マンション街の公園の前のオフィスビルに拠点ができた

中央区はマンション増加で人口も増え続けている。中央区はマンション増加で人口も増え続けている。

中央区は人口増加、出生数も増加で、今や16万人近い人口を有する。至る所にマンションが建ち、既存の住民に加えて、若い夫婦や子どもいる世帯、あるいは1人暮らしなど、多様な人々が新規に流入してきた。
ビジネスパーソンだけでなく、茅場町でスタートしたセレクト古書店である森岡書店(現在は銀座)など、都心であることのメリットを生かした店舗もちらほらと出来ている。十数年ほど前からのCET(セントラルイースト)の活動が、東日本橋、馬喰町方面で古いビルを活用して新しい店舗や事務所を多く誘致したことは周知の事実だ。
 
そういう流れの中で、建築家の大和田栄一郎と井上湖奈美の二人組からなるSoi(ソーイ)が昨年12月に完成させた中央区新川の明祥ビルは、21世紀の長屋ともいうべき面白い試みだ。
明祥ビルは、もともと印刷会社の本社ビルで、最上階の5階に経営者の自宅があった。ビルが古くなったので、別の活用方法を考えた経営者の小森洋一氏は、大手デベロッパーに相談したが、お金がかかる割には面白いアイデアが出ないことが不満だった。

そこで相談したのがSoiだ。最初はコンサルタント的な位置づけでビルの再活用プロジェクトに関与していたSoiだが、結局小森氏が大手デベロッパーに見切りを付け、Soiに仕事を依頼することにした。

Soiは、さまざまなアイデアを検討した結果、Soi自身がこのビルに事務所兼住居を移転する案を思いついた。
地方出張が多いSoiにとっては、東京駅まで歩こうと思えば歩ける新川に拠点があることは、それまで事務所兼住居があった渋谷区千駄ヶ谷よりもずっと便利だった。

しかしただ自分たちが移転するだけではつまらない。あと4フロアをどうするか。どうせなら、地域に開かれた拠点にしたい。千駄ヶ谷でも彼らは神社で「千駄ヶ谷タウンマーケット」を開くなど、単に建築を設計するだけでなく、地域社会との関係を設計することを自分たちの大きな役割だと考えていた。

場所をシェアする職住一致ビル

5階のコモンスペース。近所の老舗酒店の今田さん(左)はこういう場所が出来て大満足。5階のコモンスペース。近所の老舗酒店の今田さん(左)はこういう場所が出来て大満足。

そこで、明祥ビルでも、ビルに入居する人たちが、新川の既存住民(その多くは商店や町工場の経営者である)と新しい良い関係を築けるようなプランを考えることにした。
ビルを単に住居やシェアオフィスにするのではなく、そこに住んで働く人を中心に集めようと思った。
Soi同様、都心に拠点があることは、様々な人たちにとってビジネス面でも個人的なつながりの面でもチャンスをもたらす。そういうチャンスを生かしたい人たちを借り主として入居させることにした。

そう考えると、Soiの事務所兼住居にも工夫が必要だった。考えた末、事務所自体を他の4フロアの住民とその知人や仕事仲間でコモンスペースとして使えるようにした。間取りをマンション風にいえば1LDKにして、「1」の部屋は二人だけのプライベートな部屋にする。しかしLDKの部分は、窓際のスペースだけを自分たちの事務所にして、ダイニング、キッチン、バス、トイレはみんなでシェアすることにしたのだ。

もちろん各フロアにトイレはある。シャワーが付いたフロアもある。しかし湯船のあるバスはここだけである。そこをみんなで使う。キッチンも住民が好きなときに料理をする。ダイニングは食事だけでなく、打ち合わせ、接客などにSoiも他の住民も使う。
屋上もみんなのために積極的に活用する。洗濯機をシェアし、バーベキューパーティなどを屋上でする。

