瀬戸内の島の洋館に、古い建物を活用したまちづくりに取り組む人々が集合

瀬戸内海に浮かぶ広島県の江田島は、明治21年(1888年)に海軍兵学校が移転してきたことで発展した島だ。その当時に建てられた赤煉瓦の校舎は、海上自衛隊に引き継がれ、今も残っている。江田島にはほかにも海軍にゆかりのある事物が多く、その代表が、下見板張りの小さな洋館「海友舎」だ。明治40年(1907年)に、海軍の「下士卒集会所」として建てられた。海軍兵学校で働く兵士や下士官が余暇を過ごした場所だ。

戦後、民間に払い下げられた海友舎は、主に海軍出身者が立ち上げた会社の事務所として使われ続け、100年を超える歴史を刻んできた。しかし、払い下げの条件として建物の一部を洋裁教室に使った時期を除けば、地域住民が中に入ることはなかったようだ。そして2012年、持ち主の事務所が江田島から撤退し、ついに空き家になることが決まる。このことを知った一人の女性が「魅力的な建物が壊されてしまわないように」と願い、保存を求めて行動を起こした。それが「ぐるぐる海友舎プロジェクト」の始まりだ。

「ぐるぐる」とは、周りの人を「ぐるぐる」巻き込みながら活動を広げることを指すそうだ。一人から始まったプロジェクトは、地域住民や学術関係者をはじめ、島好き・建物好き・歴史好きなど、多くの人々とのかかわりを生んで、今年活動5周年を迎えた。11月5日には、瀬戸内海周辺で古い建物を活用したまちづくりに取り組む人々をゲストに招いて「ぐるあるミーティング」を開催し、活動報告と意見交換を行った。ここではその模様をレポートしたい。

「ぐるあるミーティング」ディスカッションの様子。左から、広島県竹原市「忠海、𠮷田屋プロジェクト」の道林幸紀さん、大竹市「PiNECoNeS」代表の藤井ちえさん、「ぐるぐる海友舎プロジェクト」代表の南川智子さん、「旧グッゲンハイム邸」管理人の森本アリさん、右端は司会の谷村仰仕さん「ぐるあるミーティング」ディスカッションの様子。左から、広島県竹原市「忠海、𠮷田屋プロジェクト」の道林幸紀さん、大竹市「PiNECoNeS」代表の藤井ちえさん、「ぐるぐる海友舎プロジェクト」代表の南川智子さん、「旧グッゲンハイム邸」管理人の森本アリさん、右端は司会の谷村仰仕さん

みんなで手入れし、使って学んで発信する。「ぐるぐる海友舎プロジェクト」

まず「ぐるぐる海友舎プロジェクト」の物語に戻ろう。

「海友舎」の保存を望んだプロジェクト代表の南川智子さんは、志に共感した呉工業高等専門学校特命准教授の谷村仰仕さんとともに、建物の持ち主を訪ねた。幸い、持ち主自身も残したいと願っており、南川さんたちに建物を委ねてくれることになった。

プロジェクトの最初の一歩は、“お掃除”からだ。南川さんは次のように振り返る。

「建物の中には、持ち主さえ長く足を踏み入れていない部屋があって、たくさんのモノが散乱していました。でも、みんなで身体を動かしながらの作業は楽しくて、片付いていくと達成感があるんです。掃除の途中で、戦前に兵士が遊んだビリヤード台が見付かったり、昭和初期の教科書が出てきたりと、タイムカプセルを開くようなおもしろさもありました」

建物の手入れは、今もプロジェクトの大切な活動のひとつだ。月に1回のペースで続けている。

「手入れ」に、「使う」「学ぶ」「発信する」を加えた4つの活動が、「ぐるぐる海友舎プロジェクト」の柱になっている。建物の見学会を開いたり、イベントスペースやギャラリーとして貸し出したり。また、専門家を招いて建物の実測や耐震診断、文献調査も行っている。5年間の学びの成果は、「ぐるあるミーティング」の開催に合わせて、リーフレットにまとめられた。

