移住のきっかけは東日本大震災

多くの登山客やスキー客を引きつける大雪山連峰のお膝元で、移住者に人気のまち・北海道東川町。水道・国道・鉄道の3つの「道」がないことでも知られ、大雪山の雪解け水を利用した全戸地下水や広大な田畑など、自然と調和した豊かな生活環境が売りだ。そんな東川町に魅せられ、東京都から移住した旅好きの正垣智弘さん一家がヴィラを営んでいる。独立した3棟からなり、「暮らすような旅」を提案する一棟貸し「Villaニセウコロコロ」だ。

「最初から宿をやる計画があったわけではなかったんです」と智弘さんは言う。

千葉県出身の智弘さんは児童養護施設の職員として、夜勤や宿直もある激務をこなし、「家には寝に帰るような生活」を送っていた。「このままでいいのか」という思いを抱えていたが、それが強く再燃したのは、2011年3月の東日本大震災だった。

新潟県出身の妻の芳苗さんは、広大な大地と自然のある北海道に小さい頃から憧れがあり、東京で3人(現在は4人)の子育てに追われていた。震災で、食の安全や環境、家族のあり方などをあらためて考えるようになった。

田畑に囲まれ、大雪山連峰を望める立地にある「ニセウコロコロ」田畑に囲まれ、大雪山連峰を望める立地にある「ニセウコロコロ」

移住体験で不安を解きほぐし、子どもたちが遊ぶ姿を見て決意

2011年夏に北海道を横断旅行した正垣さん一家(上)。年末年始には当別町で移住体験をした(下)2011年夏に北海道を横断旅行した正垣さん一家(上)。年末年始には当別町で移住体験をした(下)

2011年の8月、毎年の旅行先になっている北海道へ。この時は東川町の中心部は通過するだけだったが、帰りのフライトに向かう高速道路を車で流しているとき、芳苗さんは憧れの大地での豊かな暮らしがイメージでき、「帰りたくない」と漏らした。

その後、芳苗さんが北海道移住に向けて智弘さんを説得。何度か札幌市近郊や十勝地方を訪れて候補地を探した。

同じ年の年末から年始にかけ、札幌市周辺の土地と現地の生活に触れてみようと、札幌市に隣り合う当別町で、北欧風の移住体験住宅で暮らした。ここで大雪に見舞われたが、智弘さんは除雪を体験したことで「意外に暮らせるかもしれない」と少しずつ不安が和らいでいったという。一方で、札幌の周辺のまちはネオンで明るく、「思い描いていたものと違う」と感じるようになった。

候補地選びで悩んでいた時、たまたま目にしたのが、東川町のホームページだった。売地の情報をつかみ、詳しく調べていったところ、ピンときたのが全戸に供給される地下水。東日本大震災で水や食べ物の大切さを痛感していただけに、東川町に強く惹かれるようになった。

2012年の2月に売地の視察へ。もともと農家の住宅があった、天気の良い日は大雪山連峰を見渡せるという好立地。訪問時は、白一色の雪原。完全な更地で、境界も分からないが、隣の家まで距離があることは分かった。

芳苗さんは地元の新潟県で山や田んぼに囲まれて育ち、畑で収穫したものをすぐに食べるという生活を送っていた。そんな原風景と東川町の土地が重なり、「ここがいい」と即決。

このとき智弘さんはまだ悩んでいたが、雪解けの後に再訪した時の光景が決め手になった。子どもたちがごろごろ落ちていた石で遊んでいたのを見て、「そんな石でも夢中になれるんだ。これまで家族と過ごす時間を取れなかったので、新天地ではそういう時間を大切にしたい」と考えた。社会福祉士の資格があるため福祉関係の仕事には就きやすいと思えたこともあり、「生きていける。ここにしよう」と納得。この土地に出合った時点では宿の経営は視野に入っていなかったが、家づくりから検討が始まった。

自分たちの旅行体験から、気兼ねなく家族で過ごせる宿を目指した

敷地は800坪もあり、持て余すほどだった。智弘さんが働きに出て、芳苗さんが子育てをしていては東京時代と変らない生活になるかもしれないという悩みもあった。

そこで正垣さん夫婦は、家族との時間を持てる自営業を始めることを考え、「仕事場と自宅が近いこと」「旅好きの自分たちだからできること」をイメージ。東川町内には宿泊施設が多くないと感じていたこともあり、土地を購入した2012年7月までに、宿泊施設を開く構想を固めた。

