関東大震災、東京大空襲の瓦礫が川を埋めた

烏山川緑道からかつての用水を暗渠化、地元の人たちに管理されている緑の小道を行くと世田谷通りに。周辺の古地図をチェックする高山氏と吉村氏烏山川緑道からかつての用水を暗渠化、地元の人たちに管理されている緑の小道を行くと世田谷通りに。周辺の古地図をチェックする高山氏と吉村氏

川、水路(以下、川)といえば多くの人は水の流れを想像するだろう。だが、都市には流れが見えなくなっている川もある。普通に流れが見えている川を「開渠」というが、これに対して水が見えない、地下に埋められてしまった、あるいは蓋をされてしまった川を「暗渠」という。

見えないものではあるが、暗渠は日本の多くの都市のあちこちに存在する。ご存じのように日本の都市の多くは水辺、低地に立地しており、鉄道が普及するまでの時代、流通の主役は舟運だった。そのため、日本の都市には今では想像できないほど、川、水路が張り巡らされていたのである。

それが現在のように大半が埋立てられて姿を消すようになるまでには何度かの埋立てラッシュがあった。東京の場合、最初の埋立てラッシュのきっかけとなったのは1923年の関東大震災。大量の瓦礫の処分策として川が埋立てられたのである。二度目は第二世界大戦末期の東京大空襲に代表される空襲である。関東大震災時同様、瓦礫が川を埋めた。そして三度目は前回の東京五輪というのが通説だが、それは違うと「暗渠マニアック!」の著者で自称「中級暗渠ハンター」の高山英男氏。

「資料を調べてみると1961(昭和36)年に、東京都では汚濁の激しい都内の14河川を埋めて下水道を整備すべしという、いわゆる36答申が出ており、たまたま時期が重なっただけ。もちろん、東京五輪を前に、この際汚いモノに急いで蓋をしようという意識は働いたかもしれませんが、丁寧に当時の報道を追った革洋同さんのブログからも分かるように、五輪が直接のきっかけではありません」

「ゴジラ対ヘドラ」に見る暗渠再生への兆し

ところが、面白いことに昭和30年代、40年代と川の埋立てが進む一方で、それを見直そうという流れも同時に生まれてきている。それを象徴するのが1971(昭和46)年7月に公開された映画「ゴジラ対ヘドラ」だったと高山氏。

「この作品は当時、大きな社会問題だった公害を背景に、ヘドロから生まれた怪獣ヘドラとゴジラが対戦するもの。高度経済成長で失われた環境に目を向け始めた社会の変化が感じられます。実際、その翌年には江戸川区が区内河川の整備計画を発表、そのすぐ後の1973(昭和48)年には日本で最初の親水公園である古川親水公園の一部が完成しています」

一度は埋立てたものの、もう一度、水辺を蘇らせようという動きは1980(昭和55)年以降に顕著になった。1980年に仙台堀川公園(江東区)、1981年に西亀有せせらぎ公園(葛飾区)、1983年に次大夫堀公園(世田谷区)と都内各所で親水公園建設が相次ぎ、1980年代の10年間だけで15カ所もの公園が整備されているのである。せせらぎをよみがえらせるまではしていないものの、緑道として整備された例も多く、自治体の公園課が管理している緑道があればまずは暗渠であることを疑ってみよう。不自然に細長い公園の多くも同様である。

さらに最近では建物に背を向けられていた渋谷川を周辺の開発と併せて表舞台に出したり、四ツ谷駅近くの再開発エリア・コモレ四谷が玉川上水をしのぶせせらぎと説明板をしつらえたりと、川の存在を視覚的により強調し、歴史的な観光資源として活用するような例が出てきていると「暗渠マニアック!」の共著者で深堀型暗渠研究家の吉村生氏。

