染め物の一大産地、妙正寺川沿いに人目を惹く建物

日本で有名な染物の産地はどこ?と問われて、今、東京を挙げる人はほぼいないだろう。
だが、江戸時代、そして明治以降の東京が日本一の人口を抱える流行の発信地であったことを考えると、そこに染物産業が存在していなかったわけはない。千代田区神田に紺屋町の地名が残されていることからも分かるように、当時の神田、浅草には多くの染物工場などが集積していたという。

ところが明治以降の神田、浅草の都市化に伴い、染物工場は水量の豊富な神田川、妙正寺川沿いに移転していく。ことに妙正寺川沿いの高田馬場から落合、中井にかけては工場が点在、戦後間もない頃までの東京、わけても新宿エリアは京都、金沢と並び、三大産地だったという。昭和30年代までは川のあちこちで染物の水洗いをする姿が日常的に見られたとも。現在も新宿区染色協議会には個人も含め、40社以上が加盟。そのうちの多くは高田馬場から妙正寺川エリアに集中している。

その歴史、現状をまちづくりに活かそうと、中井駅を中心にした川沿いでは「染の小道」なるイベントが開かれている。2018年に10回目となるイベントで染物が飾られた川沿いをそぞろ歩いていた多くの人の目を惹いた建物がある。駅からは歩いて2分ほど。新築にも関わらず、まちの歴史を感じさせる純和風の建物である。

染の小道のイベント中、写真正面奥に目立つ建物を見つけた。これが染の町家である染の小道のイベント中、写真正面奥に目立つ建物を見つけた。これが染の町家である

きれいに古びる自然素材で建設

上は住宅側から、下はその反対、貸しギャラリー側から見たところ。イベント当日、この物件の前に立ち止まる人、背景に写真を撮る人が多かった上は住宅側から、下はその反対、貸しギャラリー側から見たところ。イベント当日、この物件の前に立ち止まる人、背景に写真を撮る人が多かった

「染の町家」と名付けられた川沿いの一画は賃貸住宅、貸しスペースの2棟からなる。細長い土地には元々古い建物があり、それを新しくするにあたり、オーナーが要望したのは街区の景観を作り、長く使える建物。

「日本には社寺や城郭を除いてストックという概念がなく、20~30年でバラックになってしまう木造住宅が多く建てられてきました。使用建材の色や仕上げの違いばかりが目立つ家づくりを続けてきた結果、落ち着いた街並みや景観が日本中から失われてきたように思います。依頼を受けて、この土地の由来を調べてみたら独自の文化、歴史があり、それにちなんだイベントも行われる特別な場所。それに似つかわしく、きれいに古びてまちの歴史に溶け込む建物を作ろうと考えました」と設計・監理に当たった建築家の高橋昌巳氏。三代持つ家をと日本建築を作り続けてきた人である。

そのためにサッシやキッチン、照明器具、水栓などを除いては基本、自然素材が使われている。木材は埼玉県の西川材だ。これは埼玉県南西部、荒川支流の入間川、高麗川、越辺川流域の、江戸の西のほうの川から来る材という意味で名付けられたもので、飯能市を中心に日高市、毛呂山町、越生町の産。自然素材というだけでなく、地産地消なのである。具体的には床にひのき、柱に杉、天井板にさわらが使われているという。

次から次に室内を見たがる人がやってくる!

1階はワンルームだが、ほぼ同じ広さの2階は住む人が使い方に合わせて仕切れるようになっている。浴槽はなく、シャワーブースだが、腰掛けのあるリラックスできるタイプ1階はワンルームだが、ほぼ同じ広さの2階は住む人が使い方に合わせて仕切れるようになっている。浴槽はなく、シャワーブースだが、腰掛けのあるリラックスできるタイプ

室内の壁には土佐和紙、漆喰を使った。外壁は土佐漆喰である。一般的な漆喰は保水性、作業性を上げるためにのりが入っているが、のりは水に弱く、常に雨にさらされるような場所では脆くなることがある。ところが、土佐漆喰はのりではなく、藁を発酵させてできる糖類を代わりに使っており、水に強いのが特徴。台風、雨の多い土佐(高知県)ならではの製品なのである。そのため、長く持つ家には最適な材料だが、下地からの工程が多く、作業に手間、時間がかかるのが難だ。

外壁の木部の黒はべんがらに松煙、柿渋を混ぜたもの。いずれも自然素材だが、そのままでは2~3年で流れてしまうため、その上に油が塗られている。今回は荏胡麻の油を2回塗ったとのこと。こちらも手間のかかり方では土佐漆喰に負けない。