島の内外から多くの人が訪れるようになって、海友舎を巡る「ぐるぐる」は確実に広がりを見せている。「プロジェクトに協力してくださる人の輪が広がったのはもちろん、海友舎にゆかりのある人からお手紙が届いたり、島に里帰りした人がここで同窓会を開いたり、ということもありました。歴史を刻んだ建物が人々の記憶を刺激して、新しいつながりが生まれてゆく不思議を、いま実感しているところです」(南川さん)

(左上)「海友舎」正面外観。中央に張り出したバルコニーが特徴的だ(右上)敷地内には広い庭も。右側の平屋の部分は2階建ての棟より後に増築された(左下)2階廊下(右下)裏山からの眺望。中央の白い建物が「海友舎」、遠くに江田島湾を望む(左上)「海友舎」正面外観。中央に張り出したバルコニーが特徴的だ(右上)敷地内には広い庭も。右側の平屋の部分は2階建ての棟より後に増築された(左下)2階廊下(右下)裏山からの眺望。中央の白い建物が「海友舎」、遠くに江田島湾を望む

神戸西部の町、塩屋に残る異人館「旧グッゲンハイム邸」を家族で守る

(上)旧グッゲンハイム邸ホームページより(下)「塩屋百景」blogより(上)旧グッゲンハイム邸ホームページより(下)「塩屋百景」blogより

「ぐるあるミーティング」のゲスト講師に招かれたのは、神戸市西部の町・塩屋で「旧グッゲンハイム邸」の管理人を務める森本アリさんだ。

塩屋で育った森本さんは、ベルギーでアートを学んだのち、1997年に帰国した。阪神淡路大震災の2年後だ。幸い、塩屋に大きな被害はなかったが、周辺の町が新しく作り変えられていく様子を見て、まちづくりに関心を持つようになる。

「旧グッゲンハイム邸」は明治42年(1909年)に建てられたとみられ、「海友舎」とはほぼ同世代だ。ベランダ付きのコロニアル様式で木造モルタル造り。塩屋と神戸市中心部を結ぶ線路沿いに建つ、白と緑の印象的な建物は、塩屋を象徴する風景として親しまれてきた。しかし、2000年代に入ってから使われなくなり、老朽化が進み始める。

そこで、建物を守ろうと買い取りに乗り出したのが、森本さんの家族だ。森本さん自身は当初、大反対したという。しかし結局、管理人を引き受けることになる。「旧グッゲンハイム邸」本体より、裏手にあった長屋に興味を惹かれ、シェアハウスを始めようと思いたったからだ。それが2007年のこと。今ではすっかり一般的になった“シェアハウス”の先駆けといえる。

「ぐるあるミーティング」で森本さんが披露したのは、塩屋の町のあちこちで切り取った、ユニークな風景写真の数々だ。塩屋の町は、山と海に挟まれ、すり鉢状の地形をしている。「旧グッゲンハイム邸」のような異人館が点在する一方で、人情味溢れる昔ながらの商店街も残る。和洋・新旧が入り交じり、複雑な地形もあいまって、独特の街並みを形成している。人々の生活の積み重ねが生んだ奇妙な階段、斜面にひしめく家並み、崖に張り付く細長い家、そして、町の活気を支える個性的な人々…。

森本さんは、この町を題材にさまざまな活動を行っている。100人にレンズ付きフィルムを託した歩き回り撮影会『塩屋百人百景』、町の古い写真を募集し、家族アルバムのようにまとめた『塩屋百年百景』、さらに先日は、9人のアーティストによる作品集『塩屋借景』を出版した。また、塩屋の町をまるごと会場にする文化祭「しおさい」、塩屋に縁のあるアーティストと町を結んで作品を制作する「シオヤ・プロジェクト」のプロデュースなど多岐にわたる。いずれも音楽やパフォーマンス、展覧会、街歩きなど多彩なコンテンツが盛りこまれており、「ぐるあるミーティング」会場からは、そのアイデアの豊かさに感歎の声があがった。


森本さん一家が「旧グッゲンハイム邸」を買い取ったとき、その使い道については“ノープラン”だったという。維持や補修の費用はシェアハウスの家賃収入でまかなった。本体の洋館は当初、月に1、2回、講演会や結婚パーティーに貸し出す程度だったそうだ。しかし、「プランを決めなかったからこそ、建物を気に入った誰もが使い方を考え、アイデアを出すことができた」と森本さんは言う。今や「旧グッゲンハイム邸」の使い道は、ヨガや音楽などの教室、ライブやパーティー、雑誌や映画のロケにと広がり、連日人々でにぎわっている。

