昔ここに駅があった?!万世橋のたもとに存在していた幻の『万世橋』駅

▲神田川に架かる『万世橋』の様子。昭和初期まで、この橋を渡った先の神田側に幻のターミナル駅『万世橋』駅が存在していた。旧『万世橋』駅の場所は、現在の中央線『神田』~『御茶ノ水』の中間あたりに位置していた▲神田川に架かる『万世橋』の様子。昭和初期まで、この橋を渡った先の神田側に幻のターミナル駅『万世橋』駅が存在していた。旧『万世橋』駅の場所は、現在の中央線『神田』~『御茶ノ水』の中間あたりに位置していた

JR『秋葉原』駅から神田方面へ向かって歩くこと5分。神田川に架かる『万世橋』は、昭和5(1930)年に架け替えられた当時のままの美しいアーチ橋の姿を今も残している。

日本随一の電気街『秋葉原』と数々の老舗が集まる『神田』とを結ぶ橋の上を日夜多くの人や車が行き交っているが、その昔、この場所に『万世橋』駅という幻のターミナル駅が存在していたことを知る人は少ない。


明治時代に造られた旧『万世橋』駅の高架橋は、JR東日本ステーションリテイリングによってリノベーションされ、『マーチエキュート神田万世橋』としてレトロモダンな商業施設に生まれ変わった。はたして、幻の『万世橋』駅はどのようにして生まれ、無くなり、再生されたのか?その歴史と現在の街づくりを取材した。

明治45年生まれの『万世橋』駅は東京屈指のターミナル駅だった

中央線の発着駅だった『万世橋』駅は、明治45(1912)年4月1日に開業。立派な赤レンガ造の駅舎は、ドイツ人設計技師のアドバイスのもと『東京』駅と同様に建築家の辰野金吾によって設計されたものだ。中央線だけでなく市電も乗り入れるターミナル駅で、神田の老舗街にも近いことから、駅前広場はいつも多くの人たちで華やかに賑わっていたという。世が世なら、東京の玄関口は『東京』駅ではなく、ここ『万世橋』駅だったのかもしれない。

大正時代に移り、大正12(1923)年の関東大震災で『万世橋』駅の駅舎が焼失。このときすでに『東京』駅の開業を受けてターミナル駅としての役割を終えていた『万世橋』駅の再建には力が注がれず、二代目駅舎は簡素な造りの建物だったそうだ。また、『神田』駅や『秋葉原』駅が近くに開業したことも、『万世橋』駅の衰退を後押しするきっかけになった。

そして、昭和18(1943)年11月。駅機能の休止が発表されて『万世橋』駅は休止駅となり、駅舎部分は解体。

幸い関東大震災の被害や第二次世界大戦の戦火から免れた駅舎背面の高架橋部分は、欧風の赤レンガの外観や洒落たメダリオン(丸いエンブレムのような装飾)が当時の姿のままで残されており、『鉄道博物館』(1943年~2006年は『交通博物館』)として利用されたのち、平成25(2013)年9月、『マーチエキュート神田万世橋』に生まれ変わった。

▲『マーチエキュート神田万世橋』内では、<br />何枚もの写真資料を集めて再現した最盛期・大正時代の『万世橋』駅周辺の街のジオラマが展示されている。<br />このジオラマを見て「そうそう、駅前にこんな立派な軍人さんの銅像が立っていたのを想い出したわ」と<br />昔を懐かしむ地域のお年寄りもいらっしゃるとか。<br />昭和11(1936)年、鉄道博物館が『東京』駅から移転してきた後も駅としての機能は残っていたが、<br />昭和18(1943)年11月に休止となり、幻のターミナル駅はわずか31年でその歴史に幕を閉じた▲『マーチエキュート神田万世橋』内では、
何枚もの写真資料を集めて再現した最盛期・大正時代の『万世橋』駅周辺の街のジオラマが展示されている。
このジオラマを見て「そうそう、駅前にこんな立派な軍人さんの銅像が立っていたのを想い出したわ」と
昔を懐かしむ地域のお年寄りもいらっしゃるとか。
昭和11(1936)年、鉄道博物館が『東京』駅から移転してきた後も駅としての機能は残っていたが、
昭和18(1943)年11月に休止となり、幻のターミナル駅はわずか31年でその歴史に幕を閉じた

“構造的に変えられない部分”を利用してレトロモダンな個性を演出

「当社にとって“マチナカ”の商業施設を手がけるのは初めてでしたから、デザインコンセプトをどうするか?どのようなショップ・商品構成にするか?など、試行錯誤の連続でした」と語るのは、旧『万世橋』駅の再生を手がけたJR東日本ステーションリテイリングの広報担当・渥美春奈さん。

