神奈川県から移住し、本美濃紙の職人をめざす

繊細できめ細やかな風合いをもつ本美濃紙 (写真提供/一般社団法人岐阜県観光連盟)繊細できめ細やかな風合いをもつ本美濃紙 (写真提供/一般社団法人岐阜県観光連盟)

「清流の国ぎふ暮らしセミナー 長良川が育む職人の技~伝統工芸をなりわいにする生き方~」と題した、岐阜県への移住セミナーのレポート第2回目。前回に引き続き、県外から移住して伝統工芸の世界に入った女性2人を交えてのトークセッションの様子を紹介しよう。岐阜県立森林文化アカデミーの准教授・久津輪雅さんがコーディネーターをつとめた。今回記事では、神奈川県横浜市から岐阜県美濃市へ移住し、美濃和紙の職人をめざす寺田幸代さんの移住体験談を中心にお伝えする。

美濃和紙の起源は古く、7世紀にさかのぼると伝えられ、長良川の良質な水質に恵まれていたことから盛んになったという。現在では機械漉きによる生産も行なわれ、美濃和紙産業は岐阜県を代表する地場産業のひとつになっている。そうしたなかで古くからの手漉きの美濃和紙は、経済産業大臣の伝統的工芸品の指定を受けているものだ。さらに手漉きのなかでも、「本美濃紙」と呼ばれるものがある。製法、原料、用具など伝統技法を継承して作られ、指定された要件を満たしたものだけが本美濃紙と認められるという。この本美濃紙の技術は国指定の重要無形文化財で、2014年11月にはユネスコの無形文化遺産に登録された。ちなみに本美濃紙は文書用や美術工芸用など幅広く用いられているのだが、日本の住宅づくりでもなじみが深く、障子紙の最高級品とされている。

30歳になって、自分が本当にやりたい仕事は何だろうと考えた

工房で修行中の寺田さん工房で修行中の寺田さん

このように文化財として貴重な本美濃紙なのだが、日本人の生活様式の変化などで需要が減り、伝統的な手漉き和紙の職人の数は減少しているという。明治から大正にかけて手漉き和紙に従事していた工房は約4700軒あったというが、現在、本美濃紙を漉くことができる手漉き和紙工房は6軒のみになっている。

そのようななか、本美濃紙の世界に入ったのが寺田さん。現在35歳、元フリーター。美濃市へ移住し、本美濃紙の紙漉き職人のもとで修行している。きっかけは何だったのだろう? 

「30歳になった頃、自分の仕事を考え直してみたんです。それまではいろいろな仕事を転々としていましたが、このままでいいのかなと。自分が本当にやりたいことは何だろうと思ったとき、出会ったのが和紙に関わる伝統工芸の仕事でした。以前から紙に興味があって、紙を使ったもの作りが好きで、紙作りそのものを仕事にしたいと考えるようになったんです。そこでネットで調べていくつかの和紙の産地を見つけ、現地に足を運んでみました。そのひとつが岐阜県美濃市でした」と、寺田さんは話す。

弟子入りを断られてもあきらめない。粘り強くアタックし続けた

トークセッションで語る寺田さん(写真左)トークセッションで語る寺田さん(写真左)

美濃市を訪れた寺田さんが足を運んだのは「美濃和紙の里会館」。美濃和紙の歴史や技術、魅力を伝える施設として1994年に開設された和紙ミュージアムだ。観光スポットでもあるが、美濃和紙職人の後継者育成の土台づくりを担い、この道を志願する人を対象にした「美濃・手すき和紙基礎スクール」を開催している。地元の和紙職人らが講師をつとめ、手漉き和紙の基礎知識と技術を指導する。18歳以上なら入学でき(高校生は除く)、期間は1ヵ月、受講料3万円。1ヵ月もの間、通学するという点では県外者からするとハードルが高いが、カリキュラムは実習が多く、そのうえ和紙工房見学などもあり、この受講料はかなりリーズナブルといえるだろう。

寺田さんの当初の目的も、この基礎スクールの受講だろうと思いきや、そうではなかった。「美濃和紙の里会館という施設があることは知っていましたが、基本を学べるスクールがあることは知らなかったし、どうやって収入を得るのかもよくわかっていなくて。でも和紙が好きで興味があるからとりあえず現地へ行ってみようと、軽いノリで美濃に出かけたんです」と、寺田さんはふり返る。「美濃和紙の里会館」の体験コーナーで初めて紙漉きを体験し、「これだ!」と直感。会館の職員に「どうしたら和紙職人になれますか?」と質問したところ、基礎スクールがあることを教えてもらったのだという。ただし、基礎スクールで学んだ後、和紙職人のもとで修行しないと職人にはなれないという厳しい現実も知った。美濃和紙の職人をめざすのだから、当然、美濃市界隈に移住することが前提になる。修行先のあてのないまま、基礎スクールを受けるわけにはいかないだろう。

