江戸時代から呉服卸商を営んでいた京町家
「歴史ある貴重な建物だから、残してほしい」。誰もがそう思うだろう。
だが、それは簡単なことではない。現代的な住宅とは違う不便さ、手入れの煩雑さ、そしてそれにかかる時間と費用。文化財的価値がある建物の維持・管理を所有者任せにしていては、現代建築に入れ替わっていくのは無理もないことだ。
個々の事情はさまざまだろうが、京都市でも多くの京町家や数寄屋建築が姿を消していった。そんな中、次世代に貴重な建物を残す取組みも進められている。「長江家住宅」の取組みもそのひとつ。この取組みは、京都の歴史ある町家が姿を消す……そんな現状へのひとつの提案となるかもしれない。
新町通仏光寺上ル船鉾町。住所からも分かるように、長江家住宅は祇園祭で船鉾を擁する京都の中心地にある。
この地に長江家3代目の大阪屋伊助が居を構えたのは文政5年(1822年)。およそ200年前だ。代々、呉服卸商を営んでいたが、幕末の混乱期、禁門の変による大火で建物は焼失。しかし江戸から明治へと時代が変わる慶応4年(1868年)、主屋を再建し(現北棟)、明治8年(1875年)に蔵を移築。さらに新たに隣接地を取得して現在の南棟を建築した。
ミセ、ゲンカン、ダイドコ、オクと連なる「表屋造り」
長江家住宅の南棟は「表屋造り」と呼ばれるつくりで、通り側に商いをする「ミセ」があり、続いて「ゲンカン」「ダイドコ」と部屋が隣り合う。その向こうが「オク」と呼ばれる家長の座敷だ。さらに、長江家住宅には庭を挟んで格式高い離れ座敷もある。
ダイドコの前の「走り庭」は、「おくどさん(竈)」が3つ並び、その上には神様をまつる荒神棚を備えている。空間の上部は吹き抜けに柱や梁が幾本も渡された「火袋」で、煙出し、通気、採光の役割を果たす。かつては京都のまちなかに多くあった、職住一体の京町家の典型的な姿だという。
江戸時代から店舗兼住宅として使われていた北棟は、南棟ができたことで隠居所となったが、こちらも「ミセ」「ダイドコ」「オク」の3部屋が1階に連続する同じ構造。南北の2棟で、間口7間(13m)、奥行き30間(54m)、約212坪(700m2)という規模だ。
江戸時代から歴史を刻んできた長江家住宅は2005年、北棟(昭和後期に改装されていた内装を除く)、南棟、離れ座敷、化粧部屋、土蔵2棟が「京都市指定有形文化財」に指定された。
建物だけではなく、所蔵品の継承も課題
文化財に指定されても将来の保全が約束されているわけではない。2011年頃、長江家住宅の今後について考えていた長江家8代目当主長江治男さんは、京町家保全の取組みをしていた髙木良枝さん(現フージャースホールディングススタッフ)、そして立命館大学の矢野桂司教授と連携して、所蔵品のデータベース化をすることになった。
「長江家のご当主の想いは、建物を末永く大事にしていってほしいということでした。ですからすぐに建物を売却しようということではなく、まずは蔵の中に1,000点以上あった所蔵品を調査することに。蔵には掛け軸などのほか、家の中で使う建具類も入っています。長江家の空気や暮らしの文化といったソフト面も一緒に受け継ぐことをご当主も望んでおられました」と当時を語る髙木さんは、所蔵品の調査をしながら、建具替えといった季節ごとに行う設えの変更なども手伝った。
「建物と、長江家の人たちがやってこられたことの両方を、次の世代に受け継いでいってほしいという想いは強くなりました」
フージャースホールディングスとの出合い
そんな頃、長江家住宅で京都のまちづくり史に関するセミナーイベントが開催された。ここに偶然参加したのが株式会社フージャースホールディングスのグループ会社の、当時の京都支店長だった。京都支店を設置してまもない時期で、地域のことを勉強していこうという気持ちから参加したのだそう。それがこの建物への興味へとつながった。
フージャースホールディングス(以下、フージャース)は、本社は東京にあり、全国での新築分譲マンション開発事業を主力とし、「暮らし」に関するあらゆる事業を展開している。だが、文化財的価値のある建物に関わるのはこれが初めてだった。長江家としても、購入の打診があったからといって、すぐに売却とはならなかった。
