神奈川県横浜市青葉区に位置するたまプラーザは、日本を代表する高級住宅街として知られる。「住みたい街ランキング」の常連であり、美しい街並みや充実した商業施設、教育環境の良さから、多くの人々の憧れを集めてきた。
しかし、この街が誕生して半世紀以上が経過した現在、新たな転換点を迎えている。高度経済成長期に一斉に入居した住民は高齢化し、ライフスタイルや住宅ニーズも大きく変化した。駅前にはにぎわいが続く一方、その先に広がる住宅街では、世代交代や住宅の継承という課題が少しずつ顕在化している。
たまプラーザの変化は、一つの街だけの話ではない。日本各地に広がる郊外住宅地がこれから迎える未来を、少し早く映し出しているとも言える。街はどのように誕生し、なぜ憧れのブランドとなり、そして今、何を抱えているのか。その現在地を探ってみたい。

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民間主導による日本最大級の街づくり。憧れの「たまプラーザ」ブランドはこうして築かれた

たまプラーザ駅前には商業施設が充実たまプラーザ駅前には商業施設が充実
昔ながらの商店街も残る。写真は「たまプラーザ中央商店街」昔ながらの商店街も残る。写真は「たまプラーザ中央商店街」

多摩田園都市構想の中核として、計画的にまちづくりが進められてきた、たまプラーザ。たまプラーザ駅は、多くの人が利用する田園都市線の主要駅だ。
20年以上前、筆者はたまプラーザ駅から数駅の街で5年ほど暮らしたことがある。取材のついでに久しぶりに寄ってみたところ、駅周辺が開発により大きく変わっていた。また、たまプラーザ駅も大屋根のある駅舎になっていて驚いた。平日の昼間にもかかわらず、子連れの母親や、元気に歩く高齢者、学生であろう若者の姿が多かったのも印象に残っている。BMWやポルシェなどの高級外車が5台連続して通った時には、「さすがたまプラーザだな」と感じた。

しかし、この誰もが憧れるブランドタウンの誕生は、決して偶然の産物ではない。その背景には、東急電鉄(現・東急)が昭和中期から主導した沿線開発プロジェクト「多摩田園都市構想」が存在する。
多摩田園都市は東京の西南部、都心から15~35kmに位置する緑豊かな多摩丘陵の一部エリアの総称。その規模は神奈川県川崎市、横浜市、大和市、東京都町田市の4市にまたがり、東急田園都市線の梶が谷駅~中央林間駅間に広がっている。多摩田園都市の開発総面積は約5,000haにも及び、そのスケールは民間企業主体の開発としては国内最大規模として知られている。

開発を行った東急は、単に住宅地を分譲しただけではなかった。鉄道の敷設と歩調を合わせ、駅や商業施設、学校、公園、そして美しい街路樹を一体的に計画・整備した。自然環境と都市機能を融合させたこの先進的な街づくりは、東京の都心へ通勤する現役世代の心を掴み、「住みたい街」としての絶対的なブランドを確立することに成功したのである。
この日本で最も成功したとされる郊外ブランド街が、開発から半世紀以上が経過した今、どのような姿を見せているのかを現地で確かめてきた。

名作ドラマが映し出した理想の家族像。昭和・平成の日本人が夢見た「あがり」の街

1980年代(昭和50年代)から90年代(平成初期)にかけて、たまプラーザは単なる住宅地ではなく、一つのライフスタイルを象徴する街となった。
そのイメージを決定づけた作品の一つが、1980年代に放送されたドラマ『金曜日の妻たちへ』シリーズである。田園都市線沿線のニュータウンを舞台に、都心へ通勤するサラリーマンとその家族の日常を描き、大きな話題となった。ドラマのヒットによって「たまプラーザ=憧れの住宅地」というイメージは全国へ広まり、田園都市線ブランドを象徴する街としての知名度を一段と高めることになった。

当時の日本では、都心で働く会社員が郊外に庭付き一戸建てを購入し、家族で豊かな生活を送ることが一つの成功モデルだった。広いリビング、庭で遊ぶ子ども、休日にはマイカーでレジャーへ出かける。そんな暮らしを実現できる場所として、たまプラーザは高いブランド力を獲得していく。

