中国と日本古来の風水の街、京都にもうひとつ使われた秘術

古代中国の古書にも記述が見られる道教の思想には、多くの呪術が含まれている古代中国の古書にも記述が見られる道教の思想には、多くの呪術が含まれている

千年以上もの長きにわたり首都であり続けた京都は、世界的に見ても稀有な街である。日本古来の風水の形を色濃く残した、その街並みについては、前回「風水都市、京都は想像を超えるほど複雑で綿密な呪法により計画されていた」でご紹介した。

今回は、中国と日本それぞれの風水、そして晴明の呪法によって守られた京都という街に、もうひとつ使われたと目される古の方術「三合の秘術」についてご紹介しよう。

三合の秘術とは、紀元前に書かれた『淮南子(えなんじ)』という道教の経文にも記述がある古い呪術である。望むものを手に入れるための運気を高めると考えられていたこの呪術は、時の権力者に多用され、平清盛も使った痕跡が見られる。そして現在の京都御所の位置も、この三合の秘術で決められたと思われるのである。

晴明の家伝書にもある、三角形の中心にある運気を高める三合の秘術

三合の秘術については、安倍晴明の家伝書にも記述がある。風水の源となった陰陽五行思想を基礎とする道教の方術の一つで、方位を表す十二支(子・丑・寅・卯・辰・巳・ 午・未・申・酉・戌・亥)のうち、同じ属性を持つ三支が結び合うことにより、中心にいる者のその属性が表す運気が旺盛となるというものである。

下の図は「火気三合」と呼ばれる方術を図解したもので、火が表す運気を高めるとされる呪術である。この方位を示す十二支には、それぞれ五行の中の「木・火・金・水」の4種が3つずつ当てはめられ、その3つは順番に「生・旺(王)・墓(死)」と名付けられている。これは全てのものは、生まれて、活発に栄えて、死ぬという循環を表している。

この生・旺・墓の三種と五行のうちの四気、木・火・金・水をミックスした3×4=12を、方位の十二支に振り分けたものが、この方術で使う方位盤の基礎になる。図中の「子」は北を示し、「午」は南、「卯」は東、「酉」は西を指す方位磁石のようなものだと思えば理解しやすい。

さて、この図を使って、「火」の生・旺・墓を結ぶと三角形が作られる。そしてこの三角形の中心に住むと、「火」の運気が旺盛となるというわけだ。同じ要領で、木・水・金でも三角形を作ることができ、合計4つの運気を高める三角形ができる。

それぞれの気が意味するものは下記のようになる。

「木」心の安寧・安全を意味する。家族運・人運
「火」情熱・活発を意味する。出世運・人気運
「金」知恵・成功を意味する。財運・成功運
「水」守護・子孫を意味する。愛情・家運

このように自分を中心とする円の軌道上の生旺墓の点に、パワースポットやアイテムを配置するというのが三合の秘術である。それぞれに配するパワースポットやアイテムには、古来、施術を望む者にとって縁の深い神社仏閣が使われてきた。ここで実際に使われた例として、平清盛の雪見御所を見てみよう。

三合の秘術を使うための方位盤。十二支に「木火金水」の4種類×「生旺墓」の3種類=12種類を相対させている三合の秘術を使うための方位盤。十二支に「木火金水」の4種類×「生旺墓」の3種類=12種類を相対させている

三合の秘術を使って起死回生を図った、平清盛の雪見御所

陰陽道にとって方位は重要な意味があり、占いには方位盤が必須であった陰陽道にとって方位は重要な意味があり、占いには方位盤が必須であった

平清盛の人物像と歴史をざっとおさらいしてみよう。平安末期の1118年に生まれ、1181年に没した平氏の棟梁で、初めて太政大臣に任じられた武士でもある。

位人臣を極め、一族も皆、高位高官となり「平氏にあらずば人にあらず」とまで言わしめた。平家物語の冒頭「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、ひとえに風の前の塵に同じ。」という生涯をおくった人である。

清盛は、最晩年に起死回生の一手として、福原遷都を打ち出す。京都は既に周りを敵方に囲まれ、四面楚歌だったため、平氏の勢力下だった現在の神戸市兵庫区雪御所町(推定地)に御所を建て、安徳天皇・高倉上皇・後白河法皇の移動を強行する。

この雪見御所に、「金」の運気を高める三合の秘術「金気三合」を施したとみられている。下記のように「金」の運気を司る、巳(東南)・酉(西)・丑(北東)に神社を配し、その中心点に雪見御所を建設したのである。

巳(生金)荒田八幡神社-祭神は應神天皇(平頼盛の山荘)
酉(旺金)夢野八幡神社-祭神は應神天皇(清盛が福原宮の守護神として創祀)
丑(墓金)祇園神社-祭神は須佐之男命(牛頭天王と同一視されている神)

