伝統工芸「有松・鳴海絞」で栄えた町

前回紹介した名古屋市の歴史まちづくり推進室の永原さんのお話をもとに、歴史的建造物が残るスポットのいくつかを訪ね歩いてみた。

まずは名古屋市緑区にある町並み保存地区の「有松」から。有松は旧東海道「鳴海」と「池鯉鮒宿(ちりゅうしゅく)」の間の宿(あいのしゅく)※として栄えた町。国の伝統工芸品である「有松・鳴海絞」は東海道のお土産として有名で、現在でも有松絞りの専門店が多く見られ、昔ながらのしっとりした和の雰囲気が感じられる。

有松は1984年に町並み保存地区に指定されている。古くから指定されているとあって町並みとしての整備もずいぶん進んでおり、無電柱化も完了している。また現在、文化財保護法に基づく国の重要伝統的建造物群保存地区制度の導入といった計画もあり、地域の方々と話し合いながら町並み保存地区の見直しを進めているところだという。

※間の宿…江戸時代、旅人が休憩するために宿場と宿場の中間に設けられた宿。宿泊はできなかった。

風情ある有松の町並み。電柱や電線が1つもないので、町の景観をじっくり眺めながら歩けるのが心地よい風情ある有松の町並み。電柱や電線が1つもないので、町の景観をじっくり眺めながら歩けるのが心地よい

気品と知性にあふれる文化のみち

名古屋市南部の有松をあとにして、名古屋市北部寄りの「文化のみち」へ。文化のみちというのは名古屋城から徳川園までのエリア一帯のこと。江戸時代には中・下級武士の屋敷が連なり、明治から昭和の初めにかけては近代産業の担い手となる起業家やジャーナリストなどが交流したとされる場所で、エリア一帯に気品のある雰囲気が漂っている。

文化のみちのうち、町並み保存地区である〈白壁・主税(ちから)・橦木(しゅもく)〉に足を運んでみた。

オレンジ色の屋根瓦が目を引くモダンな洋館は「文化のみち二葉館」(写真1)。日本の女優第一号として知られる川上貞奴と電力王の福沢桃介が暮らした家を移築・復元した建物で、貞奴や桃介に関する資料や郷土ゆかりの文学者などの資料が展示されている。

そして二葉館から西へ300メートルほど行くと、明治・大正の頃に陶磁器商として活躍した井元為三郎の旧邸宅「文化のみち橦木館」があり(写真2)、施設内にはカフェが併設されている。
二葉館、橦木館ともに年間を通してさまざまなイベントが行われているほか、貸室も利用できる。

また、毎年11月3日の文化の日には、文化のみちのイベントとして「歩こう!文化のみち」が開催され、多くの市民で賑わう人気の催しとなっている。

右は二葉館の西側から撮影したもの。窓ガラスのアーチの形状とステンドグラスが美しい右は二葉館の西側から撮影したもの。窓ガラスのアーチの形状とステンドグラスが美しい

意外と今風? 松坂屋初代社長の別荘地

文化のみちを離れ、次に訪れたのは名古屋市千種区覚王山にある「揚輝荘」。(株)松坂屋初代社長の伊藤次郎左衛門祐民が大正から昭和初期の頃に築いた別荘で、迎賓館や茶室など5つある建造物と庭園を名古屋市が整備している途中で、迎賓館の聴松閣(ちょうしょうかく)は昨年夏に整備が終わって一般公開されている。

という説明を歴史まちづくり推進室の永原さんがしてくれたときは、正直なところ、お金持ちの別荘地か……とあまり期待していなかったのだが、実際に行ってみると予想に反してとても見応えがあった。

筆者の主観だが、当時の別荘や高級住宅というと、外観やインテリアのデザインが重厚で渋いというイメージがある。なので、聴松閣もきっと渋い建物だろうと思っていたのだが、外観はこじゃれているし、中に入ってみるとアジアンリゾートホテルのような雰囲気があるように感じられた。

下の写真を見ていただくとわかりやすいと思うが、柱や壁、天井などに施されているデザインや色づかいが何ともかわいらしい。それでいて階段の手すりなどには、木材の表面を手斧(ちょうな)で削る日本伝統の「名栗(なぐり)」加工が施されていたりする。一つ一つをじっくり見ていたら飽きることがなく、もう一度訪ねてみたいと思った。ほかの施設が公開されるのが楽しみである。

