「水は昔を覚えている」が意味することとは

関西大学社会安全研究センター長・特別任命教授の河田惠昭氏関西大学社会安全研究センター長・特別任命教授の河田惠昭氏

「水は昔を覚えています」。2019年9月4日に千代田区が行った防災講演会は、謎めいた言葉から始まった。

講師を務めた関西大学社会安全研究センター長・特別任命教授の河田惠昭氏は「徳川幕府ができた頃は、利根川は東京湾に注いでいて、千代田区辺りは湿地帯でした。浸水や津波は、そうした昔の地形を覚えていて襲ってくるので、今の千代田区に湿地帯の面影がないからといって、将来にわたって水害に無縁とはいえません」と指摘する。

しかも、東京都心部には浸水の長期化という問題もあるというのが、河田氏の見解だ。同じ大都市でも大阪は、室戸台風やジェーン台風などによる高潮で水没した経験から、下水の処理能力を高めてきた。その結果、南海トラフ地震の津波で市街地全域が浸水することになっても、計算上では3日で排水できることになっている。一方、東京の都心部は水没した経験がなく、「下水の排水能力が限られている点が心配です」と河田氏は言う。

高層ビル群が招いてしまう都市部の集中豪雨

河田氏によると、雨の降り方は3つに分けられる。1つ目は、1,000km2以上の広い地域に、数時間にわたって1時間当たり40mmから100mmの大雨が降る「広域豪雨」。台風と前線との組み合わせなどで生じ、東京で発生すれば荒川などの大きな河川の氾濫を招く。2つ目は「集中豪雨」。広域豪雨より狭い地域で1時間当たり50mmから100mmの大雨が降り、神田川などの氾濫や、下水の逆流による千代田区全域の浸水などを引き起こす可能性がある。最後は「ゲリラ豪雨」。集中豪雨よりさらに限られた地域で大雨が降り、スポット的浸水を千代田区内各所にもたらすおそれがある。こうした豪雨は、地球温暖化などの影響もあって、近年は増加傾向が顕著だ。1時間当たりの雨量が50mm以上、80mm以上、100mm以上の豪雨について、1976年からの20年間と、1996年からの20年間のアメダスの記録を比較すると、すべて後者が多くなっていて、100mm以上の豪雨は1.95倍にもなっている。

増える豪雨の中でも、河田氏は「東京都心部では、特に集中豪雨が発生しやすくなっています」と話す。台風などの風の流れが、都心部の高層ビル群に当たることによって乱され、結果として、集中的な大雨につながるケースがあるというのだ。
「2017年にアメリカのヒューストンを襲ったハリケーン・ハービーは、平原の中に高層ビルが林立するヒューストンとその周辺にだけ、ヒューストンの年間降水量に匹敵する1,318mmの雨を、わずか5日間でもたらしたのです」。条件さえ整えば、東京都心部でもヒューストンと同じことが生じると河田氏は話す。

アメダスの記録を比較してみると、豪雨が増加傾向にあることがわかるアメダスの記録を比較してみると、豪雨が増加傾向にあることがわかる

神田川の氾濫と下水の逆流が大手町のビルへ

過去、台風によって神田川が氾濫した例としては、近年では1993年の台風11号、2004年の台風22号が挙げられる。これら2つの台風では、浸水家屋が床上、床下を合わせて、それぞれ3,117戸と46戸に及んだ。その経験を踏まえ、氾濫対策の一環として環状7号線の地下に調整池が建設され、1時間に75mmの豪雨でも氾濫を防ぐ能力があるとされている。

「それでも、神田川が氾濫する危険性は残ります」。河田氏の計算によると、1時間当たり100mmの集中豪雨では、約1,050万tの雨水が神田川に流入する。地下の調整池で処理できるのは約240万tなので、残りの810万tがあふれてしまうことになる。この豪雨は千代田区にも降ると考えられるので、下水で処理できない雨水は、こちらも路上にあふれてしまう。「つまり、1時間に100mmの豪雨が降ると、神田川の氾濫という外水氾濫と、下水から雨水が逆流する内水氾濫が同時に発生し、大手町周辺のビルの地下通路や駐車場は水没する危険が高まります」と、河田氏は警告している。

上図は明治43年の大水害の被災範囲、下図は荒川氾濫時に想定される最大規模の浸水区域。「水は昔を覚えている」との言葉どおり、被害地域が重なっている上図は明治43年の大水害の被災範囲、下図は荒川氾濫時に想定される最大規模の浸水区域。「水は昔を覚えている」との言葉どおり、被害地域が重なっている

浸水の長期化と区域の拡大が懸念される荒川の氾濫

そして、広域豪雨で3日間の雨量が700mmを超えると、荒川の氾濫が懸念されることになる。「荒川流域の都市化が進み、人が多く住むようになると流れ込む水の量が増えます。約150年前に比べると、流れ込む水の量は6倍になっているといわれています」と河田氏。流れ込む水の量に対して、荒川の堤防がそこまで高くなったわけではないので、氾濫の危険性が増すことになる。「雨の降り方が変わったから川が危険になるのではなく、土地の使い方が変わると川は危険になります」と、河田氏は説明する。

荒川の氾濫の大きな問題は、浸水期間の長期化と、地下空間を通じた浸水区域の拡大だ。荒川が北区の岩淵付近で氾濫したとするシミュレーションによると、下水の処理能力に限界があることから、荒川区や台東区などでは2週間以上浸水が継続することになるという。そして、浸水は地下通路などから地下鉄に広がる。浸水の規模は最大で、17路線、約147km、97駅に及ぶとみられているという。「2012年にニューヨークを襲ったハリケーン・サンディでは、マンハッタンの地下鉄も浸水しましたが、車両を前日までに地上に避難させたので、約1週間で仮復旧にこぎつけることができました」と河田氏は言い、鉄道会社や行政、地域が連携した事前の対策の必要性を訴えた。

首都圏において大規模水害が起こった際に想定される被害。ライフラインへの被害も甚大だ首都圏において大規模水害が起こった際に想定される被害。ライフラインへの被害も甚大だ

安全・安心な社会とは、危険を正しく感じる社会

河川の近くに高層ビルもある千代田区では、豪雨による被害が大きくなることが想定される。オフィスなどでも備えが必要だ河川の近くに高層ビルもある千代田区では、豪雨による被害が大きくなることが想定される。オフィスなどでも備えが必要だ

「神戸の震災の被災者は、誰もが事前の対策が必要だったと言いますが、震災前には事前対策に誰も関心を示しませんでした。起きてほしくないことや経験していないことは、起きないと考えてしまいがちです」。河田氏は、そうした思考から改める必要があると言い、安全・安心な社会とは、災害の生じない社会ではなく、「危険を正しく感じることができる社会なんです」と話した。

千代田区で発生した災害は、東京はもちろん、日本全体にまで影響が及ぶ。「ですから、万全の対策を立てているなどとは言わずに、謙虚に防災に取り組んでほしい」と要望して、講演を締めくくった。
昨今の自然災害を思い起こすと、河田氏の警告は千代田区だけに向けられたものではないと、改めて実感させられる講演会だった。

2019年 10月02日 11時05分