3万2000点の大工道具を収蔵する一大資料館

日本の大工道具は、もともとは大陸から朝鮮半島を通って持ち込まれたが、日本独自の変化を遂げたものもあり、用途によってさまざまな道具をそろえているから、非常にバラエティに富んでいる。

今回、竹中工務店が1984年に開館した大工道具館を見学しながら、館長の赤尾 建藏氏にお話をうかがうことができた。日本の大工道具と建築技術について見なおしてみよう。

「電動工具の普及により、手道具がなくなってしまうのではないかと危惧したことが、開館のきっかけです」
と、赤尾館長が語るように、古今東西の大工の手道具が集められ、大工道具館が所蔵する手道具は現在3万2000点。常時展示されているのは約1000点だが、残りは企画展などで展示されるという。竹中工務店は1601年に創業し、日本で最初に「工務店」という名称を使い始めた建築のオーソリティともいえる企業なので、大工道具に関する思い入れはひとしおのようだ。
しかし、道具を見学するだけではもったいない。道具を通して日本建築の歴史や特徴、ひいては日本人の嗜好や特性を見直す機会にしたいものだ。

展示場は先史時代からの日本の大工道具を一堂に展示した「歴史の旅へ」、職人を束ねて建築を作り上げる大工棟梁の技と心を解説した「棟梁に学ぶ」、日本の大工道具の種類や使い方が解説された「道具と手仕事」、中国とヨーロッパの大工道具がわかる「世界を巡る」、数寄屋造茶室のスケルトン模型などを見学できる「和の伝統美」、名人の手による銘品を並べた「名工の輝き」、木の癖を知り、その特長を存分に生かす知恵に迫った「木を生かす」の7コーナーに分かれており、木工室では、ワークショップも開かれている。

「和の伝統美」のコーナーには、茶室のスケルトン模型もあり、数奇屋造の骨組みが理解できる「和の伝統美」のコーナーには、茶室のスケルトン模型もあり、数奇屋造の骨組みが理解できる

日本の建築技術は、古墳時代に渡来した技術で大きく花開く

縄文人は石斧で木を倒していた縄文人は石斧で木を倒していた

日本人が家屋を作り始めたのは縄文時代。当時は堅い栗の木を石斧で倒していたという。
「石斧は刃先が丸いため、杉や檜のような柔らかい木は、表面がへこむだけで切れません。そこで、堅い木の繊維をくだくようにして木を倒していました。当然、一本倒すのも容易ではなかったでしょうね。実際に19.2センチの栗の木を何回で倒せるか実検したところ、931回、27分かかりました」と、赤尾館長。
縄文時代の家屋は、竪穴を掘って柱を建て、屋根を葺いただけのシンプルな構造だが、それでも家を一軒建てるのは大変だっただろう。

弥生時代に鉄器をつくる技術が伝わって建築技術も向上し、古墳時代になると、仏教伝来とともに大陸から建築技術を持った渡来人が、四天王寺などの巨大建築物を手掛け、日本の建築文化も大きな発展を遂げる。

しかし、大鋸(オガ)のなかった鎌倉時代までは、板を作るのが大変だった。丸太を「ノミ」と「クサビ」で割ったのち、面がなめらかになるまで「チョウナ」で削らなければならないからだ。

木材の性質を熟知していた鎌倉時代までの大工

一本の丸太から切り出した柱でも、場所によって木目も耐久性も変わる。芯には割れ目が入っているのがわかるだろう一本の丸太から切り出した柱でも、場所によって木目も耐久性も変わる。芯には割れ目が入っているのがわかるだろう

鎌倉時代の「松崎天神絵巻」には、大工が山から木を引き降ろし、木を割って削り、家を建築する様子が描かれており、当時の大工が製材から建築までを担っていたことがわかるそうだ。
製材技術は、建築物の耐久性に大きく関わる。たとえば木材の中心は堅いのに、外側は柔らかくて水分を多くふくむため、丸太をそのまま柱として使用した場合、時間が経過すると、芯にむかって割れてしまう。割れにくい、丈夫な柱を作るには、芯の部分を避けなければならないのだ。鎌倉時代までの大工は、こうした木の性質を熟知していただろう。