「昭和の子どもが多かった時代には、暗渠の上を公園にしてカラフルな遊具を置く例が多く、昭和末期から平成前半期には植樹し、シックな装いにして大人が散歩したくなるような快適な遊歩道にしました。ここ数年は整備と同時にその地の歴史を伝えようとする流れがあるようです」

再生水を利用、流量が増えた渋谷川。川の周囲でイベントが行われることもあり、そぞろ歩くには良いスポットに再生水を利用、流量が増えた渋谷川。川の周囲でイベントが行われることもあり、そぞろ歩くには良いスポットに

暗渠を歩くとまちの歴史が見えてくる

その例として吉村氏が挙げたのは山谷堀。山谷堀は江戸初期に荒川の氾濫を防ぐために三ノ輪から隅田川沿いの今戸間に作られた水路で、江戸時代には隅田川から遊郭のあった新吉原までの舟運にも使われていた。昭和56年に埋立てが完了し、現在はその一部が台東区の山谷堀公園となっているが、近年再整備。歴史を伝える掲示板が設置された。

「舟を模したモニュメント、ベンチなどもあり、川だったことをしっかり伝えようとしています」

現在は見えていないとしても、まちを知るための手立てのひとつとして川は大きな存在だからである。実際、暗渠を訪ね歩いてみるとまちの歴史が見えてくる。取材では高山氏、吉村氏とともに世田谷区の烏山川緑道を歩いたのだが、ほんの数十年前の烏山川は今とは全く違う姿をしていた。

たとえばスタート地点は茶沢通りと烏山川緑道が交差する太子橋。かつて詩人の三好達治はこの地の戦後すぐの風景を綴っており(*)、それによると周辺は麦畑が広がるのどかな風景で、木の橋の上から眺めると緑の枝の下に夏蜜柑の皮が散らかる中を黒々とした汚水が流れていたという。烏山川は昭和40年代に暗渠化した川だが、それ以前は太子橋上流でしばしば氾濫が起こり、水害が頻発していたという。武蔵野台地上の高台である世田谷区内で水害という時点で、多くの人はびっくり!ではなかろうか。

(*)「月の十日」(講談社文芸文庫)収録の「東京雑記」による

烏山川緑道で見かけたもの。左上から時計回りに、三好達治の時代には木の橋だった太子橋。緑道の周囲には住宅が立て込んでいる。フェンスで囲われている部分は川跡。街中の細長い、フェンスで囲われた土地は、だいたいが暗渠。太子堂八幡神社の鳥居左手にあるのは弁財天。かつては烏山川にかかる弁天橋のたもとにあったのだとか烏山川緑道で見かけたもの。左上から時計回りに、三好達治の時代には木の橋だった太子橋。緑道の周囲には住宅が立て込んでいる。フェンスで囲われている部分は川跡。街中の細長い、フェンスで囲われた土地は、だいたいが暗渠。太子堂八幡神社の鳥居左手にあるのは弁財天。かつては烏山川にかかる弁天橋のたもとにあったのだとか

暗渠サインは銭湯、マンホールの蓋に猫!

だが、かつての川、つまり現在の緑道周辺、そしてそこに注いでいた支流跡をたどって歩いていくとあちこちで暗渠サインともいうべき、川の名残りが見つかる。もちろん、ただ、ぼおっと歩いていては見えてこない。土地の高低差、そこに何があるかなどを意識しているといろいろなものが見えてくる。

高山氏によればそこが川跡かどうかを現地で知るためのサインとしては、低く細い道、不自然に幅の広い歩道、湿気や苔、集中するマンホールの蓋、地下からの水の音の5つがあるという。低さ、湿気、苔などの意味は分かるものの、不自然に幅の広い歩道がなぜ?と思うだろうが、これは地下に土管内を流れる川がある場合、その上にトラックなど重量のある車を通すのは土管破砕の危険があるため。歩道にしておけばその心配がなくなるのだ。

