平安時代から続く平野郷

昔ながらの面影を残す平野の街並み昔ながらの面影を残す平野の街並み

大阪市平野区……地名の由来は、平安時代の領主・坂之上広野麿までさかのぼる。
戦国時代には交通の要衝として栄え、武士の介入を防ぐため、村の周囲を二重の濠で取り囲んでいた。近年に至っても、1980年(昭和55年)に「平野の町づくりを考える会」が発足し、1992年(平成4年)には伝統行事の保存を始め、1993年(平成5年)には町ぐるみ博物館を開催するなど、36年にわたって次々と新しい試みを打ち出している。

伝承では、聖徳太子が薬師如来を安置するために創建した、小さなお堂を中心にまちが形作られていったというのだが、そのお堂が現在の全興寺だ。全国的に、寺や神社が村の相談役や精神的リーダーを務める事例は多かったようだが、全興寺は「平野の町づくりを考える会」の事務局を務めるほか、毎月第三金曜日に行われるまちづくり会議の場となっている。

そこで今回、全興寺の川口良仁住職に、平野のまちづくりとお寺の役割についてお話しを聞かせていただいた。

駅舎保存をきっかけに「平野の町づくりを考える会」発足

小さな駄菓子屋さん博物館には、昔懐かしいおもちゃが並べられている小さな駄菓子屋さん博物館には、昔懐かしいおもちゃが並べられている

「平野の町づくりを考える会」の発足は、南海平野線の廃止がきっかけ。まちの人が親しんできた平野駅舎を保存しようという運動が起こったのだ。
駅舎保存は失敗に終わったが、行政や商工会議所に頼らず、住人たちの力で平野を盛り上げようと独自のガイドラインを作り、昔ながらの郵便局やお店を博物館として、誰でも見学可能な「町ぐるみ博物館」を開催したり、写真をもとに平野らしい風景を選び、古いまちなみや平野みやげを復興させたりした。いわば、現在全国で展開されている、まちなみ保存の先駆けといえるだろう。

しかし、観光地化が目的では決してない。
「まちづくりの根本は、自分たちのまちの再発見やと思います。観光化や人集めではなく、住人に自分のまちを知っていただき、まちに愛着をもって老後まで暮らしていただくのがまちづくりの第一歩ではないでしょうか」
と、川口住職は語る。だから、新しい建物を作るのではなく、すでにあるものの魅力再発見に力を注いだ。

観光案内所がないので、観光客は地図を見ながら探訪せねばならないが、「おせっかい」な平野の人に道を尋ねれば、聞いていないことまで教えてくれる。まちの人たちも、観光客にまちを紹介するうちに、自然とまちの魅力を実感するようになっているという。

まちづくりにおける寺社の存在感

毎週末に「おも路地」が開催される路地。子供たちに土のぬくもりを感じてもらいたいと、敢えて舗装していない毎週末に「おも路地」が開催される路地。子供たちに土のぬくもりを感じてもらいたいと、敢えて舗装していない

「平野の町づくりを考える会」には、会長も会費も会則もない。三原則は、第一におもしろいこと、第二にいいかげんにやること、そして第三に人のフンドシで相撲をとることだそうだ。
大阪の人間はおもしろくないと動かないし、おもしろさを維持するためには失敗してもいいといういいかげんさも必要。そして予算がなければ、協力を求めながら運営するしかない。

ただし、会長がいないといっても、全興寺の役割は決して小さくない。
川口住職は、
「近代までのお寺は、寺子屋などで子供が集まり、問題が起これば村人たちが集まる、地域のコミュニティセンターでした。時代が変わっても、まちと利害関係を持たないお寺は、台風の目のように周囲を吸い込み、まちづくりに貢献できる部分はあると思います。また真言寺院は参詣所としていつも門戸を開いています。だから、いつでも誰でも立ち寄れるのです」
と、お寺の存在意義を語る。

全興寺境内には、一昔前の駄菓子屋の店先を再現した「小さな駄菓子屋さん博物館」や、祭り囃子や昔話など、平野の音を聞ける「平野の音博物館」があり、たくさんの人が見学に訪れる。また、毎週土日には「おも路地」が開催され、紙芝居が上映されるほか、老人から子供までが集まって、ベーゴマやメンコなどで遊ぶ光景がみられる。

そして、宗教的な施設であり、まちづくりの一環というわけではないが、子供が集まる理由の一つが、境内にある「地獄堂」と「ほとけのくに」だろう。

五感を使って真理を伝える「地獄堂」と「ほとけのくに」

「ほとけのくに」の床にはチベット曼荼羅が描かれている「ほとけのくに」の床にはチベット曼荼羅が描かれている

「昔の人は『悪いことをしたら地獄に落ちる』と、感情に訴えましたが、現在はなぜそれをしてはいけないか理屈で教えます。しかし80歳くらいのおばあさんから、"昔見た地獄絵図が目に焼き付いている"と聞き、今でも地獄の教えは有効ではないかと気づきました。地獄の恐ろしさを小さいころから実感していれば、いじめ問題などの歯止めにもなるのではと考えたのです。真言宗では、五感を使って真理を表現します。難しい教義は知らなくても、地獄堂が真理にふれるきっかけになるかもしれません」と川口住職。

「地獄堂」の中央には江戸時代に彫られた閻魔像が鎮座し、睨みをきかせる。左側に並ぶ九人の裁判官も江戸時代のもの。右側には舌を抜く「やっとこ」を持った赤鬼と、地獄の入口で亡者の衣類を奪う脱衣婆が不気味な笑顔を浮かべ、その奥にある「浄玻璃の鏡」には地獄の風景を映し出される。大人が見ても恐ろしい地獄の責め苦を、子供たちはどんな思いで見るのだろう。

地下にある「ほとけのくに」は薄暗く、壁に四国八十八か所の観音像が並んでいるのがほのかに見える。床にはチベット曼荼羅が描かれており、室内を流れる水の音が響いて、自然と心が落ち着く場所。曼荼羅の上に座って瞑想でき、大人はもちろん、子供たちも集まり、無意識ながらも仏教の世界観に触れているようだ。

「お寺」の存在とまちづくり

今後のまちづくりのあり方や、継続するかどうかはまだわからないという。続けねばならないと思いつめれば負担になり、活動の幅が狭まってしまう。「諸行無常」を念頭に、まちも、まちづくりも変化していかざるを得ない。

しかしながら、地域の人々が集まってくる全興寺は、まちづくりの象徴的存在になっていると感じられる。
取材中にも何人かの人が顔を出し、作業をしたり、雑談をしたりして去っていった。開かれていながら仏教という一本筋の通った思想を持ち、さらに損得勘定から距離を置いた「お寺」の存在は、「人々がイキイキと生活するまち」の原動力になっているようだ。

まちづくりやまちの魅力再発見は、今後も全国で展開されていくだろう。
その際、古くから地域に根差したお寺や神社が、そのまちでどんな役割をはたしてきたか、見直してみるべきかもしれない。

「地獄堂」内部。赤鬼の横にある浄玻璃の鏡には地獄の風景が映し出される「地獄堂」内部。赤鬼の横にある浄玻璃の鏡には地獄の風景が映し出される

2016年 09月08日 11時06分