ロシアの支配下で新古典主義の建築がつくられたヘルシンキ

建築史家・倉方俊輔さん(大阪市立大学准教授)が建築を通して世界の都市を語る、全16回のロングランセミナー(Club Tap主催)。北欧3つ目の都市はフィンランド・ヘルシンキを取り上げる。

フィンランドは長くスウェーデンの一部で、1809年にロシアに割譲された。独立を果たしたのは、ロシア革命が起こった1917年だ。

ヘルシンキはロシアの支配下にあったときに置かれた首都で、街並みは「サンクトペテルブルクに似ている」と倉方さんは言う。「ロシアは伝統的にドイツ人建築家を登用してきた国で、ヘルシンキでもドイツ人建築家が公共建築をつくっています。新古典主義的な建築が多く残っています」。

その代表的な例がドイツ人建築家カール・ルードヴィッヒ・エンゲルが設計したヘルシンキ大聖堂(1852年)だ。デザインはサンクトペテルブルクの大聖堂を参照しているとされる。

左3点/1837年に建てられた刑務所を改修したホテル。厚いレンガの壁で断熱性が高い。右上/ヘルシンキ大聖堂(カール・ルードヴィッヒ・エンゲル、1852年) 右下/ヘルシンキ市庁舎(旧ホテル・セウラフオネ、カール・ルードヴィッヒ・エンゲル、1833年)</br>以下、写真はすべて撮影/倉方俊輔左3点/1837年に建てられた刑務所を改修したホテル。厚いレンガの壁で断熱性が高い。右上/ヘルシンキ大聖堂(カール・ルードヴィッヒ・エンゲル、1852年) 右下/ヘルシンキ市庁舎(旧ホテル・セウラフオネ、カール・ルードヴィッヒ・エンゲル、1833年)
以下、写真はすべて撮影/倉方俊輔

フィンランドのナショナル・ロマンティシズムを代表する国立博物館

フィンランド人のルーツは中央アジアにあるといわれる。フィンランド語はウラル語族に属し、インド・ヨーロッパ語族のスウェーデン語やノルウェー語とはまったく異なる構造を持つ。独自の文化を持ちながらも、フィンランドはスウェーデンとロシアという大国に挟まれて翻弄され続けてきた。

「ロシアの支配下にあった19世紀半ばに、口承文学を収集した叙事詩集『カレワラ』が出版されました。フィンランドに豊かな文化の伝統があることが世に示されたわけです。それを元にシベリウスが交響詩『フィンランディア』を書き、民族意識が盛り上がって、独立へとつながっていきました。そういう意味でフィンランドは、北欧の中でも最も熱いナショナル・ロマンティシズムが沸き起こった国といえるでしょう」。

フィンランド国立博物館(1910年)は、ヘルシンキにおけるナショナル・ロマンティシズムの代表的な建物だ。花崗岩の重厚な建築で、塔を備え、教会とも宮殿ともつかない形態をしている。細部の装飾には動物のモチーフや独特の植物文様のような造形が見られる。

「これ以前のフィンランドに花崗岩の建築はほとんど存在しないので、つくられた“フィンランドらしさ”といえるでしょう。分厚い石の壁を持ち、窓が小さくて寒冷な気候に耐える、堅牢な建築の伝統があったかのように見せています」。

フィンランド国立博物館</br>(ヘルマン・ゲゼッリウス+アルマス・リンドグレーン+エリエル・サーリネン、1910年)フィンランド国立博物館
(ヘルマン・ゲゼッリウス+アルマス・リンドグレーン+エリエル・サーリネン、1910年)

新たな“フィンランドらしさ”を創出したヘルシンキ中央駅

フィンランド国立博物館を手掛けた建築家の1人、エリエル・サーリネンのヘルシンキ中央駅は、ナショナル・ロマンティシズムの常套手段を超えて、新たな“フィンランドらしさ”を目指した傑作だ。

この駅は、フィンランドがまだロシアの支配下にあったときに計画された。はじめドイツ人建築家が新古典主義の駅舎を設計したが、ちょうど民族主義が盛り上がっていた時期で、フィンランド人建築家たちからの猛反対に遭い、コンペに切り替えられた。
サーリネンの一等案はフィンランド国立博物館に似たナショナル・ロマンティシズムのデザインだったが、これもまた、コンペに参加した若い建築家たちから抗議を受ける。古めかしく感傷的なデザインが、近代的な機能が求められる駅舎にふさわしくない、というものだった。

この抗議を受けてサーリネンは設計案を一から考え直し、約5年かけて新しい案を練り上げる。これをもとに現在の駅が完成したのは、フィンランドが独立した後の1919年だ。

「中央の大きなアーチ部分が入り口で、入り口としての機能が分かりやすく伝わります。もっと言えば、ヘルシンキ中央駅のアーチには、ジョイントのようなイメージがあります。駅とは、都市とほかの場所を結ぶ接合点、すなわちジョイントです。どこかへ行く。帰ってくる。その接合点として、都市に表出した半円形のように感じられる。アーチとは、空間を遮断するのではなく、区分しながらもつながる形です。サーリネンは、駅舎にふさわしい形としてアーチを選び取っているのです」。

