駅から車で10分ほど。穏やかな空気が流れる住宅街に佇む大きな古民家
兵庫県姫路市、JR網干駅から車で走ること約10分。一面の田園風景を抜けた先の住宅街に「イシヅカ靴店&カフェ」はあるはずだ。近くまで来ているのだとは思うが、そこは「本当にここに?」と言いたくなるような、昔ながらの住宅街だった。
店の場所がわからずキョロキョロしていると、
「どこをお探しですか?」と、住人の女性が声をかけてくれた。「靴屋さんがあるはずなんです…」
半信半疑で尋ねると、
「靴屋さんね。それならこっちですよ。ついてきて」と、親切に道案内をしてくれた。
こんなあたたかなやりとりが日常の風景なのだろう。地域全体に、のんびりとした、穏やかな空気が流れている。その雰囲気になじむように、ひっそりとお目当ての「イシヅカ靴店&カフェ」はあった。
店は細い路地に面してたつ古民家。家の前には車が数台駐車できるほどのスペースがあり、2階建て。玄関と勝手口だろうか、通り側に立派な入口が2つある堂々とした日本家屋だ。
ここを営むのは、靴職人でカフェ店主の石塚昌美さん。もと中学の英語教師という経歴の持ち主だ。
水回り以外は、ほとんど1人で半年かけて改修
向って右手の小さいほうがカフェの入り口。中には細長い土間にカウンターテーブルが置かれ、奥にはかまども見える。2階へ上がる階段が、1階部分に斜めにせり出しているのだが、その部分をカフェのメニュボードとして利用していて、エスプレッソ400円、なんて文字がびっしり。さらに、靴がディスプレイされた棚の向こうには、畳の間のカフェスペース。そして、その隣の部屋が靴作りの工房だ。
築60年というが、古さはあまり感じない。建具など使える部分は再利用しているが、床、壁、天井、ほぼリノベーションされている。実はそのほとんどを、石塚さんが1人で改修したという。そう言われてあらためて見てみると、一部は天井を取り外し、梁をあらわにした吹き抜けになっているし、台所にはビルトインコンロも設置してある。テーブルは廃材を利用して作ったという。とても1人でやったとは思えない。しかも初リノベでここまでとは…。
「水回りだけは大工さんにやってもらいましたけど、そのほかは自分で。まずは自分が住む2階をやって、少し慣れてから1階へ。壁を塗ったり、工房を板間にしたり。大工さんにいろいろ聞いて教えてもらいました。購入した物件なので、自分の好きなようにできました。今見ると、『ここが下手だな』とか、あちこち思い出深いですね」と笑う。
転機はイタリア・フィレンツェへの留学
そもそも英語教師をしていた石塚さんが、なぜ靴職人に? なぜ古民家を1人でリノベーションすることに? 転機は、教師として10年ほど勤めた頃に訪れた。
「仕事は充実していて、生活も安定している。だけど、このままでいいのかな?そんな気持ちがふとよぎりました」
もともと手先は器用。革細工に興味があり、財布やカバンを作ったり、土日や夜に神戸にあるスクールで靴づくりを学んだりもしていた。だが、それはあくまで趣味。仕事にするほどの腕ではない。だが将来に対する不安と、好きで続けてきた趣味の革細工が、人生を変えることになった。
2016年3月、教師をやめた石塚さんは、革製造で有名なイタリア・フィレンツェへ渡った。さまざまな職人が集まる専門学校へ入学し、語学や靴づくりを学んだ。そして、フィレンツェでイタリアのカフェ文化やリフォーム文化に触れたことも、石塚さんの人生に影響を与えた。
「イタリアには、フラッと立ち寄って気軽にコーヒーを飲むようなカフェが本当にいたるところにあるんです。それにイタリアの人たちは、家を購入したら、好きなように改修して手直ししてから住む。そういうの、素敵だなと思いました」
勉強しながら、イタリアの文化にも触れた1年2ヶ月。留学中から、帰国後は店を開こうと決意し、物件探しを始めていた。そして、網干のこの物件に出合ったのだ。
「前に住んでいた人がきれいに使っていたんだと思います。手直ししたら使えそうだなって。リノベーションなんてしたことはありませんでしたが、『できそうな気がする』って(笑)」
その直感は正しかった。帰国し、半年かけてリノベーション。その結果がこの空間だ。2018年1月に完成し、「イシヅカ靴店&カフェ」をオープン。フィレンツェで出会った、靴、カフェ、リノベーション。この3つのアイデアが実践された空間だ。
職人として、姫路産の革をアピールしていきたい
現在、午前中は靴をつくり、午後からはカフェ営業が基本。近隣の人だけでなく、遠方からも来店や問い合わせがあるという。靴は、革をカットし縫い合わせてと、すべてが手作りのため、1週間に一足しかできない。先が丸みを帯びたクラッシックなデザインが石塚さんの靴の特徴だ。
「オーダーで靴を作りたいという人は、足の悩みを抱えていることが多い。トラブルを聞いて、どういう靴にするのか考えないといけない。そうやって作った靴も、その人が履いて、しばらく履いてみないと、本当に要望に合っているのかどうか分からない。それが難しいところです」。靴づくりは試行錯誤の連続だ。
姫路市と隣接するたつの市は日本有数の革の生産地。播磨地域の革は、平安時代に書かれた「延喜式」にも記述があるほど歴史は古い。石塚さんも姫路の革を使っている。
「材料をすぐに買いに行けるし、生産者の方も、私のような職人を応援もしてくれています。この地域の革をアピールしていきたい」
自らが手を入れた古民家で、姫路の革の良さが伝わる靴をつくり、訪れる人に一杯のコーヒーを出す毎日。石塚さんの第2の人生は、教師とはまた違った出会いに溢れている。
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