リノベーションは空家以外も変える

東岡崎駅前からタクシーに乗った。銀行や老舗らしい和菓子店などが並ぶ大きな通りから右折したところで、初老の運転手さんが困惑したような口調で私に聞いた。「どちらに行かれるのですか。この通りには何もありませんよ」

その、2と7のつく日に市が開かれていたことから「二七市(ふないち)通り」と呼ばれる通りはかつて賑わった商店街。50店ほどもの店が並び、地元の若い人たちが買い物やデートに集まった場所である。だが、徐々に衰退。今では運転手さんが言うように寂れた、歩く人を見かけることもほとんどない通りである。

そこに3年前、7年以上も空き家だった家具店をリノベーションして生まれた場所がある。
街路に大きく開かれた開放的な外観が印象的な『wagamama house(わがままハウス)』(以下わがままハウス)である。毎週火曜日~木曜日の3日間の11時半から16時半までは惣菜店であり、カフェであるとともに、火曜日から土曜日の18時以降は塾であり、店内には菓子工房があり、時にはさまざまなイベントが開かれることもと、一言で何屋さんと言えない使われ方がされている。そもそも、惣菜店やカフェだとしたら、わがままハウスという店名はちょっと不思議だ。

だが開業から3年を経て、その謎な場所に人生を変えたいけれど、その方法が分からないお母さんたちが集まり、疲れた主婦たちが安全で美味しい食べ物とほっと一息つける時間を求めて立寄り、次第に周辺に笑顔を広げつつある。空家だった建物だけでなく、そこに関わる人達をもリノベーション(改革!)してきたこの3年間を中根利枝氏に聞いてきた。

左上から時計周りに外観、天井が高く、広々とした店内、今のところ使われていないが2階もある、店内にはご近所にあるスノーピークスのテントも置かれており、楽しげな雰囲気左上から時計周りに外観、天井が高く、広々とした店内、今のところ使われていないが2階もある、店内にはご近所にあるスノーピークスのテントも置かれており、楽しげな雰囲気

ある日、声が出なくなった

3年目を迎え、男性客も目につくようになった店内。活動のベースにある思いが店内あちこちに書かれている3年目を迎え、男性客も目につくようになった店内。活動のベースにある思いが店内あちこちに書かれている

隣家の幼なじみと結婚、2人の男の子を育てながら次男である夫の実家の農園を長年手伝い続けてきた中根氏。
何かを頼まれると期待された以上のものを生み出そうとする律儀な人だが、立場や場合によってはそこまでを望まれていないこともある。そんなことが度重なった。子どもたちを巡っても表には出ない小さないざこざがあった。住んでいる団地には地元の大手企業関連の会社に勤めている人が多く、周囲に無関心な人がいたり、自分の中に問題を抱えこんで欝々とする人がいたり。いろいろと神経が擦り切れるような思いが続き、ある日、声が出なくなった。

「そこで考えました。私、何が望みだったのだろう。幸せになろうとしていろいろやってきたのに、幸せになっていない。私が幸せでないから、回りも幸せではない。こんなの、おかしい」

折からの震災にさらに考えた。そして2014年に地元産の野菜などを使った料理教室を始めた。農業も、子育ても相手があるものはうまくいかないこともある。その世界だけに閉じこもって悩みのみを見続けていても問題は解決しないし、物事は変わらない。逆にそのことしか考えないことで悩みがより深くなることもあろう。であれば自ら動くことで自分の生きている世界そのものを変え、悩みの比重を小さくしてしまおうという発想の転換である。

続けているうちに価値観を共有する友人が増え、手応えを感じ始めた頃、2016年2月に岡崎市で開かれた第1回リノベーションスクールに誘われた。それまでまちづくりには無縁、知識も無かった中根氏だが、かつて遊んでいたまちがゴーストタウンになっていることは寂しかった。それに何より、そこで語られた「欲しい暮らしは自分でつくる」というリノベーションスクールの原点ともいう言葉に覚醒した。そうだ、周囲に文句を言うのではなく、自分でやろう。参加を決めた。

お金が集まらない! 不安を抱えてのスタート

店内に並べられている惣菜。生産者の顔の分かる材料を使い、手作りされている安心感がある店内に並べられている惣菜。生産者の顔の分かる材料を使い、手作りされている安心感がある

リノベーションスクールでは、ユニットごとに街中の空き家に利活用の提案を行う。中根氏のユニットが題材としたのは現在わがままハウスがある建物。

当初の提案は「好きで得意なことを活かしたママが利用できる会員制レンタルスペース」というもの。幸い、教育者である建物オーナーはその提案に「これこそ教育」と賛同、安く貸してくれることになったが、問題は家賃。ユニットマスターの嶋田洋平氏の「やりたい人が12人集まり、1人1万円ずつ出したら家賃が払える」のアドバイスに納得、スタートを決めたものの、残念ながら人数は集まらなかった。場所の広さに対して駐車場が2台分と少ないことが懸念された。無料の駐車場があるからイオンまでは行くけれど、駐車料金を出してまでここには来ないというのである。

