鉄道の街として栄えた新津

商店街のシンボルとも言える「C57形式149号機第一動輪」。1940年に申請され1974年北海道内を終着とする35年間で地球を約77周走行した計算になるそうだ。商店街が「新津鉄道資料館」から借り受けて展示している商店街のシンボルとも言える「C57形式149号機第一動輪」。1940年に申請され1974年北海道内を終着とする35年間で地球を約77周走行した計算になるそうだ。商店街が「新津鉄道資料館」から借り受けて展示している

新潟県新潟市秋葉区、ここは、2005年に新潟市に合併される以前は新津市として「西の米原、東の新津」と呼ばれるほど、鉄道の要衝として知られる場所だ。古くから歴史的に「鉄道の街」として栄え、お盆の頃には帰省客が溢れるほどの賑わいをみせていたという。しかし車社会が到来すると駅の利用客が減ると同時に、商店街の利用者も自然と近隣の大型店舗へと流れるようになった。

そんな厳しい状況を背景に、新津駅周辺の商店街では今、街の歴史を見直し「鉄道」をキーにした活性化にチャレンジしている。キャッチフレーズは「にいつ鉄道商店街」。

新津駅の東口周辺には地域密着型の商店街が軒を並べるが、歩いてみるとSLの動輪が置かれていたり、アーケードには国鉄時代の特急列車の色が再現されていたりと面白い。商店の軒先には、それぞれの店舗にちなんだ鉄道グッズなどが並んでいる。

鉄道好きの商店主数名のアイデアにより5年ほど前から始まった小さな取り組みだったというが、今では行政や商工会議所とも連携をとりながら商店街をあげての取り組みへと成長している。

「鉄道商店街」への取り組みがどのように行われ、成長をしているのか。キーパーソンとなる新津商店街協同組合連合会 理事長の遠藤龍司氏にお話を聞いてきた。

鉄道とともに発展した歴史を忘れかけていた商店街

商店街の中には鉄道の街の案内所もある。その名も「0番線待合室 来て基地」。商店街の中には鉄道の街の案内所もある。その名も「0番線待合室 来て基地」。

「新津」は鉄道ファンにとってはよく知られた街だ。明治の時代から蒸気機関車が走り、現在も在来線特急、新潟色の気動車など、さまざまな鉄道車両を見ることができる。街には1983年に開館した「新津鉄道資料館」もあり、JR東日本新津車両製作所を前身とする「株式会社総合車両製作所 新津事業所」では、車両の生産が行われている。

ただし、こうした「鉄道の街」というコンテンツを持ちながら、「商店街では鉄道の街として発展してきたことを忘れかけていた」と遠藤龍司氏は話す。

「商店街の人間や地域住民にとって、鉄道の街であることは当たり前すぎてきちんとアピールすることができずにいました。今でも新津の駅には週末になると観光用のSL列車が走ります。踏切で待っているとSLが走ってくる。外部の人たちは驚くのですが、私たち地域の者はさほど凄いことだとも思っていなかったのです」(遠藤氏)

しかし、大型店舗の出店に伴い集客がままならない商店街の現状に何か手を打たなければいけない。「商店街の活性化を考えた時に、この街の鉄道という“財産”をもう一度きちんとアピールしてみようと考えたのです」(遠藤氏)

きっかけは小さな取り組みから

新津の街には、旧国鉄の関係者が多く住み、自宅には列車のヘッドマークや車両工場のプレートなどが眠っていることも多かったという。そこで、鉄道好きの組合員のアイデアから、こうしたお宝を商店街に掲示するようになった。

遠藤氏は、それまでコンスタントに開かれていなかった連合会の理事会を毎月開催することに決め、店主たちと意見を交換した。そこでは、その店ならではのオリジナルグッズの作成や、鉄道にちなんだ看板の作成など様々なアイデアが出され実現することになる。

「できるところから小さく始めました。グッズにしてもあまり規制をかけることはせずに、店主の方々にも楽しみながら意見を出してもらいました。鉄道に関連した展示品にしても、“お宝でなくていい、切符一枚でも自分が鉄道に関して持っている思い出の品を出してください”とお願いしました。そうした自由さを残した取り組みだからこそ、少しずつ広がっていくことができたのだと思います」(遠藤氏)

今では街中を歩いてみると、まさに鉄道商店街を感じさせるディスプレイやグッズで溢れている。商店街が「新津鉄道資料館」から借り受けて展示する「C57形式」の動輪がオブジェとして歩道に置かれていたり、店舗のシャッターには蒸気機関車や特急列車、新幹線の車両が描かれたエリアがある。電光掲示板の代わりに駅のホームの列車停車位置標識をイメージした看板を掲げた店舗。あるアーケードでは、側面と支柱が国鉄時代の特急列車の車体をイメージした肌色と赤の配色になっていて、訪れる者を楽しませる。

