猫の飼育理由の1位は迷い込んできたから。「日本猫」は日本原産ではない

日本列島に古くから生息していた猫属のツシマヤマネコ。1971年に国の天然記念物に指定された。現在の生息数は100頭弱といわれ、国内希少野生動物種に指定されている日本列島に古くから生息していた猫属のツシマヤマネコ。1971年に国の天然記念物に指定された。現在の生息数は100頭弱といわれ、国内希少野生動物種に指定されている

日本人は猫好きが多いようだ。ネコノミクスなる言葉がメディアで躍り、猫を冠せば何でも売れるということで、景気回復の救世主とまで期待された。現在も、猫と暮らせる賃貸住宅が話題になったり、猫のお祭りが定期的に開催されたりなど、相変わらずの猫ブームが続いている。

そんなに猫の人気が上がっているのかと、実際の飼育数の推移(※1)を調べてみたところ、実は2011年頃からさほど変化は見られず、960万から990万あたりで推移している。2017年には、猫の飼育数が初めて犬を超えたということでニュースになったが、それも犬の飼育数が徐々に減少していることで起きた現象だった。

飼育数に関していえば、犬も猫も室内飼いが当たり前の時代になったため、日本の住宅事情ではそろそろ限界値にあると目されるが、人間の数は減少傾向にあるのに、猫は減らないというのは何ともすごいことだ。

このような猫人気は日本だけに限ったことではない。世界の飼育動物の調査結果(※2)によると、猫は犬を押さえて第5位にランクインしている。その数は6億3,000万匹で、犬との差はなんと2億匹にもなる。しかも1位から4位までは、牛・羊・豚・ヤギなどの家畜動物なので、ペット人気としては実質トップである。

ちなみに日本における人気の猫種(※3)は、1位は雑種、2位はスコティッシュ・フォールド、3位は日本猫で、この順位は3年連続だそうである。不動の1位が雑種であるのは、猫の飼育理由の1位(※4)が「迷い込んできたから飼うことにした」というところに起因するのだろうが、猫好きの心優しき日本人を彷彿とさせて微笑ましい。

さて、この3位の日本猫は日本特有の猫種とされているが、もともと日本にいたわけではない。猫科猫属は大きくヤマネコとイエネコに分かれていて、日本産の猫科動物はツシマヤマネコとイリオモテヤマネコの2種だけである。

では日本猫はどこからやってきたのだろうか?その意外なルーツが最近解明された。
(※1 国民生活センター調べ)(※2各種調査資料より独自に集計)(※3※4アイペット損害保険会社の調査による)

人と共に世界を渡った猫たち、卑弥呼より前の時代からいた猫はその後に姿を消した?

日本猫を含むすべてのイエネコの祖先は、2007年に行われたミトコンドリアDNA解析により、中東砂漠地帯に生息していたリビアヤマネコであることが確認された。日本固有種であるツシマヤマネコとイリオモテヤマネコはベンガルヤマネコの亜種であり、現在の日本猫とのつながりは見られない。

つまり昔ながらのタマもミケも、最近の人気ネーム(※5)のムギもレオもソラもマルもココも、ルーツはみなアラビア半島あたりにあるというわけだ。ではこれらの猫たちは、いつ、どのように日本へやってきたのだろうか。これが何とも難解でミステリアスなのである。

これまで、日本にイエネコが渡ってきたのは、仏教の伝来と同時期の6世紀ごろであるとされてきた。

猫と仏教には古くからつながりがあり、猫は鼠害から書物を守る番人として珍重されていた。江戸時代の戯作者である田宮仲宣の記した「具雑俎(ぐざっそ)」にも、海を渡って大事な経文を運ぶにあたり、ネズミの害から守るために猫を船に乗せたとの記述がある。鎌倉時代には仏教寺院で猫が飼われていたという記述も残されている。

