「うんことくらし‐便所から肥やしまで‐」という企画展

「うんことくらし‐便所から肥やしまで‐」なる特別企画展示展が、川崎市立日本民家園で開催されている(2020年1月4日(土)~2020年8月30日(日))。
日本民家園とは、昭和42年に開園した古民家に特化した野外博物館だ。小田急線の向ヶ丘遊園駅から徒歩10分ほどにある生田緑地の一角にあり、春の桜、秋の紅葉と景観が美しく、海外からもやって来るほど、注目の観光スポットである。

なぜに「うんことくらし‐便所から肥やしまで‐」なのだろうか。この企画展の意図について日本民家園の園長 渋谷卓男氏にお話しをうかがってきた。

日本民家園では「家を建物としてだけ見せるのではなく、暮らしを見せたい」と考え、人々の生活を掘り下げて展示している。園長によると「うんことくらし」展は、江戸時代から近代にかけて民家においての「トイレ」事情についての解説がされている企画展だということ。

展示は野外展示している古民家とも連携した仕掛けになっていて、展示室の見学後、実際の古民家を見て歩くと、さらに昔の暮らしへの興味がわいてくるようになっている。

日本民家園には、富山県五箇山からの合掌造りの建物がいくつもあり、奥に江向家住宅で左手が山田家住宅だ。日本民家園には、富山県五箇山からの合掌造りの建物がいくつもあり、奥に江向家住宅で左手が山田家住宅だ。

日本民家園の誕生は、1軒の古民家を地元に残す運動から

この日本民家園の大きな魅力は、東日本の代表的な民家をはじめ、水車小屋・船頭小屋・高倉・歌舞伎舞台など25軒もの実際の建物を見ることができること。すべての建物が、国・県・市の文化財指定を受けている。

そもそも日本民家園が誕生するきっかけは、何だったのだろうか。

渋谷園長によると、昭和30年に新百合ヶ丘駅の近くに、「伊藤家住宅」という江戸時代からの古民家があり、それを横浜国立大学の学生が卒業研究で見出し、保存に動いたことが始まりとのこと。
実は、その古民家は、横浜市にある三渓園に移築されることに決まっていたが、川崎市で保存しようという地元の運動がおき、それが、生田緑地に日本民家園をつくるまでに発展したそうだ。他に川崎市内の清宮家の建物も譲り受け、さらに富山県の南砺市にある五箇山の合掌づくりの野原家も譲り受けた。昭和42年の開業当初は、まず、この3つの古民家を保存展示することから始まった。

当時は高度経済成長の後半期で、全国で古い家を取り壊し、新しくモダンな家をつくろうという流れがあった。それでは、古い家がなくなってしまうと、古民家を解体するという情報が同園に入ると、譲ってもらうよう連絡をした。その後、昭和40年代で一気に古民家の移築が進み、現在の建物がほぼ揃ったそうだ。

日本民家園の誕生のきっかけになった新百合ヶ丘にあった伊藤家住宅。真ん中にある格子窓が特長だ。日本民家園の誕生のきっかけになった新百合ヶ丘にあった伊藤家住宅。真ん中にある格子窓が特長だ。

トイレの歴史や文化には子どもも大人も大喜び

上:本館展示室で開催中の特別展「うんことくらし展」だ。手前のテーブルには、江戸時代のトイレットペーパーが展示されていて触ることもできる/下:佐々木家住宅の入口前にある当時のトイレが、企画展のきっかけになった上:本館展示室で開催中の特別展「うんことくらし展」だ。手前のテーブルには、江戸時代のトイレットペーパーが展示されていて触ることもできる/下:佐々木家住宅の入口前にある当時のトイレが、企画展のきっかけになった

今回の「うんことくらし展」の開催のきっかけは、園内にある1軒、佐々木家住宅だったという。
佐々木家住宅は、18世紀前半の江戸時代中期に建てられた国指定重要文化財で、長野県佐久穂町から移築された名主の家だ。この家の特長は、なんと建物の入口に便所があること。その外便所は、壁も何もなく、しかも家の正面にある。男性の小用で、土足のまま使えるようになっている。
「トイレが家の真正面で、それも壁がないことが、見学に来た子どもたちには、衝撃的だったようです」と渋谷園長。それがきっかけで、昔の暮らしが垣間見える便所を中心とした今回の「うんことくらし展」の企画を思いついたという。今回のタイトルは、子どもが興味を持ってくれそうなものにした。

開催中の本館展示室では、「うんことくらし展」のために、見慣れないものも多く置かれていた。例えば江戸時代のトイレットペーパーとして活用した植物や枝などだ。実際に触ることができ、江戸時代の庶民のお尻に思いをはせる。他に肥溜めに運ぶための道具など、生活用民具を資料として展示している。

