江戸時代の町人の引越し事情

江戸時代の暮らしが見えてくる?町人の長屋事情~江戸時代の住まい事情①」にも書いたように、江戸時代の町人は、ほぼ長屋に住んでいた。もちろん裕福な町人や大名など、大きな屋敷の住人もいたが、それはほんの一握りだ。
そしてその長屋は、非常に安普請に作られていたから、町人のほとんどは、家に対して特別の愛着を持ったり、凝ったしつらえにしたりはしなかった。

また、江戸時代の長屋の特徴は、「住人は一蓮托生」という感覚だろう。ぐうたらな性格でも、喧嘩っ早い性格でも、「同じ長屋に住む仲間」として受け入れられたから、「新天地で友人ができるだろうか、仲間はずれにならないだろうか」などと心配する必要はなかった。

そんな事情もあり、江戸時代の町人たちは、気兼ねせず思い立ったときに引越しをしていたようだ。

江戸時代の引越し事情とは

畳や家具は道具屋に売ったりして、身軽に引っ越しができた畳や家具は道具屋に売ったりして、身軽に引っ越しができた

特に上方では、畳をはじめ、道具類はいっさい入っていない状態で借りる「裸貸し」の長屋が一般的だったから、引越すときもすべて持ち出さなくてはならない。引越し先が遠いと大変だと思われるが、道具屋や「損料屋」と呼ばれる生活物品を貸し出すレンタル業者が存在したので、問題はなかったようだ。
引越してきたときは近所の道具屋から古道具を購入し、引越していく際には売却する。あるいは損料屋から道具を借りて、引越していくときに返却する。これならばどこへ引越すにも身軽に移動できて合理的だ。

「畳割」といって、畳の大きさを基準として長屋が建てられていたので、建具も規格化され、どの長屋でも問題なく使えたという事情もある。
もちろん、親の形見を大切に保管している町人もいただろうし、私有の家具がゼロとは限らない。それでも貧しい町人のこと、家財道具の量は限られていたようだ。

上方落語に、その名もずばり「宿替え」という演目がある。江戸落語では「粗忽の釘」と呼ばれるもので、人気の高い演目なのでご存知の方もいらっしゃるだろう。この場合の「宿」とは旅館を意味するのではなく、住居のことだ。

物語は、粗忽(うっかり)者の男が引越しをするところから始まる。炬燵や漬け物石など、家財道具すべてを一枚の風呂敷に包んで運ぼうとするが、敷居も一緒にくくってしまっていたため、いくら立ち上がろうとしても動けないのだ。
風呂敷に入る程度の家具しかないのがわかるだろう。

町人たちのご近所づきあいは、実は最高のセキュリティ対策だった

落語では、囲炉裏端で大家と住人がさまざまなドラマを繰り広げる落語では、囲炉裏端で大家と住人がさまざまなドラマを繰り広げる

トイレが共同で、風呂は銭湯が一般的だったから、江戸時代は人と人の垣根が低く、ご近所づきあいも濃厚だった。壁も薄かったので、隣でなにをしているのかも丸聞こえだっただろう。だから、誰かが困っていれば助けるのは当たり前。困っていれば誰かが世話をしてくれるのも当たり前だった。

また、親戚に犯罪者がでれば、一族に類がおよぶ。「犯罪者の親戚」と言われないように、互いに互いを気にかけていたから、交流も濃厚だったし、「親戚に迷惑をかけてはいけない」という意識も強かった。このような事情から、セキュリティはほとんど整備されていなかったにも関わらず、現代に比べても犯罪が少なかったという。

もちろん、それでも泥棒が入ることはあった。しかしそのような場合でも、隣の気配がはっきりとうかがえるから、「あれ?隣の八つぁんは今留守のはずだが、なぜゴトゴト音が聞こえるのだろう?」と思えば、様子を見に行く。まさに「生きた監視カメラ」である。ご近所づきあいによるセーフティネットは強力なのだ。

このように、さまざまな交流があったので、長屋の入り口は開放的で誰でも出入りできた。特に、表長屋は表通りに面していたため、旅の途中の旅人が立ち寄ることもある。このようにして、江戸時代の人たちの人脈はさらに広がり、それがさらにセキュリティを強化していたのだろう。

江戸時代の地主と店子の関係

大家と店子(住人)の関係はさらに濃厚だ。大家は家賃を集めたり、管理したりする「管理人」のような役目で、地主ではないことも多かったが、「店子となったからには子供も同然」という意識があり、面倒をよくみたらしい。「餅屋問答」や「持参金」など、大家さんが店子の就職の面倒をみたり、お嫁さんを世話したりする落語もたくさんある。

大家は、ぶらぶらとしている店子がいれば、「わしの知り合いの古物商が店番をほしがっておってな。ちょっとおまえさん行ってみんか」と、紹介状を書いたりして、いろいろと世話を焼いたようだ。そして紹介した後も、店子がちゃんと役に立っているかフォローするために「うちの八っつぁんはちゃんとやっているかね」などと職場に顔を出すから、「あんたの住人で、うちに働きにきてくれる人はおらんかね」と相談を受けるチャンスも増える。このようにして大家の人脈は増え、知識も豊富になるわけだ。

文字を読んだり書いたりできない町人もおり、ものをよく知らない町人も多かったが、大家や物知りのご隠居が代わりに本を読んだり書いたりするなどして教えてくれるので困らなかった。自分ができないことは、誰かにやってもらうのがふつうの感覚だったから、「自分はダメな人間だ」と落ち込む必要もなかったのだろう。

現代人に比べると、江戸時代の町人たちはおおらかで温かく感じるが、江戸の町に多いものを「火事、喧嘩、伊勢屋稲荷に犬の糞」というように、衛生的ではなく、ガラも悪かったと考えられる。

どんな時代にも一長一短はあるもので、江戸時代が良かったとは一概にいいきれないが、セキュリティを考えたとき、住人同士の交流は、江戸時代を参考にした方が良いのかもしれない。

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