ところが2011年に、長崎県壱岐市にある弥生時代のカラカミ遺跡からイエネコの化石が発見されたのである。つまり仏教が伝来するはるか昔の時代、紀元前1世紀の日本に既に猫がいたことが確認された。

この壱岐の弥生時代の遺跡は、魏志東夷伝倭人条に出てくる「一支国」の一部と考えられており、つまり卑弥呼の時代よりもさらに以前から猫がいたということになる。

しかしながら、他の弥生時代の遺跡からはイエネコの痕跡が全く見つからないのである。同時代に渡来したと考えられている豚や鶏などの骨は、多くの遺跡から出土していて、かなり早い時期に広範囲に定着したことが分かっている。

なぜ猫は定着しなかったのだろうか。考えるに、当時の日本の社会においては、益獣としての猫をあまり必要としなかったからではないかと思われる。

猫はエジプトで初めて家畜化され、穀物を荒らす害獣退治をもっぱらとした。その有用性から神の一柱として信仰を集め、豊穣の女神として人々から愛された。その後、中国に渡っても穀倉の番人の役目をよく果たした。アメリカンショートヘアもネズミ捕りの役割のためにメイフラワー号に乗ってイギリスからアメリカに渡った。猫は古代より人と共に移動し、ネズミ退治の切り札として世界中を渡っていったのである。

しかし当時の日本においては、食糧事情を大きく変える家畜や家禽の輸入には積極的であっただろうが、猫に関していえば、ネズミ返しが取り付けられた高床式穀倉もあることだし、益獣としての有用性がそれほどなかったのかもしれない。少なくとも今の時点では、古代日本に猫が多数いた痕跡は発見されておらず、当時、渡来した個体数はごく少数であり、広く定着するほど繁殖がうまくいかなかったと推察される。
(※5猫の名前ランキング2020/アニコム損害保険株式会社調べ)

おおらかな性格で船旅向きということで選ばれたアメリカンショートヘア。メイフラワー号に乗ってイギリスからアメリカに渡ったおおらかな性格で船旅向きということで選ばれたアメリカンショートヘア。メイフラワー号に乗ってイギリスからアメリカに渡った

綱につながれ置物として珍重されていた猫、猫妖怪の出現は仏教の影響?

文献史料においての猫の初出は、平安初期である。822年に薬師寺の僧侶、景戒によって書かれた「日本国現報善悪霊異記」の中に猫が登場する。この書物は世の中の奇跡や怪異を集めた日本最古の説話集で、父親が猫に生まれ変わって息子に飼われた話が収録されている。

源氏物語にも猫が登場するシーンがある。若菜下に「唐猫の、ここのに違えるさましてなむ侍りし」とあることから、平安中期には唐猫、つまり中国からの輸入猫が貴族社会で飼われていたことが伺える。また、唐猫はこちらの猫とは違った様子をしているというところから、当時、既に日本猫らしきものが定着していたらしいことが分かる。ただどのくらいの個体数が居たのかまでは史料中には見えない。

鎌倉後期になると、猫の存在はさらに広まっていく。「夫木和歌抄(ふぼくわかしょう)」という藤原長清が記した私選和歌集には「のらねこ」の表記があり、野生化した猫の存在があったこともうかがわせる。

当時、猫は非常に高価な存在で、首に縄をつけ、座敷の中で置物のようにして飼育されていた。猫の生態を考えると、かなり過酷な飼育環境と言わざるを得ないが、中には脱走するものもいただろうから、それが「のらねこ」として広まったと思われる。

面白いのは、その少し前、鎌倉中期ごろから「猫又」をはじめとした猫妖怪の話が多くなっていくことだ。このような妖怪話が出現した背景には、仏教の経典の影響があったと思われる。

日本に禅宗が伝来したのは鎌倉初期である。天台宗の僧侶であった栄西が南宋に留学、禅宗を持ち帰り、鎌倉に臨済宗を開いた。その際に持ち帰った大量の南宋一切経の中に、大般若経の解説書である「大智度論(だいちどろん)」があり、その一節に「火車が迎えに来て生きながら地獄に落とされた」というものがある。この火車の正体に関しては諸説あるのだが、その中のひとつに猫があった。