さらに野外展示の古民家マップが掲出されていて、どこに特長的なトイレがあるのか示している。
名主クラスの家には、家の中に来客用のトイレもあり、それも畳敷きの真ん中に便器があるというデザインとして紹介されている。古民家を漠然と見て回るよりも、注目ポイントを持って楽しめる仕掛けになっているのだ。

当初復原というコンセプトが歴史的価値を生む

上:ユニークなトイレがある佐々木家住宅は、長野県南佐久郡から移築された。江戸時代の18世紀前半の享保年間の建物だ/下:長野県伊那市から移築された三澤家住宅で、19世紀なかごろ、かつて薬種問屋を営んでいて、当時の面影を再現している上:ユニークなトイレがある佐々木家住宅は、長野県南佐久郡から移築された。江戸時代の18世紀前半の享保年間の建物だ/下:長野県伊那市から移築された三澤家住宅で、19世紀なかごろ、かつて薬種問屋を営んでいて、当時の面影を再現している

「実は、佐々木家住宅など特徴的なトイレの形は、移築後に復原されたものです」と、渋谷園長。

古民家はすべて現地で解体されて、この日本民家園で組み立て作業をしたのだが、その時、気を使ったポイントは竣工時の江戸時代の姿に戻すことだった。
移築した昭和40年代まで、実際にそこに家主が暮らしていたので、住み心地を良くするために、すべての家が増改築されていた。例えば、トイレはもともと家の外にあったのを、利便性を良くするために家の中に改築し、またキッチンも土間だったものを、ステンレスやタイルのモダンなものを新調していた。当然、畳のトイレは無かったそうだ。

日本民家園のコンセプトとして、その増改築部分は取り除き、江戸時代の当時の雰囲気に戻す「当初復原」という方法がとられている。
伝統建築の専門家が立ち合い、解体しながら、柱の加工の跡を調べて、後から増築した部分を確認した。さらに当時の建築の歴史を調べるなど、元に戻す作業を進めた。入口前にトイレがある佐々木家住宅には、建築工事の古記録が残っていたので、当初復原に役立ったそうだ。

また、もうひとつ日本民家園誕生のきっかけとなった伊藤家住宅では、狼や猪などの侵入を防ぐための「シシマド」「シシよけ窓」などと呼ばれる格子窓が正面に復原されている。さらにキッチンは、しゃがんで作業する「すわり流し」という当時のものに復原された。

様々な調査によって、建築当時の古民家が復原されているのだ。

耐震補強など、やるべきことはまだまだある

上:外国人観光客にも対応できるよう、入口付近には英語、中国語のほか全部で12言語のパンフレットが並ぶ/下:正面の大きな屋根は白川郷の合掌造りで、すでに耐震補強は完了している。お蕎麦屋としても営業上:外国人観光客にも対応できるよう、入口付近には英語、中国語のほか全部で12言語のパンフレットが並ぶ/下:正面の大きな屋根は白川郷の合掌造りで、すでに耐震補強は完了している。お蕎麦屋としても営業

開園から50年以上が経った今でも、訪れる人が絶えないのは、建物の魅力だけではなく今回のようなユニークな企画展や立体的な取り組みが大きいのだろう。

特別展の他に、建築の専門家による古民家の見学ツアーを実施して、建物や暮らしの細かいポイントを説明する。さらに、園内に伝統的な藍染めを手軽に体験できる施設があり、川崎市の紺屋の技術を継ぐ8基の「藍がめ」を活用して、藍染め体験やミニ展示・講座などを行っている。また古民家の旧所在地の交流事業にも力をいれていて、その地域の自治体と協力関係を結び、物産展をしたり郷土芸能を披露してもらう。
建築だけではなく、地域の風土も知ってもらいたいとの想いでスタートしたが、観光客を呼ぶプロモーションにつながったそうだ。実際にここで芸能の公演を見て、五箇山を訪れた人もいるそうだ。

また外国人観光客も多く来園され、パンフレットは、12か国語、音声ガイドは4か国語も準備。訪日観光客が、まだ少ない時分から、インバウンドへの対応に取り組んできたそうだ。やはり、伝統的な日本の建物や暮らしに興味を持つ外国人が多いのだろう。

今後の課題として、渋谷園長は建物の耐震補強をあげる。東日本大震災時に古民家の倒壊を心配されたが、何とか持ちこたえた。その後、独自に耐震診断をして、建物の耐震基準が一番弱い順番から補強を始めている。すでに3軒を改修していて、あと16軒あるそうだ。
「いつになったら終わるのか、少し気が遠くなりますよ」と渋谷園長。
「今後、全国の文化財を改修する参考になるような取り組みにしたい」と抱負も語る。

建物そのものが文化財なので、目立たたないように耐震改修しなくてはならない。そのために専門家に集まってもらい、構造計算や設計に時間をかけている。そのノウハウの蓄積は、今後、全国に残る古民家の保存にも役立てたい、ということだ。

古民家に興味がある人は、日本民家園に足を運んではいかがだろうか。ますますその魅力に引き込まれるに違いない。

2020年 06月17日 11時05分