下水道の役割とは

下水処理場では、汚水を浄化してから海に排出している下水処理場では、汚水を浄化してから海に排出している

下水道とは、雨水や汚水を集めて下水処理場で処理したのち、公共用水域に排出する施設である。
汚水は、水洗式トイレから流れてくる屎尿(しにょう)をはじめ、調理や洗濯などで生じる生活排水、商業施設や工場から排出される産業排水があり、浄化処理をしないまま河川に流せば、水質汚濁の原因の一つとなる。
汚水を直接河川に流してしまうと、水中に肥料分や栄養塩が増え、特定の植物プランクトンが急激に増殖してしまう。それに伴い、これらの植物プランクトンを捕食する動物性プランクトンも異常に増加する。その結果、赤潮やアオコが発生し、水中が酸欠状態になると、魚介類が死滅してしまう。当然プランクトンも死滅するが、その死骸がヘドロとなり、悪臭の原因となるのだ。
こうした汚水を処理場で浄化し、河川や海等に放流することにより水質の保全を図っている。

また、清潔で快適な生活環境を確保する公衆衛生の役割もある。屎尿により汚染された水が生活域のそばを流れると、伝染病の流行を助長させる可能性がある。これを「水系感染症」と呼び、下水道の普及していない時代は大きな問題となっていた。
さらに、浸水対策としての役割も果たしている。近年多発する局所的な集中豪雨に伴う都市型水害に対応した浸水対策をはじめ、雨水を速やかに流し去れるための水害抑止の意義も大きい。

世界の下水道の歴史

世界の歴史的に見ても、排水の処理は古くから重要視されていたようだ。下水道の歴史を遡ると、最古のものは西暦前3300~2700年ごろのインダス文明に見られる。
インダス文明最大級の都市遺跡であるモヘンジョ・ダロ遺跡では、各家庭の浴場やトイレから排出された汚水は、陶製またはレンガ作りの下水だめを通り、街路の下水溝に集められていた。この溝にはレンガ製の蓋がとりつけられており、衛生面の工夫が見られるほか、各家庭から排出される汚水量を計算して溝の太さを変えていたらしい。さらに、汚水の流れを緩やかにして小さなゴミを沈殿させ、上澄みのみを流す、沈殿池も設けられていたというから、立派な下水処理施設と言えるだろう。

また、メソポタミア文明でも下水道が見つかっている。西暦前2200年のバビロンにあったアッカド王朝の宮殿にはいわゆる洋式便器が存在し、汚水は宮殿の地下を通り、街路へと流されていた。この下水道はレンガ積のもので、直径1メートルほどもあったという。
また、ローマ遺跡でも、西暦前615年の下水道遺跡が見つかっている。もとは湿地帯からテヴェレ川へ排水するためのもので、「最大の下水」を意味する「クロアカ・マキシマ」と呼ばれていた。そして1世紀ごろにはディオクレティアヌス浴場などの公衆浴場や公共建築物からの排水にも使用されるようになり、現代にいたるまで利用され続けているのだ。
中世ヨーロッパの街にはトイレがなかったため、屎尿があちらこちらに落ちており、下水は豪雨の排水と町の洗浄を目的として整理されていた。処理されないまま道路や川に流していたため、コレラやペスト大流行の原因の一つともなっている。

1851年にロンドンで開催された万国博覧会で水洗トイレが登場している。しかし、当時のロンドンは下水道が発達しておらず、一般家庭に普及するのは19世紀後半のことだ。
ロンドンでは1815年に排泄物を下水道に流すことを許可されていたため、においは消えず、衛生状態もよくはなかったであろう。

欧米諸国と比べて遅れをとった日本の下水道整備

では、日本の下水道は、いつ頃できあがったのだろうか。
農業を中心として生活を営んできた日本では、人間の屎尿は肥料として利用されてきたため、ヨーロッパのように、屎尿を直接川に流したり、道路に捨てる必要はなかった。そのため、日本の河川は屎尿で汚染される程度は低く、下水道の必要性に迫られていることがなかったので、欧米諸国と比べると下水道の整備は遅れたようだ。

とはいっても、下水道の概念がなかったわけではない。弥生時代には、田に水がたまりすぎた場合の排水を目的とする水路が作られており、排水以外にも集落の防御や、用水を兼ねた用水路が作られていたようだし、藤原京には約200kmにもおよぶ道路側溝があった。豊臣秀吉は大坂城築城の際、「太閤下水」と呼ばれる、幅30cmから1.2mの下水を整備した。これは現役で使われており、一般財団法人都市技術センターに事前に申し込めば見学もできるので、興味のある方はぜひ、自分の目で確かめてみてほしい。

近代における下水の歴史

下水道が整備されるまで、生活排水は側溝に流されていた下水道が整備されるまで、生活排水は側溝に流されていた

日本においては、明治時代に旧下水道法が成立しているが、雨水による浸水問題に対処するための下水排除のみを目的とするものだった。その後、失業対策として下水道事業に着手する都市もあり、昭和15年には約50都市が下水道事業を行っている。
戦争がはじまると下水道事業の進展はストップするが、下水道そのものの被害は小さく、昭和25年には東京都市計画下水道の計画が決まっている。

さらに、昭和33年に下水道法が改正され、「都市環境の改善を図り、もって都市の健全な発達と公衆衛生の向上に寄与する」が目的として追加された。しかし、まだ水質保全については言及しておらず、河川の汚濁が問題となりはじめた昭和45年の改正で、「公共用水域の水質の保全に資する」との文言が目的に加わわることになった。

このようにして、下水道は雨水を排出するものという位置づけから、汚水を衛生的に排出するものに進化してきた。その結果、一時期は汚染されきっていた都市の川も、メダカやしじみなどが戻ってきているという。
普段は目にする機会の少ない下水道だが、私たちの生活を支えている縁の下の力持ちであることは間違いない。自分たちが流したものが、どのように処理されれるのかを理解して、少しでも河川の清浄化に努めたいものだ。

2016年 08月07日 11時00分