伝統工芸品の産地では後継者不足という深刻な問題を抱えている

岐阜県への移住を考える人を対象に、東京と名古屋で毎月開催されている
「清流の国ぎふ暮らしセミナー」。起業、商店街の活性化、林業、IT産業、就農などさまざまなテーマで岐阜県移住のための情報を伝えている。今回取材したのは、「伝統工芸をなりわいにする生き方」がテーマ(会場:NPO法人ふるさと回帰支援センター)
岐阜県への移住を考える人を対象に、東京と名古屋で毎月開催されている 「清流の国ぎふ暮らしセミナー」。起業、商店街の活性化、林業、IT産業、就農などさまざまなテーマで岐阜県移住のための情報を伝えている。今回取材したのは、「伝統工芸をなりわいにする生き方」がテーマ(会場:NPO法人ふるさと回帰支援センター)

理想の住まいや暮らし方を求め、地方へ移住する人が増えている。田舎暮らしに憧れていた、農業に興味があったなど、移住にいたったさまざまな理由があるなかで、その地域に伝わる伝統工芸の職人をめざして移住するケースも少なくないという。

日本の伝統工芸品には陶磁器、漆器、木工品などさまざまな分野があるが、その産地の多くは後継者不足の問題に直面している。そうした背景もあって、伝統工芸の技術修得を目的にした移住者の支援に積極的に取り組む自治体が増えているようだ。支援内容は自治体にもよると思うが、伝統工芸の創り手をめざしてみたい人にはチャレンジしやすい環境が整ってきているといえる。とはいえ、伝統工芸を仕事にするという選択は、地域、ひいては日本の伝統文化の担い手になる道へと進むことでもある。高度な専門技術を身につける必要があるうえに、一人前になるまでには時間もかかるだろう。決してたやすい道ではないと思うが、移住して慣れない土地でどうやって技術を修得するのだろう? 住まいや暮らしぶりは? 食べていけるのか!?

そんな興味をもっていた筆者なのだが、伝統工芸をキーワードにした移住セミナーが東京で開かれると知り、取材に出向いた。「清流の国ぎふ暮らしセミナー 長良川が育む職人の技~伝統工芸をなりわいにする生き方~」と題した、岐阜県への移住セミナーだ。セミナーでは県外から移住して伝統工芸の世界に飛び込んだという2人の女性を交えてのトークセッションが行われた。そこで語られた移住体験談を中心に、2回に渡ってレポートをお届けしよう。

岐阜・長良川流域の伝統工芸をテーマにした移住セミナー

金華山(岐阜市)から眺望する長良川金華山(岐阜市)から眺望する長良川

岐阜県は日本のほぼ真ん中、中部地方西部に位置する内陸の県で、特徴としてまず、木材資源が豊富な県であることが挙げられる。面積の約81%を占めるのが森林で、森林率は高知県に次ぐ全国第2位。スギやヒノキなど住宅建材の産地でもある。また、南北で地形が異なっていることも特徴。山がちである北部に対し、南部は木曽川、揖斐川、長良川といった河川が流れる濃尾平野が広がっている。

そうした自然風土に恵まれた岐阜県にはどのような工芸品があるのかというと、まず、経済産業大臣指定の伝統的工芸品に選ばれているのは飛騨春慶(漆器)、一位一刀彫(木工品)、美濃焼、美濃和紙、岐阜提灯の5品目。そのほか、岐阜県が指定する45品目の郷土工芸品、各市町村で指定する工芸品、またそういった指定品目の選外ながらも長い歴史をもつ工芸品もあり、さまざまである。そのなかで今回の移住セミナーでは長良川流域の郡上市、美濃市、関市、岐阜市の伝統工芸に焦点を当て、トークセッションが行われた。

