商店街の今とこれから

上野アメヤ横丁の商店街は、今や海外の旅行者の観光スポットにもなっている上野アメヤ横丁の商店街は、今や海外の旅行者の観光スポットにもなっている

安土桃山時代以前、座・問丸・株仲間などの一部の独占販売権や不入権などの特権のある商工業者でなければ、商売はしにくかった。それを織田信長・豊臣秀吉などの戦国武将が城下町の活性化のために既得権を排除した「楽市・楽座」を行い、これによって商店街の原型のようなものができる。人の往来が多いところや、集客が期待できる場所に小商いの店が集まり、自然に栄えていったものが商店街である。古くは宿場町やお寺の門前など、また近代では、港や駅を中心とした人の通りができるところで商店街は栄えた。中小企業庁によると、商店街の明確な定義はないものの「商業統計表(経済産業省経済産業政策局調査統計部)では、小売店、飲食店及びサービス業を営む事業所が近接して30店舗以上あるものを、一つの商店街と定義」しているようだ。

かつては、各地の中心街に多く存在した商店街であるが、大規模小売店舗法が2000年に廃止され、同年に施行された大規模小売店舗立地法により、今までよりも大幅な緩和となり、大型店の出店は原則的に自由になった。また、乗用車の普及により、たくさんの駐車場スペースが取れる郊外での大型商業開発が進んでくる。そうしているうちに、商店街に、ひとつまたひとつと空き店舗が増えると、商店街全体でカバーしていた「買い物需要への供給対応」がむずかしくなり、人々の足が遠のく原因となる。
空き店舗の増加が止まらず、また新たな新規参入もない商店街は「シャッター商店街」となってしまった。

現在、郊外化からコンパクトシティなどのまちづくりを推進を目的とする中心市街地活性化が注目され、国や地方自治体が力を入れている。郊外に造られた大型店舗が、人口減少とコスト回収効率を理由に閉鎖や撤退するという事例も起きている。人口減、高齢化が進む中、また商店街の役割が見直される時期がくるのかもしれない。

今も元気な商店街は、地域の中でも人気がある。HOME'S PRESSでも各都市での「好きな商店街ランキング」の記事をお届けしたが、それぞれ注目記事となった。かつてまちの中心につくられたように、商店街の活性化は、まちづくり、まちの活性化に通じるところが大きい。

今また新たに、「商店街だからこそできること」を見直すことが必要なのかもしれない。実際にさまざまなアイディアで活性化を図ったり、まちづくりに大きく貢献している商店街の例も出てきている。

改めて、今まで取り上げた「がんばる商店街」を振り返りたい。

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