山形市七日町に映画館が密集した通りがあった

レトロながら清潔な印象のある店舗入り口。看板、入り口などほとんど変えられていないレトロながら清潔な印象のある店舗入り口。看板、入り口などほとんど変えられていない

山形県山形市の中心地・七日町にシネマ通りという、かつて映画館の並んでいた通りがある。戦後の映画全盛期には近隣も含めると7館あったとシネマ通りに店を構える郁文堂書店の原田伸子氏。

「私が覚えているのは大映に日活、松竹、旭座、東宝、洋画専門の銀映に紅花劇場(こうかげきじょう。山形名産の紅花・べにばなに由来)。旭座には舞台もあって、そりゃあ、賑わっていました。私たちも雨や雪が降ると仕事にならないからと早じまいして映画を見に行きましたし、逆にナイトショーをやっている日は夜中まで店にお客さんが押し寄せた。本屋で待ち合わせして映画を見に行く、見終わってから本屋に買い物に来るなど、本屋はデートの場としても使われていたんですよ」

当時のシネマ通りには映画館以外にもさまざまな業種の店があった。飲食店はもちろん、酒屋、食堂、家具屋に郁文堂書店以外に本屋も2軒。パチンコ店やダンスホール、小間物屋、スポーツ用品店などほとんどのものがこの通りで揃った。まだ、県庁が七日町に隣接する旅籠町にあり、昼も賑わった。鉄道や車の普及で日帰りできるようになるまで、米沢や庄内の議員は議会で山形に来ると旅籠町に泊まっていたそうだ。

本屋も儲かる時代だった。今では考えられないだろうが、家を買うと必需品でもあるかのように使いもしない百科事典を買う人たちがいた時代があったのだ。百科事典を毎月1冊ずつ配達してもらって揃えた後は日本文学全集、続いて世界文学全集、美術全集……。高度経済成長期は家、ピアノや百科事典を買い揃えることが幸せや富の象徴だったのである。

地元の文化拠点が一時閉店から再生へ

郁文堂書店は原田氏の義父が1933(昭和8)年に創業した。東京都文京区・本郷の古書店で10年間修業、1年のお礼奉公を経て山形市中心部で古書店を開き、現在の地に引越したのは1941(昭和16)年。最盛期には本店のほかに蔵王温泉、県立病院に売店を出し、書生や賄いなどまで入れると16人もの大所帯だったという。

新刊を扱うようになったのは戦後になってから。郷土誌を発行するなど出版業も手掛けており、また、店舗の奥にあった「郁文堂サロン」には山形県出身の歌人・斎藤茂吉や同じく歌人の結城健三、詩人の真壁仁、洋画家の真下慶治、「街道をゆく」の取材で訪れた司馬遼太郎などの文化人が集った。この地の文化拠点でもあったのである。

だが、以降の映画、書店の衰退はご存じのとおり。2008年にシネマ通りから最後の映画館が姿を消した。郁文堂書店はその前年、2007年からシャッターを閉めていた。夫が倒れて以来、原田さんは店内はそのままに店を開けなくなってしまったのである。

そのシャッターが再び開くことになったのは2016年のこと。2014年から東北芸術工科大学(以下、芸工大)が中心になって開かれている山形ビエンナーレの会場として1日限定でオープンしたのがきっかけである。目をつけたのは東京・荻窪でブックカフェ「6次元」を経営するナカムラクニオ氏。郁文堂書店店頭の佇まいに惹かれ、シャッターを開けて原田氏に声をかけ、開けてもらうことになったのだ。さらに、その日のために手伝いをしていた芸工大の学生たちが郁文堂書店の再生を目指し、クラウドファンディングをスタート。かつて文化人のサロンだった場所が再び、人の集う場所として生まれ変わることになったのである。

かつての歴史を物語るように山形市史やこの地の人物についての書籍などが並ぶ一角かつての歴史を物語るように山形市史やこの地の人物についての書籍などが並ぶ一角

書店+イベントスペースとして人が集まる場に

店主の原田氏を囲んで高橋氏、佐藤氏。大学進学で山形に来たという2人は高い建物がなく、空が広い環境の良さの一方で公共交通が少ないなどマイナス点も感じているという店主の原田氏を囲んで高橋氏、佐藤氏。大学進学で山形に来たという2人は高い建物がなく、空が広い環境の良さの一方で公共交通が少ないなどマイナス点も感じているという

リノベーションを経て2017年5月末にオープンした郁文堂書店は再生3年目に入った。オープンしているのは金曜日から月曜日までの4日間で、営業時間は11時から18時。これは現在も芸工大の学生たちの手によって運営されており、火曜日から木曜日には演習があって店番ができないという理由から。