そこでまず、寺田さんは自分のやりたい気持ちを確かめるために、この会館の5日間の体験コースを受講。「やっぱり、これを仕事にしたい!」と決意が固まった。でも、その後のことは決まらない。地元の和紙関係者たちから「弟子入りさせてくれる職人さんを見つけるのは簡単なことではない」と言われながらも、何人かの和紙職人にアタック。結果は全滅。でも、それでへこたれるような寺田さんではなかった。
「美濃への移住を見据えて、資金を貯めようと思いました。横浜で一人暮らしをしていましたが、家賃など節約したかったので親と同居することにして、アルバイトでお金を貯めながら、美濃和紙の関係者へ連絡を入れ続けていたんです。“美濃和紙の職人になりたいから修行させてください”と。半年ほどたったころ、私の意気込みを汲んでいただけたのか、美濃和紙の里会館の方から“基礎スクールを受講してみてください。そのときに職人さんを紹介するので、面接を受けてください”と言っていただきました」と、寺田さん。

元・喫茶店だった2階建ての一軒家に住む。地域の人とも仲良しに

寺田さんの住まいは元・喫茶店だったという一軒家寺田さんの住まいは元・喫茶店だったという一軒家

そうして美濃市へ移住した寺田さん。基礎スクールで学び、紹介された師匠が紙漉き職人の澤村正さん。本美濃紙の第一人者として知られ、京都迎賓館の回廊、藤の間などの障子や照明器具に使われている和紙は、澤村さんが漉いた本美濃紙である。澤村さんの工房は江戸時代からの歴史をもち、美濃を代表する紙漉き職人のもとへの弟子入りが叶ったのだ。

澤村さんのもとで修行するようになって3年目。思っていたより体力仕事で、腕に筋肉がついて以前に着ていた服が着られなくなってしまったり、冬は冷水の中にずっと手を浸けていたりと、大変そうではあるが、「楽しいことが多いし、苦労しているとは思っていません。今は師匠のもとで勉強中ですが、いずれは独立して自分で仕事を見つけなければなりません。たやすいことではないから覚悟はしています。でも、好きなことだから頑張って続けていきたいです」と、寺田さんは語る。気になるのは生活面だが、どうやって生計を立てているのだろう?

最初の2年は、美濃市の「美濃手漉き和紙後継者育成奨励制度」を利用することができた。これは弟子として師匠のいる人のみが活用できる制度で、2年間の限定で月に5万円の補助が受けられる。補助金の支給期間を終えてからは、澤村さんからの給金とアルバイトでまかなっているという。寺田さんによると、「師匠からいただくお金と、アルバイト代は半々くらいです」。

収入は高くはないが、生活に困るというようなことはないようだ。「家賃がすごく安いんです。住まいは、元・喫茶店だったという2階建ての一軒家ですが、横浜でアパート暮らしをしていたときの半額くらいで済んでいます。あと、ご近所の人から自家栽培の野菜をおすそ分けしていただいたり、長良川の鮎をいただいたりして、助かっています」と、寺田さん。毎年4月に開かれる「美濃まつり」では、美濃和紙の花を付けた「花みこし」の担ぎ手として参加し、地元の人たちと一緒に大いに盛り上がるのだそう。

県外からの移住者が新しい伝統工芸を起業した事例も出てきている

(上)「地域の魅力PRタイム」の1コマ。模造刀を用いて、刃物の産地・関市をPR。(下)セミナーでは個別相談会も実施された。各自治体担当者のほか、岐阜県立森林文化アカデミー、「美濃和紙の里会館」からも担当者が出席し、セミナー参加者からの質問に対応していた

(上)「地域の魅力PRタイム」の1コマ。模造刀を用いて、刃物の産地・関市をPR。(下)セミナーでは個別相談会も実施された。各自治体担当者のほか、岐阜県立森林文化アカデミー、「美濃和紙の里会館」からも担当者が出席し、セミナー参加者からの質問に対応していた

前回記事で紹介した竹細工職人の前西千寿香さんも、そして寺田さんも、お二人に共通するのは、地域の伝統を背負っているというような力みが感じられないこと。それよりも、好きな仕事に就けた喜びが伝わってきた。移住ありき、ではなく、やりたい仕事を見つけた結果としての移住。願えば誰もが叶えられることではないが、職業選びの選択肢としてあってもいいのではないかと思った。

トークセッション終了後は、長良川流域の4つの自治体(岐阜市、関市、美濃市、郡上市)の移住担当者による「地域の魅力PRタイム」が設けられた。各地の概要や伝統工芸、移住者への支援制度などが語られ、刃物の産地として知られる関市では刀匠をめざして20代の女性が修行中であることや、県外からの移住者が郡上市で地域木材を使った「踊り下駄」を起業したエピソードなどが印象に残った。

伝統工芸の仕事についてはネットや書籍でも多くの情報が発信されているが、そこからは得られないリアルな声や、新たな情報を得られた移住セミナーだった。

2015年 12月14日 11時11分