だが、それは当然と高橋氏。「工業製品を組み立てることで作る今の家と違い、自然素材の日本家屋は手間の塊とも言うべき存在。現場での作業が多く、誂える、仕立てるという言葉にふさわしいものなのです」。

しかし、その丁寧な作りが通る人の目にも分かるのだろう。足場が取れて以降、道行く人の多くはこの建物の前で立ち止まり、不思議そうな顔で眺める。時には作業中の職人さんを捕まえて室内が見たいとねだる。しかも、そういう人が次から次へと訪れる。「まちの人からも良い建物と好意的な声を頂いています」という。

不動産会社が間取り図を用意する前から申込み多数

B棟201号室室内。高い天井を生かしてロフトも作られているB棟201号室室内。高い天井を生かしてロフトも作られている

室内で目を惹く太い梁、柱は燃え代設計のため。これは火事で燃える部分(燃え代)をあらかじめ想定、部材の断面寸法を考える設計のこと。非常に簡単に言えばある一定時間表面が燃えても、強度が落ちないような太い材を使うというものだ。この設計を採用すれば以前なら絶対にダメとされた窓に木の格子を使うことなども可能になる。ただし、まだ、それほど事例はないそうで、今回、新宿区では初めてとか。「新宿区は非常に慎重に4年前に私が恵比寿で建てていたことから渋谷区に問合せ、続いて国土交通省にも問合せ、それでようやくOKが出ました」。良い建物を作るのは大変なのである。

さて、気になるのは住戸の内容だが、住宅は1階、2階に各2戸で全4戸。いずれも28m2強で1階は仕切りのないワンルームとなっており、2階は仕切りを閉めて1LDKなどとして使うこともできる。キッチン、収納は豊富に取られているが、風呂はなく、座っても利用できるシャワーブースのみ。近所に銭湯があることから、湯船に浸かりたい時にはそちらを利用すれば良い。賃料は1階が9万円から、2階は11万円前後だが、不動産会社で間取り図を用意する前から申込みが入っており、この記事が出るまでにはほぼ決まってしまう可能性も大きい。

もう1棟の多目的スペースも住戸と併せて貸して欲しいという申し込みがあるそうだが、取材時点ではペンディングとなっていた。地域のために役立つ使い方で長く借りてもらいたいというオーナーの意向があり、申込みがあったからすぐに決めるということではないのだ。

住宅はまちの財産という考え方

ただ、幸いにして今回の2棟が決まったとしてもそれでおしまいというわけではない。現在、賃貸棟の隣には工事の作業所として使われている古家と駐車場があるのだが、この土地にも同様の住宅が建設される計画があるのだ。

「第二期工事は古家解体後、4月から始まる予定で9月に完成の予定。全体で3棟、同じ住宅が並べば、まちの風景は変わります。よく、一戸建てを建てる人はお金さえ出せば自分の好きなモノをなんでも建てていいように思っているようですが、そんなことはありません。住宅は自分のモノであると同時にまちの財産。まち全体を見なくてはいけません。隣と同じ建物でも、暮らし方、使い方で個性は出ます。ここはそんな、日本の昔からの家の作り方を踏まえた、見ていて安心できる町並みになるはずです」。

今、伝統工法で家を作れる職人はどのジャンルでも全体として減っている。その中でこれだけの住宅が作れるのは素晴らしい。しかも、高橋氏は「30年間やっているから」とごく淡々と語る。氏は独立当初、親のような年上の職人さんたちと仕事をし、やがてその子ども世代とというように、長らく変わらない人達とチームを組んで仕事をしてきたから、世の中の人手不足とは無縁というのである。だから、良い仕事になるのだろう。設計、材料の魅力のみならず、仕事に誇りを持って続けてきた人が見せる技術が誰もが立ち止まって眺める家に凝縮されている。賃貸でこれだけの家を作ろうとしたオーナーも含め、拍手を送りたい。

*問合せは中井駅前にある大和田不動産 
https://townpage.goo.ne.jp/shopdetail.php?matomeid=KN1300060500212449 まで。

写真左上から、軒の下には暖簾を掛けられるようになっている。階段の手すりの細工の気配りにびっくり、貸しスペースの窓の外にはこんな飾りが。室内のあちこちに古い建物のガラスなどが使われている写真左上から、軒の下には暖簾を掛けられるようになっている。階段の手すりの細工の気配りにびっくり、貸しスペースの窓の外にはこんな飾りが。室内のあちこちに古い建物のガラスなどが使われている

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