また毎月1回住民みんなが集まる食事会を開いている。食べ物は持ち寄りである。食事会にはオーナーの小森氏も来ることがあるし、近くの老舗酒屋の今田商店の奥さんも毎日3、4回来るほどこの場所が気に入っている。

「こういう場所がずっと欲しかったの!」と今田さんは言う。関西から今田商店に嫁いできて、数十年。昔ながらの下町の雰囲気を知っている。なにしろ新川は、江戸時代以来、隅田川の水運を利用して酒問屋が川沿いに並んでいたのである。今も、門前仲町の富岡八幡の御輿が今も通る。そういう歴史のある町である。

だが、次第に店が減り、工場が減り、住民が減り、今は、マンションが増えて人口は増えたが、それだけじゃあつまらないと今田さんは感じていたに違いない。なんかこう、昔の賑わい、人同士のつながりが実感できるような場所がほしい。そう考えていたのだ。だから明祥ビルのリノベーションは願ったりかなったりだったのだろう。

長屋の住民はどんな人か

さて4フロアの住民のほうであるが、これまでSoiがいろいろな機会に出会って来たデザイナーなどに声をかけることにした。かつ各部屋はスケルトンで引き渡し、住民自らがDIYなりの方法で自分の好きなように床を張ったり、壁紙を貼ったり、貼らなかったり、好きな什器を入れたりしてもらうことにした。

1階はカフェ。仙台で本郷さんという美容師さんがコーヒースタンドを荷台に積んだ改造自転車から始めた店の東京支店であり、Soiが出張の際に偶然見つけて立ち寄り、本郷さんと意気投合。出店を打診した。
新川周辺はビジネス街なので、飲食店は平日のランチタイム中心。だが増大している地域住民や明祥ビルの入居者のために、土日も朝から営業するSUNDAY MORNING COFFEEというお店にした。
また、カフェの横にもコモンスペースがあり、そこで地域との交流を促進するようなイベントを仕掛けていくつもりだ。

2階は2区画に分かれている。1つは、福岡県八女市で活躍する地域文化商社が経営するショップ「うなぎの寝床」。もんぺは日本のジーンズであるとキャッチフレーズに、新しいファッションとしての久留米絣を使用した現代風もんぺを販売している。同時に、九州各地を中心に、衣服、器、食品、郷土玩具など、地方の産品を紹介し販売する。Soiとの出会いは、別の仕事のクライアント経由。

もう1区画は、山形から来たデザイナーの女性がここに住みながら、衣服をベースにプロダクトを含めたものづくりの活動をし、販売もしている。
売っている商品は自分のデザインしたものや彼女がセレクトした商品や知り合いのもの。山形ではやはりいわゆる「都会的」な商品をほしがる消費者が多く、彼女のデザインをほしがる人は少ない。ものづくりは山形で行うが、販路や事業の広がりを都会に求めて入居を決めた。Soiとは、月島で開催していた展示会に足を運んだことから知り合った。

3階も2区画に仕切られている。1つはジュエリーブランド2業者のシェアアトリエと予約制のショールーム兼ショップ。住居は別。両ブランドデザイナーは美術大学での同期。お互い都心での活動拠点を探している時に知人を介してこの物件に出会った。自由にブランディングできる空間、制作空間として適しているスケルトンスペースが決め手だった。また、中央区という立地はmade in Japanを主体としたファッション業界に将来性もあり、実際バイヤーやエンドユーザーにも案内しやすくなった。

もう1区画は、写真家の夫とイラストレーターの妻の夫婦で、一歳の子どもと住みながら働く。知り合ったきっかけは前述した千駄ヶ谷タウンマーケットである。彼らは床を張る作業を自分たちで行った。よちよち歩きの一歳の息子は住民みんなのアイドルだ。

4階は靴のデザイナーの工房兼ショールーム兼教室兼サロン兼住居。かなり立派なキッチンもしつらえられている。今までは渋谷に住んで板橋の工房兼教室に通っていた。また自分が経営する専門学校で靴づくりを教えているし、他の仕事などでも都心にも頻繁に通っていた。そういう意味で新川はとても便利だという。

