藁製品を入れる倉庫群を利用、美術館、バルや多目的空間に

左が藁工ミュージアム、真ん中が土佐バル、右側が蛸蔵左が藁工ミュージアム、真ん中が土佐バル、右側が蛸蔵

アートゾーン藁工倉庫が立地するのは高知市を流れる江ノ口川のほとり。かつてのこの辺りは見渡す限りに水田の広がるのどかな場所だったそうで、戦後、そこに50棟ほどもの倉庫が建てられた。この地域で盛んだったむしろや縄、俵などの藁製品を備蓄販売するためのものである。だが、梱包資材としてのむしろや縄などが使われなくなるとともに倉庫も姿を消し、2006年の時点では現在アートゾーン藁工倉庫となっている一画を残すのみとなっていた。

そこに目を付けたのは2004年に高知県内の消えゆく建物や景観を記録する「高知遺産」という展覧会を行った現代美術ギャラリーgraffiti(グラフィティ)。展覧会後、ギャラリー自体が建物の取り壊しに遭い、2006年に藁工倉庫を借りることになったのである。その後、この一角をアートゾーンとして再生させようと地元で障がい者福祉や芸術文化に携わってきたメンバーが自主的に集まったのが2010年の夏。アートゾーン藁工倉庫はそれから1年半の時間をかけて再生され、2011年12月にオープンする。

敷地は江ノ口川沿いの東西2カ所に分かれており、東側には正規の美術教育を受けていない人たちの作品を取り上げる藁工ミュージアム、地元の産品で作られたメニューが人気の土佐バル、そして各種のパフォーマンス、セミナーなどに利用される多目的空間蛸蔵の3棟に加え、所有者である藁製品を扱う会社、美容院などの入った建物がある。西側には前述のギャラリーのほか、ショップ、オフィスなどが入っている。今回は藁工ミュージアムの学芸スタッフ松本志帆子氏に話を聞いた。

市内に残る高知独特の建築様式の蔵はごくわずか

橋から見た藁工倉庫。橋の反対側にも同じような建物が並んでいる橋から見た藁工倉庫。橋の反対側にも同じような建物が並んでいる

「高知には白さが際立つ土佐漆喰という漆喰があり、また、台風、雨の多い土地柄から蔵の壁を守るために水切り瓦(蔵や住宅の壁に何段か重ねてつける小さなひさし)を配するという独特の建築様式があります。高知市内以外では吉良川町、佐川町などに多く残されており、国の伝統的建造物群保存地区に選定されてもいますが、市内でまとまって残っているのはここだけ。ただ、一部以外は使用されず、ずっと荒れ放題になっていました」。
それが変わるきっかけになったのはアール・ブリュットの美術館を日本に10館作ろうという日本財団のプロジェクトである。アール・ブリュットとはフランス語で生の芸術を意味する言葉。西洋文明に批判的だったフランス人画家ジャン・デュビュフェが提唱した概念で、芸術を意図して作られたものではなく、ある意味本能的な芸術を意味する。広義には正式な美術教育を受けていない人、発表するあてもないままに作品を作り続ける人など心の赴くままに≪表現者≫として制作活動に取り組んでいる人々の作品を指し、障がいのある人の作品を指すこともある。日本財団は2010年~2011年にパリで行われた日本のアール・ブリュットを紹介する「アール・ブリュット・ジャポネ展」に助成、それが12万人を超す観客を動員したことに手ごたえを感じ、日本にこうした作品を展示する美術館を作ろうと独自の支援事業を行っているのである。

