マニュアル通りの災害は起きない

日本の学校などで行われている地震を対象にした避難訓練は、少なくとも昭和40年代くらいからずっと変わっていないそうである。揺れている、机の下にもぐれ、揺れが収まったら校庭へ。だが、校庭が低地にあり、その時点ですでに浸水していたとしたら校庭に逃げるのは危険だ。階段にモノが倒れて通れなくなっていたら、校舎が倒壊していたら、外には出られないかもしれない。

「揺れたら机の下へというのが誰でもできるのはすごい話です。でも、40年以上、日本の防災訓練はそれ以上に進化してこなかった。現場を知る身からすると、発災前に頭で考えた通りに事態が進むと思う時点でそれはファンタジー。災害時にどうやって情報を入手しますか?と聞くとたいていの人はスマホと答えますが、基地局がやられ、電気が使えない状態下では情報は自分で取りに歩くしかありません。役所の人たちも同じで、誰かに頼っても助けてもらおうと思っても無理。目の前の現実に合わせて自分で考えて、動くようにしなければなりません」と語るのは2020年4月に『自分でやる防災 研究・普及所』を立ち上げた佐野哲史氏。

佐野氏は2007年7月に起きた新潟県の中越沖地震でボランティアに入って以降、災害の現場に立ち続けてきた人だ。それまでしていた政治に関わる仕事で成功を収めたものの、自分が本当に世の中の役に立ったのだろうかと自問していた時に発災。すぐに柏崎に向かったのだ。

その後、新潟県十日町市で「百年の館」など2つの宿泊施設を開業しているのだが、ちょうど1軒目のオープンが2011年2月17日。その翌月に起きたのが東日本大震災だ。あの時には新潟や長野でも揺れが続き、佐野氏は発災翌日の3月12日には東北に入ることを決めていたという。

個人の体験をどう自分のこととして考えるようにするか

東日本大震災後、佐野氏が入った現場の写真東日本大震災後、佐野氏が入った現場の写真

「新潟の発災から復興までのサイクルを見てきたので、災害の規模からして経験のある人がいないとボランティアなども含めて捌けないだろうと判断し、すぐに現地入りを決めたのです。たまたま、そのタイミングで全国のNPOと日本財団の合同プロジェクト『被災者をNPOとつないで支える合同プロジェクト』(略称・つなプロ)の現地本部長に就任することになり、その後は宮城県全域の避難所調査と人材・物資のマッチングに従事。被災地で何が起きていたかを俯瞰して見てきました」

中越沖地震の現場を経験していた佐野氏にとっても津波に破壊された沿岸部の現場は衝撃的だった。もし、同じことが東京、都市部で起きたらどうなるだろうと戦慄を感じると同時にこの知見を将来の防災に生かさなくてはいけないとも思ったという。

そこで自分に課したのは大局を見失わないようにすること。この時の佐野氏の担当は直接瓦礫を撤去することではなく、避難所の調査や特別なニーズに対応するなど言ってみれば後方支援。役に立とうと思って現地に入ったボランティアにとっては目的の見えにくい支援だが、これをきちんとやることが次の災害時に役に立つ。そして実際、この俯瞰する目は今も現場の情報を伝える際に生きている。

「語り部さんのご経験そのものは最大限尊重されるべきですが、体験談は個別、具体的なものなので、聞き手との間にギャップができてしまいがちです。たとえば、津波の話を内陸部のマンション住民が聞いてもリアリティを感じにくく、自分には関係ないと思われることが起きてしまう。そうした情報をどうやって『自分ごと』として聞いてもらえるようにするか、それが大事な点だと思っています」

自然災害だけが災害ではない

日本全国が被災すると感じた丸森町の現場日本全国が被災すると感じた丸森町の現場

緊急支援が一段落した2012年5月に復興応援団を立ち上げ、宮城県南三陸町の農家・漁師等の創業支援を行いながら、被災地での企業研修も行ってきた佐野氏だが、個人相手に『自分でやる防災 研究・普及所』を立ち上げようと思ったきっかけは2019年の台風19号。宮城県丸森町の被災状況に大きな衝撃を受けたのである。

「台風だから津波ほどの被害ではないだろうと思いながら4日目に現地に向かったのですが、状況は津波同様。さらにその後、首都圏でも武蔵小杉、二子玉川の浸水が伝えられた。その時、これからは日本全体が被災地になるかもしれないと思ったのです。だとしたら個人に向けて防災を伝えなくてはいけない、防災教育が変わらなくてはいけないと研究・普及所設立を決意しました」

