藍の生産で財を成した“うだつの上がる”豪商たちの商家町

若い世代の読者の方は『うだつ』と聞いてもピンと来ない方が多いかもしれない。
『うだつ』とは、屋根の両端を高くすることによって隣家からの火災延焼を防ぐように設計された防火用の“そで壁”のこと。伝統的な日本家屋ならではの建築様式で、『うだつ』が高ければ高いほど“富の象徴”とされたため、隣家同士で競って立派なうだつを取り付けるようになった。
これが、いつまでもパッとせず生活が向上しない様子を例える「うだつが上がらない」ということわざの由来だ。
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四国の玄関口である徳島市から西へ約40km。清流・吉野川沿いに『うだつの町並み』が今も残る美馬市脇町がある。
ここ脇町は、鎌倉中期に築かれたとされる脇城の城下町として栄え、“最初の戦国天下人”と呼ばれた三好長慶によって町並みが形成された。
鳴門から池田までを結ぶ撫養(むや)街道と讃岐越えの峠道に面した交通の要衝であり、吉野川の水運にも恵まれたことから商業の街として発展し、特に阿波の特産品である『藍』で財を成した豪商たちが、脇町の当時のメインストリートだった南町通りに競って屋敷を構えた。
こうして“うだつの上がる町”が誕生したが、時代が移って藍染めに使われる『藍』が化学染料へと変わると、『繭』や『葉煙草』の集積地へと変化。また、大正3(1914)年に吉野川の南岸に鉄道が開通し、陸上運送のための道路が開通すると商売の中心地が変わり、メインストリートだったはずの南町通り一帯にはいつしか古いうだつの町並みだけが残された。
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昭和63(1988)年12月、脇町南町の『うだつの町並み』は全国で28ヶ所目の『重要伝統的建造物群保存地区』に指定されたが、現地ではいま『空き家問題』と密接に関わる『建物補修』についての様々な課題を抱えているという。
『町並み保存』に携わる地元の人たちの取り組みを取材した。
商家の“富の象徴”として競って上げられるようになったうだつの町並み
「もともと南町には商家が密集していて火事が多かったので、防火の目的としてうだつが設置されるようになりました。財力の象徴として隣家と競い合いながら高い位置にうだつを上げるようになったのは、比較的新しい時代の流行だったようです。
南町の商家の建築様式は平入り・切妻屋根が特徴で、幕末から明治・大正にかけての建物を中心にして現在85棟の伝統的建造物が残っています。現存する一番古い建物は宝永四(1707)年築ですから、今から300年以上も前のものになります」と解説してくださったのは、美馬市役所の大森秀樹さん。『うだつの町並み』の保存活動と同時に、空き家の活用促進・観光客の誘致を担う市の担当者だ。
「85棟のうち、実際にその家の中で生活を続けている世帯は60棟ぐらい。一人暮らしのお年寄りの世帯も多いので、南町で暮らす住民の数は現在100名ぐらいです。家は人が使っていないとどんどん傷みますから、“20棟以上の空き家をどう活用するか?”が、いま直面している大きな課題です」(大森さん談)。
ちなみに、徳島県は県内全域に光ファイバー網が構築されているため、近年はIT関連企業などが新しいオフィスの移転先として徳島に関心を寄せている。“南町の空き家をサテライトオフィスとして活用したい”といった問い合わせも増えているそうだが、ここでどうしても立ちはだかるのが『重要伝統的建造物群保存地区=重伝建地区』のハードルだ。
「徳島県内でサテライトオフィスの誘致といえば神山町が有名ですが、南町では神山町のように古い建物の外観や内装をまるっきり変えることができません。重伝建地区の建物は『改築』ではなく『復元』が基本となっているので、手を加えて建物性能を新しくすることができず、“元の時代に戻す”というルールになっているからです」(大森さん談)。
“テーマパーク化”は望まない。人が暮らし、町が形成されることが目的
『重要伝統的建造物群保存地区』に指定されて以来、重伝建地区内の建物の補修には国から補助金が出るようになった。しかし、上限は母屋で600万円までとなっており、最低2割の家主負担が必要となる。つまり、補助金を使って補修(復元)しようとすると、150万円を自己負担で持ち出すことになり合計750万円までが予算の限度となる。
「でも、南町の商家はどれも本瓦葺の立派な建物ばかり。大きな屋根を補修しようとしたら軽く1000万ぐらいかかるので補助金ではとてもまかなえません。一人暮らしのお年寄りの世帯や、すでに脇町を離れて他所で暮らしている家主に“数百万の補修費を負担してくれ”とお願いするのは正直心苦しいです。今のところは“町の財産を守る”という想いで住民たちから不満が出ることはないのですが、これからどんどん世代がわりをしていくことを考えると、補修を継続できるかどうかは難しいところです」(大森さん談)。