〈左上〉鮮やかな朱色の山荘風外観が特長の聴松閣 〈右上〉旧舞踏場の天井部分に見られるインド様式のレリーフ 〈左下〉パステルカラーの模様が描かれている旧舞踏場の柱 〈右下〉「名栗」が施されている階段部分〈左上〉鮮やかな朱色の山荘風外観が特長の聴松閣 〈右上〉旧舞踏場の天井部分に見られるインド様式のレリーフ 〈左下〉パステルカラーの模様が描かれている旧舞踏場の柱 〈右下〉「名栗」が施されている階段部分

駅前高層ビルと古い町並みのギャップが面白い

さて、最後に訪れたのは名古屋駅に近い町並み保存地区の「四間道(しけみち)」。名古屋市内を南北に流れる堀川沿いにある町並みで、商人が建てた土壁の蔵が並んでいる。実はこの界隈は、歴史まちづくり推進室の永原さんが密かに気に入っている場所だ。前回の取材のときに、こんな話しをされていた。

「初めて四間道に行ったとき、名古屋にこんな場所が残っているんだ……! と思いました。すぐ近くはビル街なのに、ちょっと路地に入っただけでタイムスリップしたかのような空間があることに驚いたんです。四間道は名古屋駅から歩いて行ける距離ですし、付近には円頓寺(えんどうじ)商店街があって、蔵を活用した飲食店などの店舗も増えているので、回遊しても楽しめると思います。名古屋駅前は高層ビルがどんどん建ってまちの姿が変わってきていますから、そんな様子とのギャップを眺めてみるのも面白いですよね」

四間道という地名は知っていたが立ち寄ったことはなかったので、永原さんの言うとおり、名駅から歩いて15分ほどの場所に四間道のような空間があるというのは、筆者にとっても新鮮な驚きだった。

〈上〉四間道は名古屋国際センタービルから歩いて約5分ほどのところにある 〈左下〉円頓寺商店街は四間道の西側 〈右下〉高層ビル建設中の名古屋駅前。名古屋駅から国際センタービルまでは徒歩10分ほどだが、その間を結んでいる地下街を歩けば距離はそれほど気にならない〈上〉四間道は名古屋国際センタービルから歩いて約5分ほどのところにある 〈左下〉円頓寺商店街は四間道の西側 〈右下〉高層ビル建設中の名古屋駅前。名古屋駅から国際センタービルまでは徒歩10分ほどだが、その間を結んでいる地下街を歩けば距離はそれほど気にならない

歴史まちとしての名古屋をもっと市民に知ってほしい

名古屋市に歴史まちづくり推進室があるということをまずは知ってもらいたい。Webサイト「なごや歴まちネット」内には、名古屋市歴史まちづくりPRキャラクター歴まちくんによる、歴まち検定やぬりえなど子どもから大人まで楽しめるコンテンツがあるので、名古屋市民以外の人もぜひ覗いてみてほしい名古屋市に歴史まちづくり推進室があるということをまずは知ってもらいたい。Webサイト「なごや歴まちネット」内には、名古屋市歴史まちづくりPRキャラクター歴まちくんによる、歴まち検定やぬりえなど子どもから大人まで楽しめるコンテンツがあるので、名古屋市民以外の人もぜひ覗いてみてほしい

前回と今回の2回にわたって名古屋市の歴史まちづくりの取り組みや、歴史まちスポットを紹介したが、永原さんによると「身近な歴史的建造物の保存活用のために、歴史まちづくり推進室がどれだけどんな支援ができるかが大きな課題」だという。

つまり、歴史的建造物としては価値のある建物でも、住む人にとっては現代の建物に比べると快適性は劣るし、維持管理をしながら住み続けるといっても費用がかかってしまう。だから新しい建物に建て替えることを望む歴史的建造物の所有者もいるそうなのだが、そこを曲げて、貴重な建物だからぜひ残してほしいと推進室からお願いすることもあるそうだ。

「たとえば、建物の改修のために市が補助金を出すべきなのか、場合によっては建物を使ってくれる人を推進室で探してくるべきなのか。個人の財産に関わることですし、個々の事情によって答えが変わるので本当に対応が難しいです」(永原さん)

また、多くの名古屋市民が名古屋に対して“歴史まち”というイメージを持っておらず、名古屋市に歴史まちづくり推進室という部署があることを知らないというのも一つの課題かもしれないと永原さんは言う。

筆者もそういう市民の一人だったので反省しきり。だが、今回の取材を通して、名古屋には誰かに語ってみたくなるようなちょっとした歴史がたくさんあることにあらためて気づかされたので、これを機に、まずは身近な町内の歴史などを調べてみようと思う。

2014年 10月07日 11時06分