「この建物を維持していこうと思ったら、大変ですよ、と。維持には手間暇も、維持費もかかる。例えば毎日どんなことをしないといけないか。庭の掃除、建物前の掃除。ご近所づきあいもある。そういうことをお伝えしたりして、一年ほどやりとりを続けました」
本当に建物を理解したうえで、継承してくれるのかどうか―。長江家の当主、髙木さん、矢野教授、そして京都市の文化財保護課とも連携をとって、フージャースとコミュニケーションを取りながら、丁寧に信頼関係を築いていった。
「今思えば、フージャース代表の廣岡は最初から、長江家住宅を経済的な価値では見てなかったように思います。この建物に出合い、興味を持ち、守っていきたいという気持ちになっていった。ですから私たちも、維持するのは大変ですけど、それでも所有されますかと、現実の話から検討を積み重ねました。そういった経緯で、最終的に覚悟をもって受け継ぎます、というところまでたどり着いたんです」
所有することが地域貢献になるなら
フージャースとしても、長江家住宅に京都支店を置き、西日本地区の拠点として活用できること、北棟は昭和に改装されていて、文化財指定を受けていなかったことから、空間の利用方法に可変性があったことなど、購入にはメリットもあっただろう。だが、長江家のある地域の歴史と伝統も重んじてくれたことは、特筆すべきことだ。
「祇園祭では、長江家の前には船鉾が建ちます。長江家当主は船鉾保存会の理事をされていたこともありましたし、屏風祭(※)もしてこられました。そんな建物を所有して残すことが地域貢献になるならと廣岡は考えたのだと思います」
こうして2015年、長江家住宅の所有はフージャースホールディングスとなり、蔵の所蔵品の多くは立命館大学に引き継がれることになった。
現在、南棟のミセの部分をオフィスとしているほか、同社の新入社員のワークショップ、社員研修などに利用されている。また、北棟は現代風に改装されていたものを、復原改修。できる限り江戸時代の建築当時の姿に近づけた。こちらは関係者の宿泊施設としても活用されている。
※…祇園祭で山鉾町にある旧家や老舗がそれぞれの所蔵する美術品・調度品などを飾って、一般に公開する行事
取り組みが高く評価され、グッドデザイン賞などを受賞
建物の日常的な維持管理は、フージャースの京都支店スタッフで行うが、大掛かりなものは、本社などのフージャースグループ社員と一緒に作業することもある。
祇園祭では、長江家の当主が代々してきたように、室内に屏風を飾り公開することも継続している。
「屏風祭の時期には、コロナ禍以前は例年3日で1,500人くらい見学に来られていました。そのときも、若手社員たちが手伝いにきます。山鉾巡行に社員が参加させていただいたことも。お手伝いできることはできるだけして、少しでも地域の役に立てたらと思います」
この長江家住宅の復原と建物・文化・歴史の継承は高く評価され、2019年度のグッドデザイン賞を受賞した。さらに2020年には「令和元年度京都景観賞京町家部門」で長江家住宅プロジェクト(フージャースと立命館大学)は、「京町家における生活文化を継承した住まい方を実践する個人または団体」として市長賞を、「京町家の良さを生かした、望ましい修繕・改修をされた京町家」として優良賞を受賞している。
「もちろん最初は大丈夫かなと思っていました」とフージャースとの出合いを笑って振り返る髙木さん。「時間はかかりました。ですが、お話していく中で、信頼できるのではないかと変わっていきました。代表の廣岡やここに関わる社員たちがすごく大事に思っているのを感じます。フージャースは私たちが知らないことをたくさん知っている。ここを大切にしながら、新しい要素も入れていただいて、景色が広がってきたと思います」
長い時間をかけて、長江家の人々をはじめ地域に大切にされてきた京町家。所有者は変わったが、大切にしてきた想いも含めて受け継ぐことで、未来に歴史をつなぐモデルケースになってほしい。
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