猫は可愛らしいがミステリアスでもある。昼間の瞳は細く鋭利で、夜目は闇夜に光る。ましてや「のらねこ」は大概鋭い目つきをしている。その猫が生きながら地獄に落とす火車の正体だと聞けば、猫妖怪の都市伝説がまことしやかに広がっていったとしても無理はないことだろう。

信心深い時代である。中には恐ろしくなって、猫をそっと手放す者もいたことだろう。妖怪の話を聞いて猫を放す者が増えたのか、「のらねこ」が増えたことでさらに妖怪話が広まったのか。どちらにしても猫妖怪の流布は、それまで縄でつながれ動くこともままならなかった猫たちが、自由に歩き回ることができるキッカケになったかもしれない。

金色に輝く目を持つ黒猫は不思議な魅力に溢れている。日本猫にも黒色の毛を持つものがいる。夏目漱石や宇多天皇の愛猫は黒猫だった金色に輝く目を持つ黒猫は不思議な魅力に溢れている。日本猫にも黒色の毛を持つものがいる。夏目漱石や宇多天皇の愛猫は黒猫だった

猫の放し飼いの義務化、江戸時代からあった猫ドア付きの家と猫女中

初代喜多川歌麿の錦絵。初代歌麿は曲輪絵を得意とし、数多くの美人画を残したことでも有名。この作品も曲輪での生活の情景を描いており、小僧が花魁の飼い猫の面倒を見ている姿が描写されている初代喜多川歌麿の錦絵。初代歌麿は曲輪絵を得意とし、数多くの美人画を残したことでも有名。この作品も曲輪での生活の情景を描いており、小僧が花魁の飼い猫の面倒を見ている姿が描写されている

このような猫の飼育方法に変化が生まれたのが、1600年代の初頭である。慶長7年(1602年)8月中旬、町奉行所によって京洛の一条通りの辻に高札が建てられた。その内容は「一、洛中猫の綱を解き、放ち飼いにすべき事、一、同猫売買の禁止の事、この旨に背くにおいては、堅く罪科に処せらるべきもの也」というものであった。

実は、この高札が掲げられる以前から、再三にわたって猫の飼育についての法度が出されていた資料が見つかっている。例えば、天正19年(1591年)には前田玄以の名前で、猫を盗んではならない、猫が他所から離れ来たるもの(のらねこのこと)でも勝手に手元に捕らえて置いてはならない、また猫を売買する者たちは売った者も買った者も厳しく処罰されるという町触れが出されている。

このような猫の飼育環境を法令化したのには、人口の急激な増加による鼠害の蔓延という社会背景があったからだ。

当時、猫は超高級品であり、故に「のらねこ」を捕まえては金持ちに売る者たちが横行していた。結果、町から「のらねこ」が消え、猫を飼う者たちはますます家の奥へと大事にしまい込んだ。そうなれば町はネズミの天国となる。しかしこの高札以後は、洛中の鼠害は急速に鎮静化していった。

ちなみに天正という時代は安土桃山の南蛮文化が花開いた時代でもあり、当時、豪商や新興武家などが中心となって積極的に唐物を輸入した。当然のごとく、高価な唐猫も多く日本に入って来た時代である。

そんな時に突然、大事な猫を放し飼いにしろという法律が施行されたのだから、豪商たちはさぞ慌てたことだろう。しかし触書には、つなぐな、盗むな、売り買いするなとはあるが、敷地の外に放せとは書かれていない。

そこで大切な猫が逃げ出さないように、奉公人に命じて見張らせた豪商たちもいたようである。実際、多くの絵画作品の中に、女主人の横に猫を抱えて世話をする女中の姿が描かれていて、まさに猫女中の存在をうかがわせる。

