現代の都市、社会、人間にとっての横丁の意義

横丁ブームと言われている。たしかに、横丁、あるいは路地、闇市、遊廓、赤線についての出版動向を調べると、どれも大体95年ごろからポツポツ出始め、2000年、2005年あたりから増え、2010年以降はブームの様相を呈している。都市開発の進行によって失われていくものへの郷愁が、ひとつの背景だろう。
ではその他に、どんな要素がからまりあって、横丁が注目されるのか。横丁の現代的意義は何か。都市、社会、人間にとって横丁は必要なのか。建築、都市、社会学の若手専門家に議論してもらった。

出席者
倉方俊輔 くらかた・しゅんすけ 建築史家/大阪市立大学准教授
新 雅史 あらた・まさふみ 社会学者/東洋大学助教
石榑督和 いしぐれ・まさかず 東京理科大学助教
司会 三浦 展 カルチャースタディーズ研究所代表

三浦: 話のとっかかりとして世代論的に言うと、1971年生まれは大学に入ると同時にバブルがピークから崩壊していく世代。建築についても大きな変化があった。
1976年生まれは大学に入る直前に阪神淡路大震災が起こり、建築への信頼が瓦解した世代。1981年生まれは大学に入ると同時にリノベーションブームが起こってきた世代。1986年生まれは大学に入ると同時に横丁・路地ブームが起きていた世代です。石榑さんはまさに闇市研究をするべくして生まれた世代ですね(笑)。
2016年9月に出版された石榑さんの『戦後東京と闇市』は、5400円という高価な本であるにもかかわらず、たちまち重版し、新聞書評などでも高い評価を得ています。それ自体が面白い現象です。

2017年11月22日 株式会社LIFULLにて2017年11月22日 株式会社LIFULLにて

世代から見た横丁

石榑督和氏石榑督和氏

石榑: 私は2004年に岐阜県から東京の大学に来て、小田急線の郊外、神奈川県川崎市の生田(いくた)に住みました。だから、出かける繁華街というと新宿。初めて新宿に行ったときは駅のまわりに全然性格の違う街が混在していることに驚きました。歌舞伎町にも驚きましたが、思い出横丁やゴールデン街も衝撃を受けました。
そして、建築の勉強をしていくと、巨大なビルと小さな店が混在している都市の面白さを実感するようになりました。終戦後の空間が今も生きながらえているのは闇市跡の横丁だけです。そこで、どうして闇市が生まれ、そこから巨大な繁華街が育っていったのかを研究し始めたんです。
下北沢で飲食店のバイトもしていましたが、それが北口駅前の闇市の近くで、闇市の酒場にも次第に行くようになりました。だから若い頃の原風景として闇市、横丁があると言えばありますね。ピーコックの屋上から闇市を撮影したりもしました。六本木ヒルズにはもちろん行きましたけど、それより闇市を歩くほうが面白かった。

倉方: 僕はバブルのピークだった頃に大学に入りました。今から考えると、現代の建築が規格化されて画一的であるのに対して、バブル時代に建てられた建築は無駄が多く、意味づけが多く、演劇的だったのではないでしょうか。あるいは、青山や代官山にしても、街自体が隠れ家的な雰囲気を持っていた。
奇妙な言い方かもしれませんが、現在の横丁人気は、清貧というよりも、そうした失われたものを求める精神の現れに思えます。横丁は演劇的です。吉祥寺のハモニカ横丁の手塚さんの仕事っぷりは、そうした性格を強めたもの。店主がいて、狭い空間の中で料理をつくる、それを客が見て楽しむ、通行人からも全部見える。客同士もそれぞれの役割を演じているところがある。

新: 横丁は、たしかに演劇的ですが、むしろ身体的といったほうがいいんじゃないですか。僕は73年生まれで、田舎から出てきて公園通りにいくと、もう、自分のような服装では歩けない!って思った。まさに演劇的空間で、おまえは出る幕がないと言われているような。公園通りという舞台で、それぞれが着飾って、「見る・見られる」関係を楽しむのが当時の渋谷。
それに対して横丁は、たしかに客と店主、客同士が「見る・見られる」演劇的関係もあるのだが、現在の東京では、むしろそういう視覚的なものがどんどん弱まっているように思う。「見る・見られる」関係から逃れていって、匂いとか、熱とか、身体的な感覚がどんどん生まれている気がする。

横丁は演劇的?身体的?