大竹市の“まちあそび”拠点「98base」、観光客と地域の交流を目指す竹原市の「𠮷田屋」

広島県の本州側からは、大竹市の藤井ちえさんと竹原市の道林幸紀さんが登壇した。

藤井さんは、“大竹まちあそびプロジェクト”を掲げる女性6人のチーム「PiNECoNeS(パインコーンズ)」の代表を務めている。地元ゆかりの雑貨作家による「デアイマルシェ」や、廃校の備品を売る「廃校ノスタルジア」、地域に残る手漉き和紙の復興など、さまざまなイベントを仕掛けてきた。「楽しいことしかしない(藤井さん)」から、自分たちの活動を、“まちづくり”ではなく“まちあそび”と呼ぶ。その活動拠点が欲しいと考えたとき、出会ったのが築70年の空家だ。最初に見に行ったときは、畳の上を土足で歩くような状態だったという。

JR玖波駅に近いことから、「98base(くばべーす)」と命名。建物の改修もイベントとして楽しんでいる。ワークショップとして友人知人を集め、ひと仕事終えたら「みんなでおいしいものを食べる」のがお約束だ。改装中の屋内にテントを張って鍋パーティーをしたり、「未完成見学会」を開いたり。家を借りてから2年経った今も改修は終わらないが、1階に開いたカフェや2階の写真スタジオには、年齢性別を問わず多くの人々が訪れるようになった。「周囲からは、完成するのが淋しい、という声も聞きます。未完の部分があることで、かかわりを持つ余地が感じられるのかも。完成しないから安心してください、と答えています(笑)」(藤井さん)


一方、道林さんが手掛けるのは、忠海(ただのうみ)という港町にある築130年の元商家「吉田屋」だ。忠海からは、“うさぎの島”として一躍有名になった大久野島への船が出ており、年間2万人の外国人観光客が行き来する。しかし、江戸時代は参勤交代の経由地として、また名産の塩の積み出し港として賑わったまちの面影はない。道林さんは「忠海のメインストリートに、人とモノと情報が溢れていた時代を再現したい」と語る。

「𠮷田屋」は、間口5m奥行40mという典型的な町家で、やはり長く空き家になっていた。地元の人を中心に、2015年に発足した「忠海、𠮷田屋プロジェクト」では、まず、家に風を通し、大掃除することからはじめ、いろいろなアイデアを試しながら、建物の使い道を探っている。これまでに、忠海を舞台にした映画「エデンの海」の上映会や、期間限定の雑貨ショップ、広島カープ戦のパブリックビューイングなどを行ってきた。「どこに向かっていくのか、自分たちでも未だによく分からない(笑)」と道林さんは頭を掻く。「けれども、楽しくやっているうちに、自然と方向が定まってくると思っています」。

建物活用で先行する「旧グッゲンハイム邸」の森本さんは「自分もはじめは“ノープラン”だった」と道林さんを励ます。「なんでも書ける、白紙のページがあると思えばいい」。

「ぐるあるミーティング」に集まった人々は、これまでにも相互のイベントに行き来し合いながら、交流を深めてきたようだ。「海友舎」の「ぐるぐる」が象徴するように、建物をきっかけに人の輪が広がり、人の輪が建物を生き返らせ、輝かせる。この好循環がこれからも続き、広がっていくことに期待したい。

(上2点)「98base」。元はごく普通の民家だ。外観にはまったく手を加えていない。「このままがいいと思っています」と藤井さん。写真提供:PiNECoNeS(下2点)「𠮷田屋」。右は、カープ戦パブリックビューイングの様子。写真提供:忠海、𠮷田屋プロジェクト(上2点)「98base」。元はごく普通の民家だ。外観にはまったく手を加えていない。「このままがいいと思っています」と藤井さん。写真提供:PiNECoNeS(下2点)「𠮷田屋」。右は、カープ戦パブリックビューイングの様子。写真提供:忠海、𠮷田屋プロジェクト

2017年 12月13日 11時05分