不動産投資家とIT企業経営者が意気投合し、プロジェクトが始動

来訪者を出迎えてくれるヒツジの「めーちゃん」と「むーちゃん」来訪者を出迎えてくれるヒツジの「めーちゃん」と「むーちゃん」

愛知県西部に位置し、繊維業の盛んな地として知られる一宮市。2018年12月、同市の中心市街地に一風変わったシェアスペースが誕生した。名称は「Hauska Paikka(ハウスカ パイッカ)」。フィンランド語で「楽しい場所」を意味する。駅から徒歩5分ほど、目的地のマンション1階に辿り着くと、愛くるしい2頭のヒツジが出迎えてくれた。

「おじさんばかりのメンバーでは華がないという話になり、思い付いたのがヒツジを飼うことだったんです」。笑顔でこう話すのは矢崎達也さん。このシェアスペースが入居するマンションのオーナーだ。機械設計エンジニアとして会社勤めをする傍ら、10年前からマンション投資を開始。現在はマンション4棟を所有する不動産投資家である。

発端は2018年3月、矢崎さんが不動産事業を法人化する際、ホームページ制作を依頼するため、Webシステム開発会社「アントロワ」の社長、柴田篤志さんに連絡を入れたこと。

「ネットでアントロワのホームページを見つけたのですが、サイト内をくまなく見てもホームページ製作に関する情報はわずかしかない。全く関係ないことばかり書かれていて(笑)。変わった会社だなと思ったのが最初でした」(矢崎さん)

柴田さんに会ってみると、2人はすぐさま意気投合。ホームページの話よりも、まちづくりや空き家対策の話題で盛り上がった。「私は元々、地域貢献の話が大好き。さまざまな活動に参加する中で出会ったのが『現代版家守』という考え方でした」と柴田さんは話す。

「現代版家守」とは、地域再生プロデューサーとして知られる清水義次氏が提唱し、空き家などの遊休不動産を活用して街ににぎわいをもたらす取り組みのこと。その考え方に感銘を受けた柴田さんは、自ら「一宮市家守構想」のホームページを立ち上げている。

それまで不動産投資を続けてきた矢崎さんも、漠然と今後の方向性に悩んでいた。「これまではお金儲けばかり考えてきましたが、自分にも地域に貢献できることがあるんじゃないか。そんな風に考え始めていたのです」。柴田さんとの出会いにより、それまで秘めてきた思いが一気に膨らんだ。そして2018年6月、一級建築士をメンバーに加えた3人で、「Hauska Paikka」のプロジェクトを始動させることになったのである。

織物の産地「尾州」をキーワードに、人材の育成・情報発信の拠点を構想

昨年は内装工事を行いながら、壁面塗装などのリノベーションワークショップが随時開催された昨年は内装工事を行いながら、壁面塗装などのリノベーションワークショップが随時開催された

プロジェクトのコンセプトは、「尾州を楽しむ、尾州で楽しむ」。一宮市をはじめとした愛知県西部は「尾州」と呼ばれ、国内最大の織物の産地として世界的に知られている。まずはそんな尾州を知る場所、尾州を発信する場として、シェアオフィス・シェアアトリエを立ち上げることを発案。矢崎さんが所有する駅近くのマンション1階を提供する形で、プロジェクトが動き始めた。

2018年9月には入居者の募集をスタート。そして11月からは内装工事が始まった。リノベーションのワークショップなどを随時開催しながら、12月末のグランドオープンに向けて着々と準備が進んでいった。

「シェアオフィスとして利用できる『まちのオフィス』、作家さんたちが集まる『まちのアトリエ』、教室などのイベントに使える『まちのリビング』の3つに分け、地域の皆さんにも気軽に来てもらえる空間を目指しました。そして、メンバーである建築士がアーティストを育成し、柴田さんが若手のIT技術者を養成する。そんな青写真を描いていました」(矢崎さん)

その後、さらに映像クリエイターをメンバーに加え、施設の目玉として、毛織物の産地「尾州」にちなんでヒツジを飼うことを発案。苦労しながらネットで購入先を探し、ヒツジ2頭を無事迎え入れることになった。「当初、1歳半と聞いていたのですが、来てみると4歳。おじさんばかりだと華がないからと考えたのに、結果的におじさんのヒツジが来てしまって…」と柴田さんは苦笑いする。

オープンまでは矢崎さんが自宅で飼育することになった。すると近所の人が驚き、「隣でヒツジがメーメーと鳴いている!」とちょっとした騒ぎに。こうしたトラブルはあったものの、プロジェクトは着実に進んでいた。ところがその後、当初描いていた構想は、思わぬ形で軌道修正を余儀なくされてしまうのである。