新雅史氏新雅史氏

倉方: 1960年代の新宿といっても、演劇は盛んだったが、非常に身体的な演劇でもあって、それでゴールデン街で飲んで喧嘩して騒動を起こして、という空間でした。

石榑: 1960年代末からの新しい建築家たちは、商業空間の中に広場や、演劇性や、一種の都市のうごめきや騒動を入れ込もうと夢を見たわけですね。パルコもそうです。もっと郊外のショッピングセンターでもそういう意図を持つものがあった。
そういう意図が生きていたバブルくらいまでの時代と、そういう意図がそぎ落とされてしまって、制度化した再開発とが分断していって、今の再開発には夢がないという時代になってしまった。

石榑: 松山巌さんが書いているんですが、現代の都市では、地方や郊外もそうですが、記憶できる風景がなくなっていっている。藤森照信さんも建築の本質の一つとして、記憶を残すということを言っていますが、かつての街の風景というのは、身体的な経験とともにあった。扉や窓を開けるとか、壁の手触りとか、そういうことを経験しないで済む空間になっている。
それに対して横丁は、身体的な記憶をとどめた場所として意識されているのではないか。

三浦: たしかに横丁のおでん屋が自動ドアってことはないですね(笑)。

倉方: 赤線跡もそうだけど、過去の街の記憶がレイヤーのようになって、昔の痕跡がなんとなく残っているとか、暗渠とか、裏道とか、横丁が街の記憶装置になっている。昔はそんなこと当たり前だったけれど、現代では珍しく観察されます。

三浦: あと、屋台って言うと、今は焼き芋とかラーメンとかのリヤカー型の屋台を思い浮かべるけど、江戸時代の屋台はかついで歩く程度のものでした。行商人も多く、大道芸人もたくさんいた。大きな唐辛子の形の入れ物に入れて唐辛子を売る人もいたそうで、着物もカラフルだし。だから、江戸の街、ストリートって、それ自体が演劇的でかつ身体的だったんじゃないでしょうか。ドリフターズのコントか寺山修司の芝居みたいで。今で言う横丁の飲み屋みたいな固定した店はあまりない。

石榑: 江戸とか戦前くらいまではあった、都市の中の演劇的身体が近年まったく失われてきて、そのことが、横丁に演劇性と身体性を求める気分につながっているのではないでしょうか。

働き方としての横丁

倉方俊輔氏倉方俊輔氏

新: 職業という点で言うと、横丁で飲食店を始めた人には戦争未亡人が多い。そういう女性に過去を聞いていけないという不文律がある。そういう人でもすぐに始められたのが闇市や屋台の飲食店。履歴書がなくても働ける場所。横丁というのは今もそう言うところがある。
それと今は、移動しやすくて、フラジャイル(壊れやすい)ものが人を引きつける時代です。横丁や屋台はまさにそれです。
移動しながら働き続けられるとか、履歴書がなくても働けるとか、そういうことが今後重要になる。いわば、横丁的な働き方がある。
実際、地方のスナックや横丁で、東京でもう疲れちゃった、生きづらくなった女性とかが地方でいきいき働いていることが多いんですよ。

倉方: なるほど。横丁っていうと、土地に根ざしたものに見えるけど、実は働く側から見ると、どこの土地にでも移動して、匿名性のある気楽な働き方ができて、救われる面がある。

石榑: 戦後の闇市でも新宿の尾津さんの手形があると、中央線沿線全体で商売ができました。移動しながら働けたのです。

倉方: 移動できてフラジャイル、かつ資本がなくてもできるという横丁や屋台というのは、いわば「人間以上、建築以下」の存在だと思う。家具に近いけど、もっと不特定多数の人が使う。横丁をひとつのビルディングタイプとして考えるべき時代です。今の強靱な都市の強靱な建物ではない、人が自分で上書きできるもの、参加できるものとして横丁が意識されている。
そう考えないと、古い物だから壊してビルにしようという話にすぐなっちゃう。ビルも建てるが横丁もいいねという対立を解消しないといけない。