おりしもコロナ禍勃発の時期でもあり、タイミングが悪いと止める人もいたというが、佐野氏はだから、今なのだという。

「コロナ禍下では日本全体が避難所生活のような状況だと思います。避難生活の最初は緊張して、たとえばトイレに行かなくても済む時期があったりしますが、緊張が解けると一気に不調が出始めます。不眠、便秘、いらいら、体重増加、血圧上昇など。お年寄りは運動不足が1ヶ月も続くとロコモティブシンドローム、生活不活発病になって、壁に手を突かないと歩けなくなったり、杖が必要になる人も出てきます。また、初期の支援物資の食事はおにぎりやカップラーメン、菓子パンなど炭水化物が多く、ビタミンがかなり不足する。心身の不調が運動不足と栄養の偏りで起きることを知っていれば意識的に野菜を摂るなどの手が打てます。この自粛期間にも同じことが起きていたのでは?と考えると、これからの災害は自然災害以外も含めて考えるべきでしょう」

過去の災害ではマニュアルは全然通用しなかった

高校での避難訓練準備の様子。中央が佐野氏高校での避難訓練準備の様子。中央が佐野氏

事業の柱は2つ。これまで取材してきた数多くの事例を伝え、そこから学ぶべき点を整理して伝えるメルマガ、そして学校でのこれまでとは異なる避難訓練の実践である。いずれの場合でもベースになっているのは災害を生き抜いてきた人たちの共通点、自分の頭で考えて行動するという考え方だ。

「マニュアルは全然通用しなかったという声を多く聞きました。活躍できた行政職員はいい意味でマニュアルを無視、目の前で起きていることに対処できた人だとも。また、南三陸町では震災初日に課長、課長補佐クラスが一度に亡くなり、避難所は住民が自分たちで運営することに。結果、役所に頼らない自律した運営になったと聞いています」

メルマガでは子育て中のお母さん、中学生、漁師、農家その他いろいろな職業、属性、年齢の人たちの身に震災直後に何が起きたかという経験談に加え、今思えば備えておくべきものはなんだったか、事例から学ぶべき点、お勧めのアクションなどのポイントをまとめたものが予定されており、年間50通届く。避難訓練では校内や避難経路を自分で歩いて危険を発見することから始める。

「愛知県の高校で避難訓練の準備で調べたところ、校内に防災井戸があることが分かったのですが、どこにあるか分からず、誰も使ったことがない。探してみたら錆びたマンホールがありました。また、校内、周辺を歩いてみると廊下のロッカーは倒れて避難の妨げになるだろうし、周囲の道路は閉塞しそう。そこでこれまでと同じ避難訓練をしても役には立ちません。本気で逃げられるのか、どこに逃げたらいいのかを自分で考えられる避難訓練が行われるようになれば、日本人の防災意識を変えられるのではないかと思っています」

個人が自分の身を守るためにできること

個人で防災のためにできることとしてはまず、自宅や職場、よく行く場所の地理を知ることをお勧めすると佐野氏。最近ではほとんどのまちでハザードマップが用意されており、入手も容易。自分で歩いてみれば土地の高低も分かる。わが家の危険が冷静に判断できていれば、避難の必要性も判断できよう。

長らく一戸建てを中心に災害時の避難が考えられてきたこともあり、何か起きたら避難所へと考える人が多いが、在宅避難、垂直避難などという考え方も知っておこう。台風や水害の場合、豪雨の中、低地にある避難所に向かうより、自宅に留まる、自宅の2階や近くの建物の上階に避難するという考え方だ。住んでいる場所が低地で危険が高い場所であり、台風などの危険があらかじめ予測できるのであれば自宅を離れ、親戚、友人宅に避難するというやり方もあろう。自宅が危険でも車内避難ならできる場合もあるかもしれない。

コロナ禍において避難所にもマスクや消毒液などの備えが必要と考える人もいるが、そうそう準備が迅速に進むとは考えられない。行政が何かしてくれると期待するより、自分が必要だと思うモノを用意するほうが早いし、確実だ。特に都市に住んでいるとまちの中のあらゆることを行政がやってくれているため、災害時にも誰かがやってくれると思いがちだが、それは難しい。

「都市の避難所では人の関係が管理する人(役所)、管理される人となりやすく、そうした関係では不満が生まれがち。ただ、災害時には役所の人間だからと言って他の人に入らない情報が入るわけではなく、できることは限定的。そこで文句をいって互いに疲弊するより、同じ方向を向いて力を合わせるほうが生き延びるためには有益です」

災害はひとつ起きたらおしまいというわけではない。平穏な日々を願っても自然は容赦ない。佐野氏の言葉通り、自分でやる防災こそが身を守る最大の手なのである。

2020年 07月10日 11時05分