アーチの両側には、ランプを捧げ持つ巨人像が2体ずつ立っている。
「これも独特の彫像ですね。伝統的な姿でもないし、ロマンティシズムとも少し違う。ここにしかない彫像があることで、たとえば駅に降り立ったとき、“ヘルシンキに帰ってきたんだ”という実感をもたらしてくれるでしょう。この彫像は、結節点としての駅の機能を高める役割を担っています」。

正面右側にそびえ立つ時計塔も独特の形態だ。
「当初案では中世の鐘楼のようでしたが、実現したこの塔は独創的です。まるで時計が地上から上昇していった、その軌跡が塔になったような形態です。塔に時計が付いているのではなく、時計を掲げるための塔だという、説得力のある形です」。
下から上へ、徐々に細くなっていく、上昇感のある形態はニューヨークの摩天楼を思わせるが、ヘルシンキ中央駅のほうがずっと早い。

「このあと、1922年にシカゴ・トリビューンが行った超高層ビルの設計案を競うコンペで、サーリネンは2位に入賞しました。当時、遠いフィンランドの無名の建築家がシカゴのコンペで上位に入ったことは、驚きを持って迎えられたはずです。サーリネンがヘルシンキ中央駅の設計をやり直す過程で、当時最新の建築動向を学んだことが、この受賞につながったのでしょう」。

この受賞をきっかけに、サーリネンはアメリカに移住する。このとき伴った息子が、JFK空港のTWAターミナルやチューリップチェアで知られるエーロ・サーリネンだ。

北欧の3つの国の近代建築は、同じナショナル・ロマンティシズムの枠に括られていても、それぞれに持ち味は異なる。

「ノルウェーは、ゴツゴツとした荒々しさの中に、ある種のロマンが漂う。神話的なダイナミズムを感じさせます。一方、北欧の中心に位置する大国スウェーデンは、自らの中に普遍的な原理を見ている。IKEAやH&M、VOLVOなどを世界に普及させた原動力がそこにあります」

周囲の国に翻弄された歴史と、独自のルーツを持つフィンランドは、多様な文化を受容し、折衷しながら独自のデザインを生み出してきた。
「フィンランドのデザインは優雅で流麗で、どこか可愛らしい。そこにはアジアにもつながるものがあって、だからこそフィンランドのデザインは、世界中で愛されるのかもしれません」。

ヘルシンキ中央駅(エリエル・サーリネン、1919年)ヘルシンキ中央駅(エリエル・サーリネン、1919年)

モダニズム建築が、改修しながらも生き生きと使われるストックホルム

最後に、戦後の北欧建築も紹介しておこう。

スウェーデン・ストックホルムの中心部には、1956年に完成した高層ビル群が残っている。地域性を排したインターナショナル・スタイルの、典型的なモダニズム建築だ。極寒の地にもかかわらず、外壁全面がガラスのカーテンウォールに覆われている。

「まるで板のような建物がずらっと並んでいて、各棟は番号で区別する。機械的なネーミングも含めてモダニズムです。同じ形のビルが並んでいますが、おのおの設計者が違うので、細部は少しずつ異なっている。統一と変化のバランスが絶妙です」。

この高層ビル群は1996年に再開発が行われている。
「北欧はエネルギー基準が厳しいので、サッシは新たなものに取り替えていますし、他にも時代に即したリデザインが行われています。しかし、建てた当時のモダニズムの精神は保たれている。余計な看板や装飾が加えられることもない。高度なマネジメントが行われていなければ、こうはいかないでしょう。モダニズム建築が、ただ残っているだけでなく、美しく保たれている。文化度の高さが伝わります」。

ノルウェー・オスロに拠点を置くスノヘッタは、建築とランドスケープを同時に設計する事務所だ。その出世作といえるのが、オスロ・オペラハウス(2008年)。臨海の再開発地区に位置し、海辺から続くスロープの延長上に建物が建つ。

「大地と一体化した、都市のシンボルとしての建築です。夜、丘の上で光を放つ姿は客船のようでもある。ガラス張りの幾何学的な建物の中に、入れ子状にホールがあり、内装には地場の木材をふんだんに使っています。堂々とした幾何学的な形状とクラフトマンシップが現代的に融合し、人工的な形の中にも自然界の原理を彷彿させ、新しいノルウェーらしさを打ち出しています。これからの北欧からどんな建築が誕生するのか、期待が高まります」。

取材協力:ClubTap
https://www.facebook.com/CLUB-TAP-896976620692306/

上2点/ストックホルム中央再開発地区(1956年、1996年)<br />下2点/オスロ・オペラハウス(スノヘッタ、2008年)上2点/ストックホルム中央再開発地区(1956年、1996年)
下2点/オスロ・オペラハウス(スノヘッタ、2008年)

2019年 12月08日 11時00分