観光ルートの通り沿いなど目立つ場所に建つ崩壊危険の高い建物については、美馬市が買い取って全面的に補修工事を行ったケースもあるそうだが、「その事例をすべての建物に適用していたら、市が買い取った“うだつの町並みのテーマパーク”になってしまいますから、それではまったく意味がありません」と大森さん。伝統ある建築物に、地元の人たちが実際に暮らし、町が生活の場として形成されることが『町並み保存』の最大の目的なのだ。
補修に携わる人材不足も…技術を残さないと町が残せなくなる危機感
『うだつの町並み』の建物の復元と町並み保存活動に力を注ぐリーダー的な存在の内藤逸喜さんは、地元工務店の2代目。「町並み保存の一番の課題は職人不足」だと嘆く。
「最近は若い人がこういう力仕事をしなくなったからねぇ。うちのせがれもそうやけど、建築の大学や専門学校を出ても職人にはならずに監督とか管理職のほうを目指してしまう。古い建物を守りたいと考える若者がいなくなってしまったんやなぁ」と寂しそうに語る内藤さん。
重要伝統的建造物群保存地区の建物の『補修=復元』は、“元の時代の様式に戻すこと”が原則となっているため、現在の建築の技術を学んでいても昔ながらの工法を知らなければ作業が難しくなる。いまのところ、内藤さんが育てた職人さんたちがかろうじて頑張ってくれてはいるが、聞けば職人さんたちの平均年齢は60歳を超えているのだとか。
「これは脇町にかぎらず全国的な問題なんやけど、あと10年・20年たったら建物を直せる人が誰もいなくなってしまうやろな。漆喰は下手な人が塗ると、雨風に弱くて建物がすぐに傷んでしまうんよ…」(内藤さん談)。
職人不足に加えて、元の時代の様式に『復元』するための材料が手に入らない、または、コストがかかりすぎる点も大きな課題だ。
瀬戸内海周辺では、漆喰の中に牡蠣の殻を粉砕して混ぜることで漆喰の強度を保っていたが、その漆喰用の牡蠣殻が手に入らなくなってしまった。建築用の糊は、ギンナンソウという海草を炊いたものを使っていたが、原料のギンナンソウを販売する業者がいなくなった。また、最近は打ちクギを使う機会が減ったため、昔ながらのクギ屋は全国に2軒しか残っていない。需要がなければ当然単価が高くなるため、昔の様式に従って扉を補修しようとすると扉本体よりもクギ代のほうが高くなってしまうこともあるという。
「手間がかかるのに儲けが少ない…となると、当然これから復元を頑張ろうという若者たちが出てこなくなるから困ったもんやな。ちゃんと技術を残さんと、町が残せん」(内藤さん談)。

それまでは認められなかった耐震用の耐力壁などの設置が震災以降認められるようになったという。
写真左上:今も南町の古い建物で酒屋を営む『正木酒店』。
日よけの『蔀戸(しとみど)』や虫かごのように見える『虫籠窓(むしこまど)』、
丁寧に竹を組んだ上に屋根を葺く天井など、
昔ながらの伝統的な様式が“国宝修繕レベル”の高い技術によって復元され維持されている。
右下:脇町で1.2を競ったという藍の豪商・吉田直兵衛の家『吉田家住宅』は
美馬市の指定文化財として一般開放されている(入場料大人510円・小人250円)
ひとつひとつの建物を“国宝”という思いで後世へ残す
『重要伝統的建造物群保存地区』の指定を受けた初期の頃、国からの指導もあって内藤さんは「国宝の修繕と同等レベルの丁寧な補修を行うように」と専門家からアドバイスを受けたという。「柱一本彫ってもダメ、傷つけてもダメ。傷んでいるところだけ取り替えて、あとは極力残すようにと言われて、それはそれは神経を使う大変な作業だった」と内藤さん。
その後の補修では、経費や時間と手間の問題もあって“国宝級の厳しい補修基準”がやや緩和されたそうだが、「伝統ある建物を復元し保存するためには、どんな建物でも“国宝級の大切な建物だ”という気持ちで挑んでもらいたい」という専門家の言葉が頭から離れず、現在も町の中のひとつひとつの建物を“国宝”という思いで補修に取り組んでいるという。
南町の『町並み保存』は、内藤さんをはじめとする地元工務店の皆さんの「熱い思い」を継承できる『次世代の職人を育てることができるかどうか』にかかっているようだ。
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2016年度時点で、国内の『重伝建地区』は111ヶ所が指定されているが、どの地域でも大きな課題となっているのは、『建物を補修する技術の継承』が追いついていないことだ。
低コスト化や工期短縮など効率重視の現在の建設・建築業界において、『建物の復元』という作業は時代を逆行するものではあるが、古き良き日本の町並みを保存するためには、何より『伝統的な補修技術の保存』が不可欠であることを我々も認識しなくてはならない。
■取材協力/美馬市役所 商工観光課
http://www.city.mima.lg.jp/kankou/index.html
2017年 01月23日 11時06分