各店舗では鉄道資料が展示されていたり、酒店ではSLワンカップ、パン屋では鉄道の街のイメージキャラクター「きてきち」のパンを販売。変わり種としては、果物店で列車に見立てた「トレインバナナ」を売っていたりする。

また、いつしか連合会の理事会には、勝手連的なサポーターとして新潟市秋葉区役所産業振興課の真田俊之氏が参加してくれるようになった。アーケードやシャッターアートは行政からの補助金も支給されている。遠藤氏は「真田さんがいてくれたことも、この取り組みが広がった1つの要因」と言う。

シャッターアートとして現在8店舗に鉄道車両が描かれている(写真上:左)。歯医者とは思えない外観。駅名プレートを真似た看板やプラットフォームの列車停車位置標識の看板も(写真上:右)。商店街を歩いていると線路もないのに突然踏切が出てくる。イベント時には点滅するそうだ(写真下:左)。果物店で売られている「トレインバナナ」バナナにシールを貼ってあるだけなので食べられる(写真下:右)シャッターアートとして現在8店舗に鉄道車両が描かれている(写真上:左)。歯医者とは思えない外観。駅名プレートを真似た看板やプラットフォームの列車停車位置標識の看板も(写真上:右)。商店街を歩いていると線路もないのに突然踏切が出てくる。イベント時には点滅するそうだ(写真下:左)。果物店で売られている「トレインバナナ」バナナにシールを貼ってあるだけなので食べられる(写真下:右)

愛好家から鉄道コレクションが集まる店舗も

「むらき呉服店」の店先に飾られた鉄道コレクション。全国の鉄道ファンから託された大切な品々。ちょっとした説明書きも添えられている「むらき呉服店」の店先に飾られた鉄道コレクション。全国の鉄道ファンから託された大切な品々。ちょっとした説明書きも添えられている

商店街の看板や展示資料を見ているだけでも楽しいのだが、店舗のショーケースで鉄道資料を眺めていると店主自らが声をかけてくれるのがまた面白い。資料の説明をしてくれたり、街の歴史を教えてくれたりする。

「別段、商店街の店主が皆さん鉄道好きというわけではありません。ですが、鉄道商店街を盛り上げていくうちに、みなさん鉄道にも歴史にも詳しくなっていました。思いおもいに“おもてなし”をして、足を止める方々とコミュニケーションをとられています」(真田氏)

店先のショーウインドーに鉄道資料を飾り、訪れる人々と会話をしているうちに、どんどん鉄道のお宝が集まったという店舗もある。「むらき呉服店」などがその例だ。店主の村木政寛氏は、商店街の活気を取り戻そうと率先して鉄道グッズを店先に飾った。秋葉区の鉄道愛好家から譲り受けた「新津車両所」の銘板や警笛部品、懐中時計などの計6点だ。するといつしか店舗を訪れる鉄道愛好家から、「集めたコレクションを譲りたい」と頼まれるようになったのだという。

「自分が死んだらきっと捨てられてしまうから、こちらで大切にしてもらいたい……。理由は様々ですが、大切な品々を持ち寄られるようになりました。私自身は鉄道ファンというわけではないのですが、品物ばかりではなく、みなさんの大切な思いをお預かりしていると思って大事にさせていただいています」(村木氏)

ちなみに、村木さんにお話を伺った際に、木片に「鉄道の街にいつ」と焼印を押した手作りのお土産をいただいた。「少しでも記念になれば」という思いからできる範囲で手作りをしているそうだ。

この商店街には、こうしたその店舗ごとに思いついた「おもてなし」が点在している。

地道な努力を続けたい

新津商店街協同組合連合会 理事長の遠藤龍司氏(写真:左)と新潟市 秋葉区役所 産業振興課の真田俊之氏新津商店街協同組合連合会 理事長の遠藤龍司氏(写真:左)と新潟市 秋葉区役所 産業振興課の真田俊之氏

この街では、1年に一度「総合車両製作所 新津事業所」で鉄道生産工程の一般公開が行われる。このイベントは鉄道ファンにとっては人気が高く、多くの人々がこの街を訪れる。

これまではこうした人々に商店街まで足を運んでもらうことが難しかったそうだ。だが、少しずつ「鉄道商店街」の認知度もあがり、イベントや鉄道撮影の後にも商店街を訪れてもらえるようになっているそうだ。

「こうした取り組みをしたからといって、爆発的に商店街に利益が出るわけではありません。しかし、商店街の人々が思いおもいにアイデアを出し、何かをやろうとしています。小さなことからコツコツと始めた取り組みですから、今後も地道に取り組んでいきたいと思います」(遠藤氏)

「にいつ鉄道商店街」を打ち出してから5年、商店街は明らかに変わってきている。この先この新津の商店街がどのように変わっていくのか、また時をおいて訪れてみたい場所だ。

2015年 11月30日 11時08分