駅前には百貨店や専門店が並び、教育環境にも恵まれ、緑豊かな街並みが維持される。住宅そのものだけでなく、「街全体の価値」が評価されていた点が特徴である。
こうして「たまプラーザに住むこと」は、一つのステータスとなった。日本の郊外住宅地のなかでも、そのブランド力は群を抜く存在だったのである。

散歩が楽しくなる緑豊かな街並みも、たまプラーザの魅力散歩が楽しくなる緑豊かな街並みも、たまプラーザの魅力

住民の高齢化と連動する街の成熟。かつての憧れの住まいがもたらす新たな生活の課題

若い頃は気にならない坂も、年齢を重ねると日常生活の負担になる若い頃は気にならない坂も、年齢を重ねると日常生活の負担になる

たまプラーザが、街のブランドを確立してから、40〜50年の歳月が流れた。かつて働き盛りでこの街に移り住み、理想のマイホームを手に入れた初期の入居世代は、今や後期高齢者となっている。ここで直面しているのは、単に「住人が高齢化した」ということではなく、「街全体が高齢化した」という事実である。

街の成熟に伴い、かつては魅力的だった環境が、時として日常生活のハードルへと変化し始めている。たまプラーザの地形的特徴である「起伏に富んだ美しい坂道」は、高齢期の住民にとって歩行や買い物、通院などの大きな負担となる。運転免許を返納すれば移動はさらに制限され、広い庭の草むしりや家の維持管理も体力的に難しくなる。

かつて家族全員で賑やかに暮らした「ゆとりある一戸建て」は、子どもたちが独立した後、高齢の夫婦や単身者にとっては持て余す空間となってしまう。一方で、いざ自宅を売却して駅近くのマンション等へ住み替えようとしても、敷地が広く価格が高額になるため、買い手がスムーズに見つかりにくいことも容易に想像できる。

歴史を感じるマンションも建っている。ただ、寂れた感じではなく、生活感があった歴史を感じるマンションも建っている。ただ、寂れた感じではなく、生活感があった

「憧れの街」でも、住める街とは限らない

駅近に建つマンション。若い世代には、駅から少し離れた戸建て住宅よりも、駅近のマンションが人気のようだ駅近に建つマンション。若い世代には、駅から少し離れた戸建て住宅よりも、駅近のマンションが人気のようだ

たまプラーザのブランド力は今も健在である。駅前には大型商業施設が集積し、教育環境や都内への通勤・通学の利便性なども高く評価され、「住みたい街ランキング」でも上位に名前が挙がることが多い。
しかし、「住みたい」と「購入できる」は別の話である。

近年は地価や建築費の上昇が続き、たまプラーザ周辺で一戸建てを取得するハードルは一段と高まっている。土地価格に加え、資材価格や人件費の高騰も重なり、新築住宅は一昔前とは比べものにならない価格帯となった。中古住宅も人気エリアゆえに価格が下がりにくく、若い子育て世帯が手を伸ばしにくい状況が続いている。

さらに、住宅選びの価値観そのものも変化した。昭和の「郊外一戸建てマイホーム」という成功モデルに対し、現代の若い共働き世帯が重視するのは「職住近接」や「時短」である。日々の通勤時間を減らし、夫婦で家事や育児を分担するためには、都心に近く、駅直結で利便性の高いマンションを選ぶ方が合理的であるとの考えが定着しつつある。
その結果、たまプラーザは「憧れの街」であり続けながらも、若い世代が実際に住み替えを決断できる価格帯を大きく超えてしまい、選ばれにくい街となっていることも否定できないだろう。

たまプラーザ駅から渋谷駅までは急行で20分ほど。新横浜や横浜、桜木町、関内方面へは</br>隣のあざみ野駅で横浜市営地下鉄に乗り換えて行くことができるたまプラーザ駅から渋谷駅までは急行で20分ほど。新横浜や横浜、桜木町、関内方面へは
隣のあざみ野駅で横浜市営地下鉄に乗り換えて行くことができる