しかし、室町時代に大鋸が導入されてから状況が一変。板を作るのが容易になり、製材の専門業者が誕生したのだ。
大工たちは余剰の労力を細かい彫り物に費やしたので、室町時代以降、特に江戸時代の建築物には美しい彫り物が多いという。この当時は彫刻も大工の仕事のうちで、日光東照宮の眠り猫で有名な左甚五郎も、本来は大工だったのだそうだ。

しかし分業になったことにより、その材木がどんな場所にどんな条件で立っていた木から切り出されたものかが、大工にはわからなくなり、木の性質を考慮できなくなった。
その一例として、赤尾館長は、
「木は右にねじれたり、左にねじれたりしています。鎌倉時代までは大工が山に入り、木の性質を見て建物をくみ上げていましたが、室町時代以降は大工が山に入らなくなり、木の性質がわからなくなったので、建物の耐久性が落ちます」と教えてくれた。

日本人のわびさびを愛する心が大工道具のバリエーションを豊かに

中国や韓国の技術が伝わったのち、日本の建築技術が大きな進歩を遂げたのは事実。
たとえば、釘を使わず、切り口を工夫した木材を組み合わせて建物を造り上げる「仕口継手」の技術は日本で独自に進化させた技術だ。基本的なものだけでも40数種類あり、中にはどのようにして組み合わせているのか、見ただけではさっぱりわからないものさえある。大工道具館で展示されているものは、見学者のために、わざと継ぎ目部分がわかるよう作られているが、実際建築に使われているものは、継ぎ目のわからないものも多い。

「わびさびを愛する日本人は、白木の風合いを活かしました。すると彩色でごまかせないので、材木同士の繋ぎ目がわからないように木目をあわせるなど、非常に繊細な細工をしています。中国や韓国は松などの堅い木材を使っていのに対し、杉や桧など柔らかい木材を使用したからこそ、それが可能だったのかもしれません。また雨の多い気候だからか、庇が長いのも、日本の建築物の特徴でしょう。釘を使わず庇を伸ばすのは大変な技術が必要なんですよ」と、赤尾館長は語る。

細かい細工をするために、日本の大工道具はバリエーションが豊富で、約70年前に一人前の大工が何種類の道具を持っているか調べたところ、179種類もそろえていたそうだ。特に、荒く削る、きれいに仕上げる、彫刻するなど、さまざまな用途で使い分けられてきた「ノミ」は種類が多く、道具館にも49種類展示されている。

仕口継手の一種。一見しただけでは、どうやってはめ込まれているのかさっぱりわからない仕口継手の一種。一見しただけでは、どうやってはめ込まれているのかさっぱりわからない

世界有数の森林国である日本の建築技術を後世に伝えるために

大工道具館には約1000点の大工道具が展示されており、のみだけでも49種類。赤尾館長の手と比べると、のみの大きさがわかるだろう大工道具館には約1000点の大工道具が展示されており、のみだけでも49種類。赤尾館長の手と比べると、のみの大きさがわかるだろう

子供からシニアまで、多くの人が訪れる竹中大工道具館。土日には木工室でワークショップなどが開かれ、リピーターも多い。
「日本は世界有数の森林国で、国土の70%が森林。家も木造が中心ですし、木が大きな資源です。当館の大きな目的は、木のぬくもりを知っていただくこと。そして、昔の日本人が大変な技術をもっていたことを実感していただくことです」と、赤尾館長は言葉に力を籠める。

木造建築物は、RC造に比べると寿命が短いイメージがあるかもしれない。しかし、しっかりと建造された木造建築物は耐久性が高く、たとえば五重の塔が地震で倒れた記録はないという。手道具が電動工具に変わっても、日本の建築技術と心はこれからも受け継いでいってほしいものだ。

大工道具館では、日本の手仕事のすばらしさを伝えるため、大工道具にこだわらず、ものづくりの道具を集めていくというから、今後も目が離せない。

公益社団法人 竹中大工道具館:http://www.dougukan.jp/

2016年 09月24日 11時00分