区民会館(きゅりあん)や大井町丸井(現在はヤマダデンキ LABI LIFE SELECT 品川大井町)などといった、現在、大井町のランドマークとなっている建物や商業施設に変わった。ホテル、温浴施設やスーパー、テニススクールなどからなる複合施設・阪急大井町ガーデン(それ以前は東京進出第一号の阪急百貨店)も工場跡地で、大井町では工場跡地が大型商業施設などに変わり、駅前の利便性を生んできたのである。

一方で工場周辺には労働者のための店舗、飲食店が集まり、徒歩圏内を中心に小規模な住宅が密集した。それが現在の大井町駅周辺の建物の大小につながった。住宅はもともとの区画が小さいことから建物が更新されにくく、規模のある建物が少ない。それが住宅不足、公園不足につながり、長らく地域の課題となっていたのである。

大井町トラックスはこうした課題を解決すべく、品川区と協議を重ねて誕生した。だから、あの広い広場が生まれ、これまでの大井町エリアにはなかったフロントサービスや共用部を備えた賃貸住宅が生まれたのである。

大井町トラックスでは“実験”も“国際交流拠点”も謳ってはいないが、JR東日本が掲げる広域品川圏の一翼であること、駅直結の施設であることを考えると、ここでも権利の分散=分譲は望ましくないことは明らかである。

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通りから1本入ると車が通りにくい、通れない道も多い(筆者撮影)大井町トラックスで人を一番集めているのがこの広場。プレス向けの内覧会で撮影したのでこの時点では無人(筆者撮影)

街の積年の課題を解決、街の更新のために賃貸【自由が丘ミューズスクエアの場合】

建物内を通り抜けられるように十字に通路が作られており、以前からの回遊性は阻害されていない(筆者撮影)建物内を通り抜けられるように十字に通路が作られており、以前からの回遊性は阻害されていない(筆者撮影)
開発前の自由が丘駅前。コンパクトなビルが中心で、道幅も狭い(筆者撮影)開発前の自由が丘駅前。コンパクトなビルが中心で、道幅も狭い(筆者撮影)

自由が丘ミューズスクエアは長らく蓄積してきた地域の課題を解決するための一連の開発の第一歩である。

同エリアは1980年代に女性誌やテレビドラマのロケ地として取り上げられたことから人気の街として知られるようになったが、ここ十数年は周囲の変化に危機感を抱いてきた。

2013年に東急東横線と東京メトロ副都心線相互直通運転が始まり、自由が丘駅は新宿や池袋とダイレクトにつながった。2015年には東急大井町線でつながる二子玉川駅周辺の大規模開発・二子玉川ライズが竣工。同じ東横線沿線の武蔵小杉では今も再開発が続いている。いずれの街にも大規模な商業の集積があり、映画館やホテル、オフィスなど自由が丘エリアにないものがある。

交通を分断する架道橋や踏切を除却する計画も進められている(筆者撮影)交通を分断する架道橋や踏切を除却する計画も進められている(筆者撮影)

だが、これまでの自由が丘エリアにはそれに対して新しく打つ手がなかった。駅周辺に細街路、都市計画道路3本、緊急車両が通れない高さの架道橋3ヶ所がある交通事情の悪さから、区画は小さく、建物は更新しにくい。

こうした課題を解決しようと、自由が丘商店街振興組合はまちづくり会社を作り、模索を続けてきた。2026年に竣工した自由が丘ミューズスクエアはその第一弾。駅前にあった商業ビルが自前では建替えができないことを発端に規模が拡大したものである。

再開発には商店街の建物更新、競争力アップに加え、街に暮らす人、訪れる人の更新も意図されている。

自由が丘エリアでは駅前の商業地域だけでなく、周辺に広がる住宅地でも建物の更新が進んでおらず、建物も居住者も高齢化が進んでいる。自由が丘の大きな顧客である隣接する田園調布エリアも同様で、しかも、田園調布には165m2という住宅の最低敷地面積の制限もある。その状況下で住宅の更新、新しい居住者の獲得は難しい。

それなら自由が丘駅前の利便性の高い場所に新しい居住者を呼び込む場所を作ろうというのが賃貸住宅を作った理由である。外から呼び込むだけでなく、自由が丘エリア、田園調布などの一戸建てに住むシニア層が駅前の利便性の高い場所に住み替えることで、空いた場所に新しい人たちが入ってくることも期待されている。ある意味、連鎖型の住み替えを狙っているともいえる。

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賃貸には街を作る、変える力がある

つまり、これら3つの開発から分かるのは、新しい街を作る、街を変えるためのツールとして賃貸住宅が選ばれたということ。不動産事業を単体・短期で考えた場合には分譲したほうが収益は上がるのかもしれないが、街を作る、変えるためには賃貸住宅にこそその力があると判断されたということである。

大げさだと思われるかもしれないが、これらの開発だけでなく、日本のあちこちで行われているまちづくり、地域活性化などの現場でも、遊休不動産の多くは貸すという形で使われている。住宅に限らず、カフェや飲食店、オフィスなども含めて使い方はさまざま。停滞、衰退した地域に新しい人を呼び込み、循環させ、多様性を生む。賃貸にはその力があるのである。

かつて何もない場所に街を作るときにはそこに人を定住させることが必要で、そのためには住宅は分譲したほうがよかった。だが、今はすでに街はあちこちにあり、そこに住み続ける(動かない)人たちが高齢化し、地域が停滞、衰退し始めている。それを変えるためには多様化、循環が必要で、それができるのが賃貸である。今回取り上げた3つの開発は当然、いずれも新しいものだが、こうしたこれまでの住宅、街の歴史を踏まえて賃貸というやり方を今の観点できちんととらえ直した結果といえる。

これまで賃貸というと、「たかが賃貸」「賃貸だからこんなものでいい」というような言い方に代表されるように格下の住まいと考える人も多かった。だが、街を作り、変えるための場と考えると、賃貸住宅がそのようなものでよいはずはない。2026年の3つの開発がそうした見方を払拭してくれるものであることを祈りたい。