人と人の付き合いから始まる滑稽噺

落語家歴30年の笑福亭純瓶さんにお話しを伺った落語家歴30年の笑福亭純瓶さんにお話しを伺った

落語には大きく分けて上方落語と江戸落語があり、とにかく笑えることに力を入れる上方落語と、粋を重要視する江戸落語という違いがあると言われるが、人と人の触れ合いを描いている点は同じ。その舞台は長屋であることが断然多く、長屋の住人が登場しない落語を探す方が難しいぐらいだ。

物知りなご隠居の甚兵衞さんや、面倒見の良い徳さんや源さん、うっかりものの喜六や、しっかりものの清八と、顔ぶれは多彩だが、長屋に住む人たちはみな大らか。多少迷惑をかけられても気にせず、お互いに面倒をみあいながら、楽しくやっている姿が見てとれる。

落語の世界では、ご近所の交流が笑いを生み出していくが、一昔前の日本では、これが普通だったのだろうか?
ご近所づきあいが良好だと、旅行や長期出張で家を空ける時も安心だし、防犯にもご近所の目が大変有効だと言われている。落語の世界を現実にそのまま移すことは無理だとしても、見習えるところは見習いたいものだ。

そこで落語に描かれる長屋の付き合いについて、落語家歴30年の笑福亭純瓶さんにお話しを伺ってみた。

長屋の人情を描いた落語

まず、長屋の人情を描いた落語にはどんなものがあるのだろうか。
「例えば『黄金の大黒』は、長屋に住む人たちの人情……というか、すかたん(上方言葉で『間のぬけた人』という意味)の素晴らしさを描いた作品と言えるんじゃないでしょうか」
と純瓶さん。落語好きの筆者だが、『黄金の大黒』は知らなかった。非常にメジャーな落語というわけではなさそうなので、ストーリーを聞いてみよう。

「貧乏長屋の大家の息子が砂場で黄金の大黒様を掘りだすんです。これはめでたいとお祝いになるんですが、その席で、長屋の住人たちはいつも通りの大騒動を起こします。するとそれを見ていた大黒様がそろっと出ていこうとするじゃありませんか。ここから先のオチはいくつかあるのですが、江戸落語で一般的なのは、大黒さんが仲間を呼んでくるパターンです。大黒様が出ていくのに気づいた大家さんが、あまりのひどい騒動に気を悪くされたのではと心配して声をかけると大黒様、『バカ騒ぎがあまりにもおもしろいので、仲間を呼んでくるんだ』というわけです」

大黒様の仲間といえば七福神だろうから、長屋の連中の間抜けな騒ぎが、長屋に福を呼ぶ噺なのだろう。それも、長屋の住人達の気の合ったドタバタ振りだからこそのこと。当時の長屋気質というか、たくましく生きる人たちがまぶしいほどだ。

当時の長屋事情

当時の長屋の一角の様子当時の長屋の一角の様子

マンションやアパートなどの集合住宅でも、隣人が男か女かさえ知らない人が増えてきている昨今と、長屋の住人たちが濃い付き合いをしている落語の世界。いったい何が違うのだろう?

「昔の長屋は運命共同体で、助け合いが普通でした。珍しい食べ物をもらったり、たくさん料理を作ったりしたら、お裾分けをする。困った人がいたらフォローする。独り者がいたら嫁さんを世話する。それが当たり前という感覚だったのです」
と純瓶さん。

驚いたことに当時も引っ越しは珍しくなく、長屋の住人同士といっても古い付き合いとは限らないのだとか。だが、同じ長屋に引っ越してきたときから、仲間としての人間関係が始まるのだ。なぜそこまで密な関係ができるのだろうか。
「一緒に住むことになったのはご縁があるからだという考え方があるのだと思います。また、壁の薄さもあるでしょうね。隣で何をやっているか気配ですべてわかりますから、他人事ではないのでしょう」

確かに、『骨釣り』(江戸落語では『野ざらし』)では、主人公の茂さんのところに隣の貴ぃ公が飛び込んできて、「夕べは茂さんが女性を連れ込んで、イチャイチャしてたから眠れなかった」と愚痴を言っている。すべて丸聞こえでは気取っても仕方がないというものだろう。隣の住人がどんな人かわかっていれば、困っているときには助けてやろうとするのが人情というもの。現代社会でさけばれる『人間関係の冷たさ』は、無関心より情報不足が原因かもしれない。

江戸時代の人々は現代と似ている部分も

迷惑なご近所とは付き合いたくないものだが、落語では同じ長屋に困った人が住んでいても、仲良くやっているようだ。困った住人とはどんな人で、どうやってそれをフォローしていたのだろうか。

「落語の中でお荷物とされるのは、何と言っても独り者。男やもめです。嫁さんのいない男は、社会的立場が低く、独り者は恥ずかしいという意識がありました。ですから、お嫁さんを世話する噺も多いですよ。例えば『持参金』では、世話焼きの徳さんが仲人役をしています。面白いのは、江戸時代の男たちは一通りの家事ができたこと。米一つ炊けない男に嫁の来手はなかったそうです。江戸時代にはイクメンも多かったと思いますよ」
と、純瓶さん。

意外なことに、男子厨房に立たずと言われるようになったのは明治以降で、江戸時代の男たちは進んで料理をしたそうだ。例えば『一人酒盛り』は、要領の良い男が男友達に家事を全部やらせてしまうという話。また『寄り合い酒』は、嫁の来手がなく、家事もできない男たちの話なのだそうだ。落語の中では女性たちの立場も強く、亭主を叱りつけたりしている。誰か一人が偉そうにするのではなく、みんな同じ立場でものを言い合い、世話を焼き合うのが落語における長屋の風景。だから、長屋の子が悪さをしたら当たり前のように叱るし、物知りの御隠居さんが、すかたんの喜ぃ公に振り回されてしまったりするのだろう。

長屋の良さを現代に置き換えると

しかし、現代では落語のような付き合いは難しい。少しでもそれに近づけようと思えば、どのようにすれば良いのだろうか?
「まずは隣の住人がどんな人か知るところからではないでしょうか。現代は、近所のあの人も、この人も、『知らない人』なんです。知らないもの同士だから人の目を気にしないし、恥もない。恥がないからゴミの分別もしないし、騒音も出す。昔は町内中の人が、どこかで何かつながりがあったので、モラルや遠慮がありました。道で会ったら挨拶をし、ちょっとだけでも顔見知りになるところから始めれば、全然違ってくると思いますよ」
と純瓶さん。

他人と深いかかわり合いを持たないのが自然になってしまっている現代では、いきなり濃密な人間関係を築き上げるのは難しい。でも挨拶だけならそれほど高いハードルではないだろう。

さらに純瓶さんは「人付き合いが苦手な人は、落語を勉強したらいいかも」と付け加えた。
落語は一人で何役も演じるため、落語を学べば客観的に人間関係を見られるようになるそうだ。話術も磨かれるので、一石二鳥かもしれない。落語教室は文化サロンなどでも開かれているので、興味のある方は調べてみてはいかがだろう。

2015年 01月25日 11時14分