ジュエリー、靴、衣料品、雑貨など各種の店舗が入居したジュエリー、靴、衣料品、雑貨など各種の店舗が入居した

生業(なりわい)によって地域がつながる

写真家とイラストレーターの夫婦は子どもとここに住む。Photo : Keita Otsuka写真家とイラストレーターの夫婦は子どもとここに住む。Photo : Keita Otsuka

建築的な面白さでいうと2階、3階の4つの部屋は、ビルの入り口から階段を上がり(エレベーターはない)、普通の鉄のドアを開けると、廊下があって、廊下に面してガラス張りになっている。だから、ビルの中に商店が並んでいる形になっている。
しかもその奥で商品を作ったり作業をしたり寝泊まりしたりしているわけだから、まさに長屋みたいなものなのである。実際、このビルを見た地元の人が何人も「これは長屋だね」と言ったという。

長屋や商店や中小の工場が密集していた昔の新川を思い出させる役割も明祥ビルは果たしているのだろう。本当の長屋などの木造の建物を残すのではなくても、現代的な長屋ができることで、新川という町の歴史と個性を受け継いでいるとも言える。

関東大震災の後、復興のために設立された財団法人同潤会は、表参道や代官山に鉄筋コンクリート造のアパートを造っただけでなく、板橋、千住緑町、大田区千鳥町などに職工向けの分譲住宅をつくった。また、赤羽、荏原、砂町、善福寺などにつくった普通住宅と呼ばれる、今で言うメゾネット形式の住宅にも、職人がそこに住んで働くことを前提とした職住一致型の住宅を用意した。つまり、住まいだけを復興させたのではなく、仕事の復興、生業の復興ができるようにしたのだ。
東京市も、震災後に「店舗向き住宅」というものを分譲している。清澄白河の清澄通り沿いにある商店街がそれだ。

また同潤会アパートでは、共同で使う台所、洗濯場、浴場、あるいは娯楽室や図書室などをつくり、江戸川橋アパートでは住民同士が順番に講師となる文化教室を開いたという。都市の中に一緒に住み、働き、文化的な活動もすることを狙ってつくられたのである。

本当の都市の暮らし

こうした動きは、戦後途絶えた。みんなが「独立専用住居」としてマイホームを買い、住居と職場は分離された。都心の工場や商店で働いていた人たちも郊外から通勤するようになった。都心の夜は空洞化し、にぎわいがすたれ、人間関係も薄れた。

今、中央区で人口が急増しているからといって、その人々の暮らしぶりは都市に住むことのメリットを生かし切っているとは言えない。家族だけで閉じて暮らしている。地域とかかわらない人が多い。
としたら、郊外の一戸建てが、都心のマンションに変わっただけで、たしかに銀座や日本橋が近くなったけれど、ライフスタイルとしては郊外暮らしとあまり変わらないだろう。

大和田さんは言う。「僕は建築家だけど、建築を設計するというだけのことには興味がなくて、建築を取り巻く人間関係、地域との関係、それからお金の回し方、ビジネスモデルまで含めた設計をしたいと思っているんです。だから明祥ビルも、極端な話、建築雑誌に出る必要はなくて、もっと別の注目のされ方をしたいんです」

靴をつくったり、ジュエリーをつくったりする音や光や熱や匂いは、さすがに昔の下町のように、ビルの外に漏れてくることはないだろう。しかし、そういう時代の下町の、生活と職業が一体化した生業の町の雰囲気や、お互いが何かと助け合ったり、場所は物を共同利用したりするシェア的暮らしが受け継がれているところに、この明祥ビルの面白さがある。こういう暮らしが本当の都市の暮らしなのではないだろうか。

1階のカフェは地域に開かれた場になる。1階のカフェは地域に開かれた場になる。

2018年 02月24日 11時00分