トークセッションで体験談を披露してくれたのは、前西千寿香さん。兵庫県出身の29歳の竹細工職人だ。竹細工といってもいろいろあるが、長良川の鵜飼の鵜籠を作っている。1300年以上続く長良川の伝統漁を支える職人なのだ。そしてもう一人、神奈川県出身の寺田幸代さん、35歳。寺田さんが携わる伝統工芸は美濃和紙だ。その技術がユネスコの無形文化遺産にも登録された「本美濃紙」の紙漉き職人をめざし、江戸時代から続く工房で修行中だ。そして、トークセッションのコーディネーターは岐阜県立森林文化アカデミー(美濃市)の准教授・久津輪雅さん。久津輪さんもまた、他県から岐阜県へやってきた一人である。NHKで番組制作ディレクターに従事し、1999年に退社。岐阜県高山市の「森林たくみ塾」で木工を学び、イギリスで家具職人として働いた経験をもつ。2006年から岐阜県立森林文化アカデミーの教壇に立ち、木工全般の指導にあたる。そのかたわら、長良川の鵜飼道具の技術継承や、岐阜和傘(岐阜市の伝統工芸)の材料確保・後継者育成支援といった活動に携わってきた。

ちなみに久津輪さんが教鞭をとる岐阜県立森林文化アカデミー(以下、アカデミーと記述)は、県立林業短期大学校を改組し、2001年に開校した2年制の専門学校。林業をはじめ、木造建築や木工など、森林や木材活用の専門家を育成する学校で、全国有数の木材生産県である岐阜県ならではの教育機関といえる。高校を卒業してストレートに入学してくる学生のみならず、一般大学卒業者や社会人経験者を対象にした学科を設置しているため、森や木に関わる仕事への転職を志して県外からやってくる学生も少なくない。卒業生のなかには岐阜県内に移り住んだ人たちも多く、伝統工芸の分野に就職した事例も増えているという。

木造建築を学ぶ目的で森林文化アカデミーに入学したのがきっかけ

トークセッションで鵜籠作りについて語る前西さん(写真右)

トークセッションで鵜籠作りについて語る前西さん(写真右)

前西さんもきっかけになったのはアカデミー入学だった。兵庫県川西市出身で和歌山大学卒業後、アカデミーで学ぶために岐阜県美濃市へやってきたが、竹細工の職人をめざして入学したということではなかったと話す。「大学で勉強していたのは建築で、専攻は農村計画という分野でした。木造建築について深く学びたいと思い、アカデミーに入学しました」と、前西さん。その後、大学で縁のあった和歌山で空き家を活用した移住コーディネートの仕事を経験したのち、再び、美濃市へ。「ぎふ森林づくりサポートセンター」で2年間の契約スタッフになり、森づくりの活動をする人を支援する仕事に就いた。

そうした日々、アカデミー卒業生で鵜籠作りの継承活動に携わる鬼頭伸一さんと出会ったのが、前西さんの転機になった。鬼頭さんから竹ひごを編んで仕上げる竹細工の雑貨、さらには鵜籠作りを教わり、「竹細工の面白さにはまってしまいました。最初は趣味で続けていけたらいいな、くらいの軽い気持ちでしたが、鵜籠を作る現役職人が岐阜県内には一人もいないと聞き、仕事にしてみようかなと考えるようになりました。鵜籠とは鵜匠さんたちが鵜を運ぶのに用いる籠で、鵜飼には欠かせない道具です。確実に必要とされているのに、作る人がいない。大きな需要はないかもしれないけど、仕事として収入を得ていけるかもしれないと思ったんです」と、前西さん。そうして竹細工の道に入って、今年で4年目になる。

後継者がいない。ならば職人から技術を教わり、次世代に伝えよう

長良川鵜飼(写真提供/一般社団法人岐阜県観光連盟)長良川鵜飼(写真提供/一般社団法人岐阜県観光連盟)

前西さんはどのようにして技術を身につけていったのだろう? トークセッションのコーディネーターである久津輪さん自身も関わってきた、鵜籠作りの技術継承活動と合わせてお伝えしていこう。長良川鵜飼は、国の重要無形民俗文化財に指定されている鵜飼漁だが、前西さんの話にあったように鵜籠を作る現役職人は岐阜県にはいない。しかし、数年前までは一人だけいたという。「関市の石原文雄さんという方です。お父さんの代から鵜籠作りに取り組んできたのですが、石原さんには後継者がいませんでした。お子さんたちに継がせることもなく、弟子もとりませんでした。弟子をとらなかった理由は、これで食べていけるかどうかわからないから無責任なことはできないということでした。でも、石原さんは1935年生まれとご高齢です。この先、技術が受け継がれないとなると、鵜飼の存続の危機です。長い歴史をもつ長良川鵜飼の鵜籠がプラスチック製になってはいけないと思いました」と、久津輪さんは話す。鵜籠は鵜飼の鵜を4羽入れて運搬に用いる。生き物を入れるのだからそれなりのデリケートな作り方が求められる。4羽の鵜を入れても鵜を傷つけない素材、鵜の体型に合わせた形状、内部で鵜が動いても転がらないような安定性など。そうしたニーズを満たすには、竹製であっても既製品の籠ではだめで、長い歳月に渡って培われてきた伝統工芸の鵜籠が必要とされるのだ。