ちなみにこの頃から、盗賊除けのために武家屋敷以上の防壁を張り巡らせた豪商が現れるのだが、もしかしたらその一因には猫の脱走防止の意味もあったのかもしれないと思うと面白い。

また江戸中期頃になると、農村部に猫専用の出入り口を台所に設えた家屋が登場した。現代風に言えばペット用ドア、猫ドア付きの住宅である。特に養蚕農家では、蚕がネズミに食べられてしまえば死活問題になる。その解決策が猫を飼うことであった。また17世紀末の大きな農家の家を復元した長野県の重要文化財である「春原家住宅」にも猫ドアが見られる。これは地面の近くの壁面に丸く穴が開いていて、四角い扉もついているという、かなり本格的な猫ドアである。

生類憐みの令では猫は対象外、化け猫ブームが起こった江戸時代

江戸時代も5代将軍の治世になるといよいよ治安も安定し、武断政治から文治政治へと変わっていった。儒教を精神的な支柱とし、仏教の慈悲をモラルの根幹に置く「仁政」を布いたのが、「生類憐みの令」で有名な徳川綱吉である。

綱吉は、後世では犬公方と呼ばれるなど悪評が絶えない。しかしこれは主には政敵の歪曲によって意図的に貶められた結果であり、生類憐みの令はそれほどの悪法ではなく、また犬だけを対象にしたものではなかった。

この法令は、社会における儒教的な上位者尊重と、仏教的な弱者への慈悲との対立をどう解決するかという葛藤から生まれたもので、生類の主な対象には、捨て子・姥捨て・捨て病牛馬・捨て犬・鷹狩りの獲物の鳥類と広く多種に及んでいる。見方を変えれば上位者が絶対正義の世の中で、唯一の弱き者へ手を差し伸べる法令であった。

ここで注目すべき点は、条項に猫の文字が入っていないことである。日本の歴史上、猫はいつの時代でも大事に飼育される高級愛玩動物であった。法令によって窃盗や売買が禁止され、飼育環境まで罰則付きで定められるなど、ことさら生類憐みの令で守る必要がないくらい特別な存在であったのである。

猫が大事にされた理由のひとつには、繁殖の問題もあったようだ。雑食性の犬と違い、猫は純粋に肉食獣である。日本は古来、動物性タンパク質を摂取する習慣が基本的にはなく、また敷地内に限られた活動範囲ではネズミの数も知れている。

日本では猫が食べるタンパク源といえば魚くらいしかなく、それ故に猫は魚好きというイメージが広まったが、これは日本に限ったことである。栄養価という意味では、動物性脂肪や油分が不足することとなり、そんな健康状態では繁殖も上手くいかなかったことだろう。

当時の風俗本には、猫が行灯の油を舐めるという描写がよく出てくるが、不足した油分を補給していたのだろう。そしてそれを見て驚いた人間が、化け猫話を創り出し、鍋島の猫騒動などの怪談が出来上がっていくのが面白い。

日本人にとって猫は古くから大事にされてきた愛玩動物であり、以前は生活に欠かせない益獣でもあった。しかし2018年の猫の殺処分数は3万757匹、同年の犬の殺処分数7,687頭の4倍近い数である。置物のようにつながれていた時代から、外に出る時代へ、そして現代は室内飼いの時代へ、猫はいつも人間と共に生き、人間の暮らしに翻弄され続けている。どちらにしても、世の猫すべてが幸せであらんことを、猫好きの筆者は切に願うものである。

三毛猫は中国の三花猫(サンファアマオ)が日本に輸入され定着したと考えられる。特徴は毛色が三色で構成され、キジ三毛や縞三毛など構成色によって数種存在する三毛猫は中国の三花猫(サンファアマオ)が日本に輸入され定着したと考えられる。特徴は毛色が三色で構成され、キジ三毛や縞三毛など構成色によって数種存在する

2020年 07月18日 11時00分