ビジネスはすでに走り始めており、中根氏はやむなく自分で料理を作ってもてなしをすることでスタートを決断する。当初は現在の広さを自分一人で切り回すのは無理と、改修などを担当した三河家守舎の山田高広氏に「半分のスペースでいい、予算はかけないでくれ」と言ったそうだ。だが、山田氏にやるからにはきちんとやろうと諭され、中根氏としては不安を抱えての門出となった。

夫は「好きなことをやればいい」、義理の妹は「一緒にやる!」と味方だったというが、それ以外の家族は大反対。「絶対にうまくいかないとまで言われた時には凹みました」。実際、始めて2年目までは自らひたすら料理を作っていたという中根氏。とはいえ、その間も少しずつ変化は起きていた。

人を雇おうにも給料が払えないような状態の、最初の頃。ご近所に住むママがやってきた。「人生を変えたい、働かせてくれる?」。そんな人が続いた。3年目の今は3人を雇うまでになった。

幸せそうに働く姿に惹かれる人多数

場をつくることで人が集まるようにもなった。わがままハウス内には惣菜を作るキッチンの奥に菓子工房があるのだが、これはお菓子も販売できたらよいのではというつもりで作った場所。それを見かけて貸してほしいという人が現れた。お菓子工房Riloの本松里恵氏だ。

「3人の男の子のお母さんで、子どもの頃からお菓子作りが好きだったそうですが、大学を出てすぐに子どもが生まれ、夢を実現するチャンスが無かった。でも、ここを見かけて挑戦しようと覚悟を決めたのだとか。まだ、子どもに手がかかるからと3時には切り上げて帰るなど上手に両立していらっしゃいます」

2019年3月から塾・Teraco8を開くようになった田中崇善氏との出会いもあった。「バックパッカーをやっていた時、フィリピンのゴミの山で教科書を探している男の子と出会い、教えてあげたいと思ったのだそうです。学びは人が幸せになるための手段であり、できなかったことができるようになること。それを教えたいとこの場を使うことになりました」

現在、わがままハウスの建物は三河家守舎が借りて、それを中根氏らが転貸し、改修費用450万円と合わせて返済しているそうだが、こうして場所を定期的に借りてくれる人が出てきたことで経営的には大分、楽になってきたそうである。

といっても儲かっているわけではない。だが、働いてハッピーであること、お金以外にも幸せなことがあるよねということをここで実践できているのは良かったと中根氏。

もともと、どんな地域にも何かをやりたい人、人生を変えたい人はいるはず。ところがそれを叶えてくれる場はどこにでもあるわけではない。特に家事の評価が低いこの国にあって、主婦は自らを価値が低いものと思いがちだ。「ただの主婦だから」と。それがわがままハウスでは評価される。されるどころか、これまでにない価値を生む。当然、仕事が楽しくなる。その生き生きした姿が訪れる人たちに変化を及ぼしているというのだ。

手前が菓子工房。お菓子やお惣菜のほか、地元の野菜や調味料なども販売している手前が菓子工房。お菓子やお惣菜のほか、地元の野菜や調味料なども販売している

ママが幸せだと家族も、地域も幸せになる

岡崎周辺は共働き世帯も多い地域。子どもをよい大学に行かせるため、住宅や車のローンのためにと働く人が多く、仕事は嫌だけれどもお金を稼ぐためには仕方がないと考えている人も少なくない。そんな身体も心もいっぱいいっぱいで頑張っているお母さんが安心できる惣菜をと買いに来て、これまで思っていたのと違う働き方を目にすることで、頑張らなくてもいいんだと思ったり、ちょっと一休みしていこうと気持ちを転換したり……。

「リノベーションスクールで多様な生き方、考え方に触れ、世界を広げてもらった。ここでも幸せに働く姿を見せることで訪れる人の世界を広げていけたらと思っています」

世界が広がったことで何が起きたか。いろいろな話を伺ったのだが、そのうちの逸話をひとつ。女性ばかりの職場では「○さんが決められたことをやらない、私はここまでやったのに」といった類のもめ事が起きやすい。それを避けるため、中根氏は「一人で頑張らない、助け合っていこう」と言い続けてきた。スタッフを雇ってみて分かったことだという。

だが、同じことが家庭内ではできなかった。それは家事はちゃんとやらなくてはいけないという主婦ならではの呪縛だったのだろう。しかし、忙しくてどうしても手が回らなくなり、頑張れなくなり、それまで口にしたことのない弱音を吐くようになった時、家族が変わった。夫や子どもが足りない分をやってくれるようになった。無意識のうちに中根氏が言っていた「ありがとう」という言葉を家族で言い合い、助け合うようになったという。

この話を聞いて「大上段にまちづくりと言わなくても、自分たちが幸せであることが地域の幸せに繋がる」という中根氏の言葉が腑に落ちた。「ママが幸せで、子どもが自信をつけ、パパが喜ぶ。それぞれの家族が幸せなら地域も幸せになる」。その通りである。そしてその拠点としてわがままハウスがある。そこから周囲へ。幸せは伝播するもののようである。

中根氏(中央)とスタッフ一同。帰路でお弁当として食べるからと頂いた惣菜の美味しさに、もっと買えば良かったと反省したものである中根氏(中央)とスタッフ一同。帰路でお弁当として食べるからと頂いた惣菜の美味しさに、もっと買えば良かったと反省したものである

2019年 07月15日 11時05分