そこでどうにか技術を残そうと、久津輪さんをはじめ、アカデミーの学生など5人のメンバーが石原さんに技術指導を請うという行動に出た。石原さんは当初はかたくなに断っていたそうだが、久津輪さんたちの熱意に負け、技術を指導してくれることになった。2010年のことである。そのとき、中心メンバーになったのが、前出の鬼頭伸一さんで当時はアカデミー2年生。前西さんに竹細工を指導した人である。鬼頭さんは愛知県でエンジニアとして働いていたが、50代になって早期退職をし、里山などの自然に関わる活動を志してアカデミーで学んでいたという。

そうして5人のメンバーは、月1回くらいのペースで、石原さんから鵜籠作りなど竹細工の技術を学んだ。鵜籠は、関市の無形民俗文化財指定は受けていが、支援制度はないので、メンバーでお金を出し合って石原さんの謝礼に充てていたそうだ。ところが1年後、石原さんが体調を崩して作業が困難になってしまう事態に。そこで後継者に名乗りをあげたのは鬼頭さんだった。石原さんから教えを受け続けながらも、鬼頭さん自身が指導者となって次の世代に教える活動を始め、そうして教わったのが前西さんだったのだ。

仲間とルームシェアをする古民家で暮らす

セミナーでは、前西さんの住まいも紹介されたセミナーでは、前西さんの住まいも紹介された

鬼頭さんのもとで修練を重ねた前西さん。2014年6月、鵜匠のもとに鵜籠を初めて納品することができた。ちなみに鬼頭さんにとってもこれが初の納品だった。いわば新人2人による鵜籠だったが、鵜匠は久しぶりに新品が手に入ったことを喜び、品質も高く評価してくれたという。

伝統工芸の貴重な後継者となった前西さんだが、鵜籠だけで生計を立てていくのはむずかしいというのが現実。前西さんの収入のうち、竹細工で得るものは半分にも満たないといい、塾講師などのアルバイトでまかなっていると話す。竹細工の収入のなかでも、鵜籠作りの収入は半分もいっていないという。前西さんは、鬼頭さんが主宰するNPO法人グリーンウッドワーク協会の竹部会に所属し、協会が開催する竹細工教室で籠やザル作りなどを教える仕事もこなしていて、それで得られる収入が竹細工収入の多くを占める。それでも生活費がさほどかからないので、暮らしていけるという。アカデミーの学生、卒業生ら5人がルームシェアしている古民家に住み、縁側で日なたぼっこをしながら小さな竹細工の雑貨を作ったり、ルームメイトが飼っている鶏の世話をしたり、美濃での生活を楽しんでいる。

仕事の苦労といえば、材料確保の問題があるという。「竹細工職人が大勢いる地方だと、竹を伐り出して供給してくれる竹屋さんがたくさんいるんです。でも、美濃界隈には竹屋さんはいません」と解説するのは、久津輪さん。そのため、前西さんたちが竹林を整備したり、竹を伐るといった段階から取り組んでいるという。「伐り出した竹を縦に細かく割って、竹ひごを作るのですが、地味な作業の繰り返しで時間もかかります。でも、そういう作業が楽しいんです」と前西さん。久津輪さんから「県外から移住して、伝統工芸の分野に入ろうかどうか迷っている人へのアドバイスは?」と問われると、「どれだけ好きでどれだけ続けられるか。そこがポイントだと思います」と笑顔で語ってくれた。

では、もう一人のパネラー、美濃和紙の世界に入った寺田幸代さんのケースはどうなんだろう? 次回記事では寺田さんの移住体験談を中心にお伝えしよう。

2015年 12月07日 11時08分