新: 80年代、90年代半ばごろまでは、やっぱり新しい物が好きな時代で、誰が使ったわからない物を使うなんてことは嫌がられた。
ところが今は、古着とかメルカリとか平気で人が使った物を使う。むしろ、人が使った物のほうがよい、という価値観の変化があります。
それは、何かに参加しながら開かれていく、つながっていく、ということに対する願望ではないか。その心理が横丁を好ませる。
ところが震災の時など、闇市、横丁ができなかったのが不思議だ。

石榑: 戦後は現地復旧が基本で、みなさん、自分でなんとかしてくださいというのが基本だった。

三浦: 今は、闇市的なものはネット上にあるのではないか。メルカリで年収400万円という人もいるそうだし。バーチャル空間の中に闇市がある。

横丁をどう引き継いでいくか

三浦展三浦展

三浦 : 今後、横丁はどのように引き継がれていくべきなのでしょうね。僕としては、吉祥寺ハモニカ横丁は、武蔵野市がもう再開発はせずに使い続けると決めて欲しい。

石榑: それができたら画期的大事件なんです。なにしろ違法建築ですから(笑)。

三浦: でも歌舞伎町も法善寺横丁も特例で維持されたんでしょう。

石榑: そうです。横丁の価値を認めれば、そういう動きが出てくる。

新: 人間が過去の時間とアイデンティティを未来に引き継いでいくためには家族が必要だった。その家族が溶解してしまい、個人化してしまったので、過去を引きつげない時代になっている。株式会社なら株主がいる限り永続するし、イエ制度における家族も、養子でもなんでもしてイエを維持したんだが、戦後の核家族は一代限りで消えていき、過去を引きつがない。
実はそのことが横丁を求めさせていると思う。過去70年くらいずっと、誰かが引き継いできた場所であるということが、いとおしいのです。

倉方: 郊外というと横丁の対極にあるようだけど、郊外でもまず地元に根ざしてみて、ラップしたり、ダンスしたりすることが、もしかすると横丁的なのかもしれない。

三浦: 倉方さんの本でインタビューを受けたとき、郊外の住宅地にこそ横丁的なものが作られていくべきではないかと、苦し紛れに答えたのですが、実際、その後、若い建築家tomito(トミト)の横浜のcasaco(カサコ)とか、鳩山ニュータウンで藤村龍至君が進めている昭和カフェとか、今度玉川学園でもできそうなんですが、郊外横丁の時代が来そうです。

倉方: なるほど。それと戦後の高度成長期に有楽町などにできたビルで、ずーっと同じ店が入っているビルがありますが、ああいうのはビルの中で特定の店がコミュニティ的な存在になっていて、形はモダンなんだけど、横丁っぽいところがある。

石榑: 戦後できたビルって、共同出資で最初にお金を集めてから建てていたりするので、単なるテナントビルではなくて、横丁風の運命共同体だったりするんです。
あと、1953年に『新興市場地図』というものがつくられていて、23区内の280ほどの横丁が描かれています。まだ思い出横丁にもハモニカ横丁にもなっていない市場なんです。これを見ながら今、東京中の街を歩いているんですけど、そうやって関係者の話も聞きながら、街を耕したいというのが僕がいちばんやりたい仕事なんです。

倉方: それはとても大事な作業ですね。インスタ映えのために訪れる横丁なんて表面的だと批判する側が、かえって横丁に対して、しみじみできて、消えゆくはかなさがあるなんて言って自分勝手なイメージに酔っている。そういう、現在しか見ていない、あるいは後ろ向きの耽溺ではなくて、そのときどきを生業のために変化しながら生き続けてきた横丁を、空間装置として継承するための基礎作業が求められていますね。

三浦: 横丁や路地の文化というものは単にノスタルジーというのではなく、都市にとって、特に現代の人間にとって不可欠なものだということをあぶり出すお話しが多角的に聴けたと思います。本日はどうもありがとうございました。

2017年 12月20日 11時05分