『エキュート』でお馴染みの“エキナカ”商業施設の運営・開発をおこなう同社が、駅の外=“マチナカ”に店を出す、しかも、高架橋の構造物を取り壊すことなくそのまま再利用して商業施設にする、というプロジェクトは前例のない試みだったが、地元・神田の老舗店主や地域の人たちから「再び街のランドマークになるような場所を創出してほしい」という声が多く聞かれたことも、再生へのチャレンジのきっかけになった。

「このプロジェクトが立ち上がって、担当者が最初にこの場所を訪れたときは、時間が過去のまま止まってしまったような状態になっていたため、“本当にここに商業施設を造ることができるのか?”と驚きつつも、やりがいを覚えたと聞いています。

旧『万世橋』駅は、駅としての機能はすでに無くなっていましたが、高架橋部分はいまも現役で、中央線が運行しているため取り壊すことはできません。当然、高架橋の構造を変えることもできませんから、様々な制約があるスペースにどのようにして商業施設としてお客様を呼び込むのか?という点が一番大きな課題のひとつでした」(渥美さん談)。

高架橋は線路を支えるために、ふたつのトンネルが並んだ頑丈な構造になっている。当然だが、トンネルの位置やカタチを変えることはできない。そこで、“変えることができないもの”は、空間の個性として強調することにした。

「ふたつのトンネル構造を通路として生かしつつ、ショップの各ブースを行き来できるようにしました。この従来のトンネル空間を生かすために、配線等をすべて床下にまとめて底上げしたため、背の高い男性が通り抜ける場合は腰を落とさなくてはいけないほど天井が低くなりましたが、お客様からは“このトンネルのような通路が非日常的な感じがしてステキ”といった好意的な感想をいただいています。

新しくデザインされた建物では再現できないであろう明治時代の設計をそのまま生かすことで、逆に、重厚感のある趣深い空間を効果的に演出する結果となったのです。

オープン後にこの空間を訪れた地元の皆様から、“昔からあるこの場所をこんな風に生かしてくれてありがとう”といったお言葉をいただいたときは、本当に嬉しかったですね」(渥美さん談)。

▲赤レンガの外観は耐震補強や修復のみでほとんど手が加えられていない。<br />線路の下というだけあって館内は細長い空間が奥へ奥へと続く。<br />ショップはイベントスペースを含め計13店舗。神田エリアの地域活性を狙った商業施設でもあるため、<br />地元ゆかりのショップを中心にカフェ・バル・ワインショップ・インテリア・ファッション・ギャラリーなど<br />お洒落なお店がズラリと並んでいる。<br />高架橋ならではの構造である2つのトンネルを通路として利用(左下写真)。<br />天井を見上げると線路の下の部分がむき出しになっている(右下写真)。<br />天井や壁は耐震補強のために新たにコンクリートを施したそうだが、<br />明治時代の開業当時のタイルやコンクリート、赤レンガの質感がそのまま確認できるのがおもしろい。<br />このレトロモダンな空間が話題となって、雑誌やドラマの撮影などもたびたびおこなわれているという▲赤レンガの外観は耐震補強や修復のみでほとんど手が加えられていない。
線路の下というだけあって館内は細長い空間が奥へ奥へと続く。
ショップはイベントスペースを含め計13店舗。神田エリアの地域活性を狙った商業施設でもあるため、
地元ゆかりのショップを中心にカフェ・バル・ワインショップ・インテリア・ファッション・ギャラリーなど
お洒落なお店がズラリと並んでいる。
高架橋ならではの構造である2つのトンネルを通路として利用(左下写真)。
天井を見上げると線路の下の部分がむき出しになっている(右下写真)。
天井や壁は耐震補強のために新たにコンクリートを施したそうだが、
明治時代の開業当時のタイルやコンクリート、赤レンガの質感がそのまま確認できるのがおもしろい。
このレトロモダンな空間が話題となって、雑誌やドラマの撮影などもたびたびおこなわれているという

100年前の職人の技術に触れることができる駅遺構を70年ぶりに公開!