店内は入って左側の壁際に天井までぎっしりと本が積まれた書棚があり、道路側にはカウンターのあるかつてのレジスペースがそのままに残されている。ここには店番の学生が座っていることもある。また、店の奥にはテーブルの置かれた原田氏のスペースがあり、店内右半分ほどには床が張られ、低いテーブルなどが置かれている。郁文堂書店では通常の書店同様の本の販売のほか、イベントなどに場所貸しをしており、フローリングの中央部分はそのためのスペースとなっているのである。

2ヶ月ほど前に代表を引き継いだ3年生の高橋潤氏、佐藤佳夏(かな)氏によるとイベントでの利用は多いときで月に2回ほど。お坊さんが来て座禅を組んだり、蜜蝋でキャンドルを作る、読書会や映画の上映会、講演会など内容は多岐にわたり、2018年の山形ビエンナーレではアーティストが滞在して作品を作った。お隣に響く可能性があるため、音の出るイベントは不可としているが、それ以外はほとんどなんでもあり。特にPR活動などはしていないが、店のホームページを見た人、イベントで訪れた人などからの利用問合せがあるという。利用料金は1日1万円で、周囲にある同様の施設に比べたら各段に安いそうだ。

また、店内にある本棚を棚単位で借りることもできる。高校生が自作のポストカードを置いたり、山形大学の人が自費出版した短編小説を配るのに使ったりなどと使われてきており、現在も近所の金工工房のアクセサリーが置かれている。

現実の社会課題に取り組む楽しさ

店の運営は店番、書籍の仕入れ・販売からイベントで場所を貸す際の準備・後片付けなども含め、すべて学生が行っており、しかもボランティア。無給である。書籍販売、場所貸しなどである程度の収入はあるが、それは場の運営のために必要な支出に充てられている。無給でもやりたいと思う、ここでの作業にはどんな魅力があるのか。

「自分にとっては2つ、あります。ひとつは自分の拠点がまちの中にあるということ。やりたいことがあったとき、ここを使うことができます。実際、イラストを描いている友人はステッカーを作ってここで売っています。自分の作品をリアルに社会に見せる場があるのです。この通りでやっているマルシェでフライヤーを作っているのもここのスタッフですが、それは学校の授業ではできない実践の場だと思います」と高橋氏。

もうひとつは学生が関わっているものの、大学からの援助が一切なく、完全に学生と原田氏だけで運営にあたっているという点。

「大学で解決を考える際の課題はシミュレーションですが、ここでの課題は現実。架空の解決策ではなく、実際にどうすべきかを考える必要があり、そこにやりがいというか、取り組む楽しさを感じています」

現在、高橋氏は郁文堂書店のホームページを作り直している最中で、もっとカッコよく、多くの人に見てもらえるものにしたいという。自分の作ったもので実際に人が動くと思えば関わるのも楽しいだろう。

中央がイベントスペース。壁面、廊下側に置かれた本棚はレンタルスペースでもある。奥が原田氏のスペース中央がイベントスペース。壁面、廊下側に置かれた本棚はレンタルスペースでもある。奥が原田氏のスペース

課題はもっと多くの人に関わってもらうこと

再生され、活用はされているが、まだまだ不足もあると佐藤氏。「現在関わっているのは建築系の学生が大半で、一部、グラフィックを学んでいる人たちがいる程度。文学部など他の学部の人たちや他大学の人にも関わってもらえれば、さまざまなコラボレーションができるのにと考えています」

学生が行っている社会貢献活動のひとつとして大学のパンフレットに掲載されていたり、メディアに登場するなど、ある程度の認知度はある。だが、知ってはいるけれど、関わるきっかけがないというのが現状ではないかと佐藤氏。どうしたら、きっかけをつくり、もっと関わる人を増やせるかが今後の課題だという。

とはいえ、郁文堂書店再生の前後からシネマ通りが変わり始めたという実感があるとおふたり。しかも、古着屋さん、プリンとブッセの店、雑貨店など若い人向けが中心で、歩いている人が増えた気がするとも。

山形市は空襲を受けなかったため、古い建物が多く残されている。シネマ通りにも洋品店を利用した郵便局があり、周辺にはレトロな洋館のある料亭や蔵を利用した飲食店などもあって歩いているだけで楽しい。だが、おふたりに言わせると「山形の人は歩かない」。それではまちの魅力は見えてこない。郁文堂書店が通りがかった人に再発見され、再生されたようにこの地にはまだまだ見つけてもらう日を待っている建物がある。シネマ通りがその中心となってまちが変わっていく日を楽しみにしたい。

レトロなレジコーナーはかつてのまま。ポスターなども以前どおりでそれが落ち着く乱雑さを醸し出しているレトロなレジコーナーはかつてのまま。ポスターなども以前どおりでそれが落ち着く乱雑さを醸し出している

2019年 08月09日 11時00分