美しい街並みを維持するためのブランドのルールが、次世代への継承を難しくするというジレンマ

モデルハウスのような立派な家々が建ち並ぶさまは、まさに高級住宅地を思わせたモデルハウスのような立派な家々が建ち並ぶさまは、まさに高級住宅地を思わせた
平日休日を問わずバスの便は充実しており、駅までは行き来しやすそうだ平日休日を問わずバスの便は充実しており、駅までは行き来しやすそうだ

こうした状況のなかで、今後大きなテーマとなるのが住宅の継承である。
たまプラーザには、ゆとりある敷地を持つ一戸建てが数多く残る。まるでハウスメーカーのモデルハウスのような“邸宅”も多数建っていた。一方で、手入れの行き届かなくなった庭や、誰も住んでいない気配を漂わせる空き家のような家も見られた。所有者の高齢化が進み、相続や住み替えのタイミングを迎える住宅も年々増えているはずだ。

しかし、相続された住宅がそのまま次世代に住み継がれるとは限らない。子ども世代は都心や別の地域で生活基盤を築いているケースも多く、実家を売却する選択をすることも少なくない。さらに、景観を守るための厳しい建築規制(建築物の用途の制限、建築物の敷地面積の最低限度、建築物の高さの最高限度など)があることから、土地を細分化して売り出すことが難しく、建て替えや売却のハードルを高めている。美しい街並みを維持するためのブランドのルールが、次世代への継承を難しくするというジレンマに直面しているのである。

一方で、駅前では再整備や商業機能の充実が進み、街の求心力は依然として高い。住宅地の課題と駅前の活気が同時に存在していることが、現在のたまプラーザの特徴といえるだろう。
街のブランドは、一つひとつの住宅だけで成り立つものではない。住宅、商業施設、公共空間、そして地域コミュニティが相互に支え合うことで維持されてきた。そのバランスを今後どのように保っていくのかが、たまプラーザの将来を左右する重要なテーマとなる。

たまプラーザが映し出す、日本の郊外住宅地の未来

住宅地の高齢化や世代交代の停滞は、たまプラーザだけが抱える問題ではない。高度経済成長期からバブル期にかけて開発されたニュータウンや郊外住宅地の多くが、同様の課題に直面している。

「たまプラーザは衰退しているのか?」
そう問われれば、答えは単純ではない。駅前には今も多くの人が集まり、商業施設は高い集客力を維持し、教育環境や住環境への評価も依然として高い。街としてのブランドは、半世紀を経た現在も色あせてはいない。
2012年(平成24年)、横浜市と東急は「次世代郊外まちづくり」に関する包括協定を締結し、そのモデル地区としてたまプラーザ駅北側を選定した。目的は駅前再開発ではなく、高齢化や人口減少という郊外住宅地の課題に対応し、「住む」「働く」「交流する」を一体的に実現する持続可能なまちづくりである。行政と鉄道会社に加え、大学や住民も参加する全国的にも先進的な官民連携プロジェクトとして注目を集め、その後の郊外再生のモデルケースとなっている。

街は、人と同じように年齢を重ねる。そして、成熟した街には成熟した街ならではの課題が生まれる。しかし、それは終わりを意味するものではなく、変化する社会や暮らし方に合わせて新たな価値を積み重ねていくことができれば、その街は再び次の世代に選ばれる場所となるだろう。

かつて、日本の「理想の暮らし」の先頭を走ったたまプラーザ。この成熟した街が、これからの課題をどう乗り越え、次世代へバトンを渡していくのか。その挑戦の様子は、これから同じ課題を迎える日本全国の郊外住宅地にとって、希望を照らす最大の道標となるはずである。

ライブやマルシェなどのイベントも行われている、たまプラーザテラス・ゲートプラザ1階の「フェスティバルコート」。</br>このような交流の場も、街の魅力アップに貢献しているはずだライブやマルシェなどのイベントも行われている、たまプラーザテラス・ゲートプラザ1階の「フェスティバルコート」。
このような交流の場も、街の魅力アップに貢献しているはずだ