どんな宿にするか。

これまでの旅の経験から、小さな子どもを連れていると他の宿泊者に気兼ねしたり、寝室とリビングの区切りがない部屋では寝かしつけた後に話し声や光量に気を遣ったりと、苦労する場面が多かった。そこで、外食で疲れないようにキッチンや調理器具を完備し、地元の食材を買って調理できるようにしたい。身軽に旅ができるよう洗濯機など生活に必要なものは一式整え、夫婦の時間を持ちやすいように寝室とリビングを分け、大きな浴槽で子どもと一緒に入れるようにしたい。こうして、独立した一棟を丸ごと貸すヴィラという形態に行きついた。

食事の提供など滞在のスタイルも入念に検討。

近くに勧めたい店が多くあり、スーパーで好きな物を買ってキッチンで調理したりすることで、ここに暮らしているような体験を楽しんでほしい。また、食材を紹介することで地元の店に足を運んでほしい。そんな思いから、夕食と朝食の提供はしないことにした。智弘さんは「結果的に、家族と過ごす時間をより持つことができて良かったです」と言う。

外構を含めた設計や家具類のセレクトは、東川町発祥で全国にショップを持ち、北欧テイストの住宅を得意として根強いファンをもつ「株式会社北の住まい設計社」に依頼した。北海道らしい納屋をイメージした、洗練された雰囲気とかわいらしさが同居するデザイン。大雪山を遮る高い建物がなく、のどかに広がる田園地帯の雰囲気によく似合うようにした。

東京にいながら準備を重ね、2013年4月に移住し、同年6月にオープンした。

棟ごとにテイストの異なるヴィラ。共通するのは薪ストーブのある広いリビング(左上)、山を望める大きな浴室(右上)、ゆったりとしたベッド(左下)、使いやすさにこだわったキッチン(右下)棟ごとにテイストの異なるヴィラ。共通するのは薪ストーブのある広いリビング(左上)、山を望める大きな浴室(右上)、ゆったりとしたベッド(左下)、使いやすさにこだわったキッチン(右下)

京都での宿泊体験が、「暮らすように泊まる」の原点

北海道の納屋をモデルにした、アイヌ語でミズナラを意味する棟「ペロ」の前に立つ正垣さん夫妻北海道の納屋をモデルにした、アイヌ語でミズナラを意味する棟「ペロ」の前に立つ正垣さん夫妻

ニセウコロコロのこだわりは、上質な建築デザインや調度品にとどまらず、地元の暮らしを体験してもらうことにある。

正垣さん一家がかつて、京都市の町家を改装した宿に泊まった際、宿のオーナーが、地元の人が普段買うような食材を紹介してくれたことがあり、「観光地なのに、全く別の京都が分かりました。住んでいる人の目線で暮らしを楽しむ宿っていいなと思いました」と智弘さんは振り返る。

東川町内には個性が際立った飲食店や雑貨店が点在しているが、正垣さん夫婦も旅行者目線では見落としていた魅力だった。そして住んでみると、豊かな自然環境や素材を生かした生産者や料理人、職人が多いことが分かった。宿泊者が自分で調理する朝食セットでは、町内の平飼い卵や無添加のベーコン、手作り自然酵母のパン、食塩不使用のトマトジュースをはじめ、添加物を極力避けた食材を提供している。これらは、水や食品、環境にこだわる正垣さん一家が「自分たちで食べたいもの」でもある。

敷地内に植えた木を成長させて、森のようにしたい。野菜を育てる。生ごみを分解して循環させる。既存の送電系統から独立したオフグリッドを目指す…。正垣さん一家が思い描いていることは自然に逆らわない、環境や人に優しい暮らしのスタイルだ。自分たちの暮らしの質を高めていくことが、ヴィラとしての進化とも重なる。

正垣さん一家は、同じ敷地内の別棟に暮らす。3棟のヴィラとは別の地元工務店が手がけたが、天然スギを板張りに使うなど外観や雰囲気には統一感がある。暮らすように滞在するヴィラの隣には、東川の素材にほれ込み、暮らしにこだわる6人家族がいる。

2020年 07月03日 11時05分