また、それ以外にも川があったことを疑うべきモノがある。たとえば銭湯やクリーニング店、染め物屋さんのように水を使う、流す業種は暗渠沿いに立地していることが多い。今回のルートでは見なかったが、釣り堀や養魚場、豆腐店、製餡所、材木店など、製粉所、印刷所・製紙業、プールなども近くに暗渠がある可能性ありなのだとか。

今回見かけたものでは水の神、弁財天も暗渠を暗示させる。車を通さないための車止めももちろん、暗渠サイン。地名や交差点、建物の名まえに橋、水車など水にちなむものが残されていることもある。

個人的には猫や井戸に巡り合うことが多いのも暗渠歩きの楽しみのひとつだと思う。もちろん、橋跡、護岸跡などが残されていることもある。

続・烏山川沿いで見かけたもの。左上から時計回りに暗渠近くでよく見かける業種、銭湯。曲がりくねった道にはマンホール、苔などが。左下はかつて個人が引いた用水路が部分的に残されてしまった跡。暗渠周辺には川絡みのトマソン的な品も残されているわけだ続・烏山川沿いで見かけたもの。左上から時計回りに暗渠近くでよく見かける業種、銭湯。曲がりくねった道にはマンホール、苔などが。左下はかつて個人が引いた用水路が部分的に残されてしまった跡。暗渠周辺には川絡みのトマソン的な品も残されているわけだ

緑道からスタート、暗渠を探す旅を始めよう

では、暗渠を歩いてみようと思ったら、まず、どこへ行けばいいか。お勧めは最初から暗渠であることが分かっている緑道を歩き、そこに注いでいたはずの支流を地図などから想像、暗渠サインを求めて歩いてみることである。

「緑道の近くにある不自然に曲がりくねった道、断続的に水のマークが出てくる場所、車止めのある道、橋の名まえの残る場所、緑道を横断するような道などを疑ってみてください。歩いてみて前述したサインが出てきたら、それはきっと川跡です」と高山氏。

最後にお二人にお勧めの暗渠を教えていただいた。まず、高山氏のお勧めはかつて目黒川に注いでいた蛇崩川緑道、北沢川緑道(世田谷区、目黒区)。いずれも歩きやすく整備されており、ことに北沢川緑道は暗渠上に人工のせせらぎも。どちらも桜の名所でもある。吉村氏のお勧めは杉並区・中野区の桃園川(一部緑道)。全長4キロちょっとの川だが、「まちに川の記録を持つ人達がおり、話を聞くと新事実が絶えず出てきて、その度に歴史を書き換える楽しみが味わえます」と吉村氏。

もちろん、都内以外にもさまざまな暗渠、川跡がある。たとえば横浜市保土ヶ谷区にある「滝ノ川あじさいロード」は滝ノ川の川跡で、あじさいの名所。同じく横浜市鶴見区から神奈川区にかけて流れる入江川の上流部は入江川せせらぎ緑道となっており、こちらは桜の名所とか。埼玉県さいたま市から川口市を流れる藤右衛門川(地区によって谷田川、藤右ェ門川とも)は支流が多く、そのうちの天王川の一部は天王川コミュニティ緑道となっており、本流上は藤右衛門川通りとなっている。ちなみに藤右衛門通りは浦和競馬場の手前で開渠となり、競馬場内を川として流れている。コース内には橋も2カ所あるそうだ。

最近では暗渠を探し歩く人が増えており、高山氏、吉村氏の著書を始め、書籍も多数。参考にしていくつか歩いてみれば、自分でも探せるようになるはずである。

革洋同さんのブログ
http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/--bdc4.html

暗渠マニアック!
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左上から時計回りに蛇崩川緑道、北沢川緑道、桃園川緑道。最後は私のお勧め、九品仏川緑道。自由が丘である左上から時計回りに蛇崩川緑道、北沢川緑道、桃園川緑道。最後は私のお勧め、九品仏川緑道。自由が丘である

2020年 11月30日 11時05分