方向性の違いからメンバーが脱退。やむなくプロジェクトを見直すことに

「原因は、方向性の違いでした」。矢崎さんは当時を振り返りながら話す。オープン後は、映像クリエイターが常駐してコミュニティマネージャーを務め、さまざまな活動を盛り上げていく計画だった。ところが、そのクリエイターが「そもそも空き家対策をやるという話だったはずなのに、ヒツジを飼うことが中心になっていないか」と言い始めたのである。議論を重ねたものの、そのまま意見は平行線を辿ることに。結局、オープニングイベントにも顔を見せることなく、プロジェクトから離れることとなった。

「このオフィスに誰かが常駐し、盛り上げていくことを前提に考えていたので、マネージャーが居なくなってしまったのは大きな痛手でした」(矢崎さん)

当初は、柴田さんともう一人の建築士がオフィスとして活用する手筈だったため、どちらかが常にオフィスにいて、マネージャーの代わりを務められると考えていた。ところが、2人もオフィスを空けることが多くなり、誰もいない状態が続くことに。そして、追い打ちを掛けるように、当初からメンバーとして参加していた建築士も、方向性の違いから外れることとなった。

「羊毛作家さんや雑貨屋さんなど、そのほかにも入居されている方はいらっしゃったのですが、この場所に来るのは、基本的にイベントを開催するときだけ。当初考えていたシェアオフィスとして継続するのは難しいという結論に至りました」(矢崎さん)

羊毛作家の「Team villa」が開催するワークショップでは、スピンドルという道具を使った糸紡ぎや、木枠を使ったコースター作りなどに参加できる羊毛作家の「Team villa」が開催するワークショップでは、スピンドルという道具を使った糸紡ぎや、木枠を使ったコースター作りなどに参加できる

身の丈に合った形を模索し、地域をつなぐシェアスペースとして再出発

「風呂敷を大きく広げすぎたと素直に反省し、もう一度、身の丈に合った形から始めてみようと。そこで少しずつ軌道修正し、当面はシェアスペースとして活用してもらうことに決めました」と矢崎さんは話す。

オフィスやアトリエなどとして常時利用する人の確保が難しいことから、フロア全体をまちの人たちをつなぐシェアスペース「ma chi no リビング」に改めることにした。シェアオフィスの入居者からの賃料で早々に収益を上げる計画だったが、しばらくはハードルを下げ、まず地域の方に手頃な料金で使ってもらえるようにしたのだ。マンションの住人は無料で使えることにし、入居者の共有スペースとして提供。さらに、近隣住民向けにはレンタル料を格安に設定し、地域のコミュニティスペースとして活用できるようにした。

「お友達と会話を楽しむ場所として使ってもいいですし、ヒツジが常にいるので癒やしの場所にもなるはず。起業をしたい学生や社会人の方なら、先輩起業家の話を聞くなど、ここに集まる方と交流することができる。ものづくりの作家さんなら工房や展示スペースとしても活用できます」(矢崎さん)

大きな路線変更を余儀なくされたものの、徐々に新たな地域の拠点として賑わいを見せ始めている。ヒツジがいる空間を活かして開かれた羊毛作家のワークショップでは、実際のヒツジを見て、触れ合えるという物珍しさが受け、参加者からの評判も上々だ。

「一番嬉しかったのは、これまでは管理会社にすべてお任せで、接点がなかったマンションの入居者の方と交流が持てたこと。たまたまこの場所に立ち寄って下さり、『毎日疲れて帰ってきてもヒツジに癒やされています。ここに引越してきて良かった』と言われた時はうれしかった。今では近隣の子どもたちも楽しんでくれています」と矢崎さん。

最近では、このシェアスペースを活動拠点にしたいという英語教室の先生や大学生の市民団体からの問合せも舞い込んでいるほか、一宮市郊外にある空き家を買い取り、地域の新たな拠点として活用する話も進行しているという。

遊休不動産を活用したまちづくりを目標に掲げ、その第一弾として進められてきた同プロジェクト。目下、順調な滑り出しを切ったとはいえない状況ではあるが、地に足のついた形に軌道修正した現在、地域住民からの理解や賛同を得ながら、着実にその輪を広げ始めている。

シェアスペースの料金は月額2000円。利用時間は6:30~21:30で、体験教室など自由な使い方ができるのが魅力。ヒツジの毛刈り体験やプロカメラマンによる写真教室など様々なイベントが開催されているシェアスペースの料金は月額2000円。利用時間は6:30~21:30で、体験教室など自由な使い方ができるのが魅力。ヒツジの毛刈り体験やプロカメラマンによる写真教室など様々なイベントが開催されている

2019年 07月25日 11時05分