藁工ミュージアムはそのプロジェクトの2館目として助成を受け、合わせて障がい者就労支援の場として隣接する蔵も土佐バル、蛸蔵として改修が行われた。

建物ごとに異なる改修で個性を出す

改修自体は同時期に行われたが、その内容は建物ごとに異なる。「藁工ミュージアムはもっとも大きく、縦に長い建物だったため、耐震性を担保するため、新しく壁と入れ子状の小さな部屋を作り、また、屋根には断熱材を入れ、上から新しく漆喰を塗るなど、かなり大幅な改修を行いましたが、蛸蔵は原型に近い形。そのため、若干補修はされていますが、元々の天井の色や壁を建物内部から見ることができます。土佐バルはその中間くらいでしょうか。3カ所見ていただくと違いが分かります。また、元々はセメント瓦が載っていましたが、重いので、一部を除きガルバリウム鋼板に張り替えてあります」。

藁工ミュージアムで印象的なのはギャラリーを入ったところに作られた、木材を積んだ部屋。これは耐震壁としての意味を持ちながらも空間に変化をつけており、展示の幅も広がると松本氏。ここで使われている木材は製材されずに7年間も眠っていたものだそうで、それを大工さんが現場で組み上げたという。「非常に手間のかかる作業で大工さん泣かせでした。でも、元々あるものを無駄にしないで使うという意味では象徴的でもあり、『共生と再生』というこの施設全体のコンセプトを伝えるものでもあろうかと思います」。

高知には土佐漆喰をはじめ、土佐和紙、土佐瓦などといった素材があり、それを生かす技術があるが、現在では瓦工場、左官職人などが減少傾向にあり、今になってこうした建物を作ろうとすると高いものにつくという。「高知では古いものを残すという意識があまりないのか、高知市中心街では他には残っておらず、ここが残っていたのは奇跡のようなものです」。現在もこの地で藁製品を商う所有者が蔵を取り壊さなかったこと、美術館やバルのような用途への転用を快く許可してくれたことも僥倖だろうと思う。

左上/蛸蔵、右上/土佐バル、左下/藁工ミュージアムの入れ子になったスペース、右下/ミュージアムの天井。天窓が見える左上/蛸蔵、右上/土佐バル、左下/藁工ミュージアムの入れ子になったスペース、右下/ミュージアムの天井。天窓が見える

見方を変えることでモノは美にもなり、ゴミにもなる

藁工ミュージアム内部。右側が切り裂いた新聞を袋に詰めた作品藁工ミュージアム内部。右側が切り裂いた新聞を袋に詰めた作品

チェーン店などの多い幹線道路沿いにあることもあり、ひときわ目立つ藁工倉庫。県外から建築として見に来る人も多く、川沿いの風景は映画のロケなどに使われたこともあるとか。歴史を感じさせる外観と異なり、複数のNPOが協力しあって運営をするやり方、地元産の食材を売りにするバルなど利用法がきわめて現代的なのも面白いところである。

実際の建物に入ってみると天井の高さと同時に、意外にひんやりとした雰囲気にも驚かされる。漆喰を塗った壁の厚さが功を奏しているのであろうか、先人の知恵は偉大である。もうひとつ、ここの倉庫の特徴は藁が湿気るのを防ぐためだろうか、屋根に天窓が設けられていること。倉庫といえば暗い場所というイメージがあるが、それがあるため、館内は意外に明るいのである。

ちなみに取材時には東京藝術大学の教授でもある日比野克彦氏の監修による「TURN/陸から海へ(ひとがはじめからもっている力)」と題した展示が行われており、劇作家野田秀樹や歌舞伎俳優の故十八代中村勘三郎の作品などと並んで、細長く切り裂いた新聞紙を詰め込んだゴミ袋が山のように無造作に積まれていた。知的障がいのある男性がひたすら裂いた新聞を母が捨てるに捨てられずに取り置いたものだそうだが、それがゴミなのか、美術なのかは見た人が感じるものであろう。同じように倉庫も古い、汚いと思う人には価値のないものかもしれないが、視点を変えた人たちの手にかかれば蘇る。要はモノの見方であると考えると、再生された倉庫が美術館になっているという意味が妙に新鮮に感じられた。モノの見方は多様なほうが結果は面白くなるのだろうなあと思う。

アートゾーン藁工倉庫
http://warakoh.com/

2015年 09月05日 11時00分