興味深いのは鬼門(北東)に祇園神社を配置し、他の神社の祭神が應神天皇だという点だろう。應神天皇は実在が確認される最初の天皇と言われ、諱を誉田別命(ほんだわけのみこと)と称されている。

天皇家の祖神を守護神として祀ったのは、清盛が福原遷都を本気で考えていた証ではないだろうか。三合の秘術は、平氏にとって再起のための奥の手だったのかもしれない。

三合の秘術の中心点にある、現在の京都御所

平安京守護が祈られた古社、八咫烏の正体神で陰陽道と関係が深い平安京守護が祈られた古社、八咫烏の正体神で陰陽道と関係が深い

では南北朝時代に権力争いで新たに作られた北朝方の御所である土御門東洞院殿、現在の京都御所に施された三合の秘術について検証してみよう。今回の執筆にあたり、民俗学でよく行うフィールドワーク、現地に行って伝承や昔話を拾い集め、仮説を立証するという方法をとってみた。

しかし天皇家に縁のある神社を探すと言っても、京都市街の神社は全部と言っていいほど、何らかのかかわりがある。そこで、創建が平安京遷都以前であり、且つ陰陽道に所縁の深い神社に絞って探してみると、御所の近くで三社が見つかった。

一社目は賀茂御祖神社(下鴨神社)、二社目は八坂神社、三社目は大将軍八神社である。実際にこの三社を訪ね調べてきたが、この三社だけが三合の条件にピッタリとあてはまる。

まず、御所の禁裏を中心点にして同心円上に、この三社が存在する。その位置関係は、賀茂御祖神社が丑(金の墓)で八坂神社が巳(金の生)、大将軍八神社が酉(金の旺)に当たる。

賀茂御祖神社の天皇家との縁は強く、勅祭(勅使が派遣される祭り)が執り行われる事でもわかる。創建年代は、崇神天皇7年の記録が残されていて、古事記の記述を信じるなら西暦250年から310年ころであろうと考えられる。祭神の一柱は加茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)で、八咫烏(やたがらす)の化身とされる神様である。ちなみに八咫烏とは、風水や陰陽道に縁が深い「金烏玉兎集」の金烏(きんう)のことでもある。

八坂神社は祇園祭りでも有名で、その祭りの起こりは御霊会(天皇家が怨霊を鎮める為に始めた祭り)である。創建も古く社伝によると656年とされ、祭神は日本の神話で有名な素戔嗚尊(すさのおのみこと)とその妻の櫛稲田姫命(くしいなだひめのみこと)、その子供である八柱御子神(やばしらみこがみ)である。簡単にいえば素戔嗚家の皆様をお祭りする神社ということである。

大将軍八神社の祭神は素戔嗚尊とその八柱御子神で、八坂神社と同じである。この神社で特筆すべき点は名前の「大将軍」にある。大将軍とは、陰陽道の方位神であり、特に方角の吉凶を司る神のことである。また主祭神の素戔嗚尊は、晴明の家伝書の第1章から第3章の神話の中心である牛頭天王と同一視されていて、その意味でも八坂神社、大将軍八神社は、全く同じ祭神を祀る陰陽道にとって重要な神社だと言える。

この風水と深く繋がる三社が、現在の京都御所を中心とした同心円上の「金の生・旺・墓」の位置にピタリと当たるのである。

自宅や仕事場でも楽しめる安倍晴明が伝える秘術

三合の意味するものとは、同じ属性をもつ同心円上の3点を結んだ三角形の中心に居る者の運気を最強にする事にある。

国を統べるとは、経済を発展させ、民を富ませることに他ならない。財を成し隆盛運を手に入れたいと望んだ雄たちは、街全体を使った壮大な秘術「金気三合」によって、権力を得ようとしていたのかもしれない。

他にも伊勢神宮の正殿の配置が、内宮は「火気三合」、外宮は「水気三合」の呪法が使われていると指摘されている。内宮に祀られている天照大神は太陽神であり「火」の神であるので「火気三合」、外宮に祀られている豊受大神は豊穣神、いわゆる農耕の神であるから「水気三合」だということであろう。

このように三合の秘術とは、自分を中心にした方位に意味がある。自宅や仕事場でもやろうと思えばできる秘術で、例えば求める願いに合わせた三合の示す方位に、自分に縁の深い神社のお札や縁起物などのグッズを配置すればいいわけだ。現代でも手軽に安倍晴明の伝える秘術を取り入れることができるというのも、また楽しい。ちなみに筆者もこっそり試しているが、効果のほどについては、怪力乱神を語らずとご理解いただきたい。

陰陽道の方位神を祀る古社、創建の由来は禁裏の乾の守護であった陰陽道の方位神を祀る古社、創建の由来は禁裏の乾の守護であった

2017年 02月28日 11時06分