こうして、レトロモダンな商業施設に生まれ変わった旧『万世橋』駅だが、テナントブースの2階に設置されている見学施設『2013プラットホーム』も鉄道ファンの間で注目を集めている。

ここはもともと旧『万世橋』の駅のホームがあった場所で、現在も両側の線路を中央線が走行している。当時から使われていたという階段を上がってホームに降り立つと、『万世橋』駅全盛の時代へタイムスリップしたかのような錯覚を起こす。ホーム部分は異空間・非日常を感じられるようなガラス張りの空間になっており、そのガラスの向こう側ギリギリのところを中央線が走り抜けていく様子はなんとも圧巻だ。

「ホームに上がる階段は、明治45(1912)年の開業当初から使われていた『1912階段』と、鉄道博物館の開業にあわせて昭和10(1935)年に設置された『1935階段』の2つがあります。

『1912階段』は、熟練の職人さんしか施すことができなかったという日本独自の『覆輪(ふくりん)目地』というタイル張りの手法が使われていて、よくよく見ると目地の部分がかまぼこ状にぽっこりと浮き上がっているのがわかります。こうすることで目地が割れにくく強くなる上に、タイルの美しさを際立たせる効果があったようです。

明治時代の当時、駅造りに携わった職人さんたちの技術は、100年前の見事な“巧の技”ですから、ぜひ一般の皆様にもご覧いただきたいと思います」(渥美さん談)。

この『1912階段』『1935階段』は、実に70年ぶりの一般公開となった。

改修前は下の写真からもわかるとおりタイルが酷く汚れた状態だったそうだが、ひとつひとつ丁寧に洗浄して間接照明を施し、壁面タイルの造形が美しい階段スペースとして現代に蘇っている。こうした『駅遺構』散策が楽しめる点も、従来の商業施設ではありえない魅力だ。

▲左上:改修前の『1935階段』の様子。階段の滑り止めとして使われていた金属は、<br />戦時中に軍に没収されすべて剥がされてしまったと言われている。<br />右上:現在の『1912階段』。美しい『覆輪(ふくりん)目地』のタイルを確認することができる。<br />下2点:中央線の線路と線路の間に設置された『2013プラットホーム』。<br />このような至近距離で電車が走行する様子を見学できる施設は「世界的にも例がないのでは?」と言われており<br />鉄道ファン垂涎の人気スポットとなっている▲左上:改修前の『1935階段』の様子。階段の滑り止めとして使われていた金属は、
戦時中に軍に没収されすべて剥がされてしまったと言われている。
右上:現在の『1912階段』。美しい『覆輪(ふくりん)目地』のタイルを確認することができる。
下2点:中央線の線路と線路の間に設置された『2013プラットホーム』。
このような至近距離で電車が走行する様子を見学できる施設は「世界的にも例がないのでは?」と言われており
鉄道ファン垂涎の人気スポットとなっている

歴史の中に取り残された“幻の駅”の遺構を、地域の交流拠点に

▲「これはわたしの個人的な“夢”ですが、『マーチエキュート神田万世橋』は神田川に沿って建っているので、神田川沿いに船着場を作りここからクルーズ船が発着するなど、水辺からもアクセスできるような商業施設になったらおもしろいですね」と渥美さん▲「これはわたしの個人的な“夢”ですが、『マーチエキュート神田万世橋』は神田川に沿って建っているので、神田川沿いに船着場を作りここからクルーズ船が発着するなど、水辺からもアクセスできるような商業施設になったらおもしろいですね」と渥美さん

旧『万世橋』駅高架橋に『マーチエキュート神田万世橋』がオープンして2年。幻のターミナル駅の再生は、地域にどんな効果をもたらしたのだろうか?

「オープン以来、ショップの皆様や神田エリアの皆様のご協力を得て、ワークショップやトークイベントなどを定期的に開催してきましたが、こうして“地域の交流拠点”として様々な情報発信をしていくことが私どもの施設の重要な役目だと思っています。

本来、ターゲット設定は30代~40代を想定していたのですが、来館されるお客様の世代は意外にも幅広く、「秋葉原や御茶ノ水からちょっと足を延ばして“昔の建物”を見に来ました」という10代・20代の学生さんやカップルの方から、「神田で買い物をしたついでに“懐かしい建物”に立ち寄ってみました」という年配の方々まで、旧『万世橋』駅の再生によって従来このエリアには無かった新しい世代間交流も生まれつつあることを、少しずつではありますが実感しています。

今後も『マーチエキュート神田万世橋』単体ではなく、地域ぐるみで“人を呼べる街づくり”をおこないながら、地域活性に貢献していきたいですね」(渥美さん談)。

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その昔、『万世橋』駅華やかなりし頃は、“エキナカ”にあったレストラン『ミカド食堂』に芥川龍之介や谷崎潤一郎ら著名人・知識人らが集い、夜な夜な政治や文化芸術について激論を交わしていたという。駅の休止によって華やかな街の記憶は歴史の中に取り残されてしまったが、残された駅遺構に息吹をもたらすことで、再びこの街がエリアポテンシャルを取り戻そうとしている。

■取材協力/マーチエキュート神田万世橋
http://www.maach-ecute.jp/

2015年 12月09日 11時11分