神戸市職員の証言から生まれた防災カードゲーム
1995年1月に発生した阪神・淡路大震災。震災の記憶を語り継ぎ、防災対策に役立てる文部科学省の「大都市大震災軽減化特別プロジェクト」の一環として、当時さまざまな対応にあたった100人を超える神戸市の職員へのインタビューが行われた。この研究プロジェクトに参加していた慶應義塾大学商学部の吉川肇子教授は、その膨大な証言の中に頻繁に登場する「あること」が気になったという。
「震災当時の対応が、はたしてよかったのかどうか悩んでいる。自分の判断が正しかったのか、今も迷っている。震災から数年たっても何が正解かわからない…。そのように、震災当時の判断や行動を疑問に思ったり、後悔したりする証言が数多くありました」
阪神・淡路大震災の厳しい状況の中で、神戸市の職員が迫られた難しい判断や直面したジレンマなどを多くの人で共有することは、今後の防災に役立つのではないかと考えた吉川教授。
「ゲームにすれば、楽しみながらも、災害に直面したときの判断やジレンマについて自然に考えることになり、災害や防災に対する認識や理解が無理なく深まるのでは」。こうした考えのもと、プロジェクトに参加していた他のメンバーと共に、神戸市の職員の証言を素材にした防災ゲームをつくることにした。約1年間の開発期間を経て、2004年7月に発表されたのが災害対応カードゲーム・クロスロードの「神戸編・一般編」だった。
専門家と一般市民が同じ土俵で議論する意味
クロスロードの「神戸編・一般編」には、「人数分用意できない緊急食料をそれでも配るか」「学校教育の早期再開を犠牲にしても学校用地に仮設住宅を建てるか」といった、食料や物資の配布、指示や命令、治療の優先順位をつけるトリアージなどの分野で、神戸市の職員が実際に遭遇した難しい判断やジレンマをもとに作成された30の設問が用意されている。
5人1組(あるいは7人1組)の参加者は、1つの設問についてYES/NOのどちらかのカードを選び、場に伏せる。一斉にカードを開き、多数派になったほうが「青い座布団」を獲得。チーム内でYESもしくはNOを選んだ理由を1人1人説明し、話し合ったら、次の設問に移る…というのが基本ルールだ。
吉川教授は、ゲーム形式にしたもうひとつの理由に、参加者同士が議論し、お互いの意見を理解できることを挙げている。防災や災害の知識や情報は、通常は専門家から一方通行で提供されることが多く、ふつうの市民は受け身の立場だ。しかし、クロスロードでは、市の職員や消防関係者などの専門家と一般の市民が同じ土俵の上で意見を交わすことができる。それは専門家にとっても有益だと吉川教授は言う。
「たとえば、『災害の現場で、重傷の両親と心肺停止の子どもがいた場合に、両親から搬送・治療するか』というトリアージに関する設問があったとします。専門家はトリアージの原則を知っていますから、早く処置すれば救える可能性が高い両親から搬送すること(YES)を選択します。しかし、『自分が親の立場なら、たとえ亡くなっていたとしても、子どもを先に運んでほしい』と、NOを選択する一般参加者がいたりするわけです。そういった意見は専門家にとっては想定外で、クロスロードの場以外ではおそらく知り得ないものでしょう」
市民の側からも、「震災時に市職員などがとった対応の理由がよくわかった」といった声が上がっているそうだ。
自分の意見を言いやすくする工夫や仕掛けとは
意見を交わし、考えを深めることが重要となるクロスロードには、自分の意見を言いやすくする工夫もされている。ゲームの最初に「YES/NO」を選ぶようにしたのも、そのひとつだ。
「そもそも判断に迷うことが設問になっていますから、"さあ、どうしましょう"と自由に意見を述べてもらおうとしても、なかなか意見が出ないと思います。YES、NOを最初にはっきりさせると、嫌でも自分の意見を明らかにせざるを得ませんよね」と、吉川教授は説明している。
クロスロードでは多数派に「青の座布団」が与えられるが、1人だけ異なる意見を選ぶと「金の座布団」が与えられるというルールもある。これもまた、自分の意見を言いやすくする仕掛けだ。
「『金の座布団が欲しいから、あえて少数派意見を選びました』と、ルールを言い訳にできるので、少数意見も言いやすくなります」
こうした仕掛けやルールのおかげで、クロスロードの参加者は、防災や災害対応などに潜んでいる課題や問題点を察知する能力や、立場の違う人を理解する想像力といったものが養われることになる。
予想をはるかに超えて、全国に広がるクロスロード
クロスロードが開発された当初は、「防災や災害対応といった、生死に関することをゲームにするなんて」と抵抗感を口にする人もいた。防災関係者の中には、対応についてのルールがすでにあり、みんなが同じ答えを選ぶはずだから、ゲームにならないのではと言う人もいた。しかし、実際に試してみると設問の状況のとらえ方が人によって違うので、同じ答えや意見にはならなかった。やがてクロスロードは面白い、楽しいと言う声が上がり始め、吉川教授はその広がりに確信が持てたそうだ。
現在、クロスロードは、口コミなどを通じて吉川教授の予測を超えた広がりを見せ、「神戸編・一般編」に続いて、災害に対する事前の備えについて学べる「市民編」や、過去の水害に関する教訓からつくられた「高知編」、そのほか「消防編」「看護師編」「海上保安庁編」「災害ボランティア編」などのバージョンが次々と生まれている。クロスロード研究会も各地に誕生し、設問づくりのワークショップも開催されている。新しいバージョンの多くは、各地域や団体で制作したもので、自分たちもクロスロードをつくりたいという問合せも少なくないそうだ。クロスロードは今や、吉川教授たちの手から離れて広がり始めている。
想定外を減らすことがクロスロードの役割
「クロスロードは京都大学の生協で頒布されているので、やってみたいという人は問合せてみてください」と吉川教授。また、これからクロスロードの設問をつくりたいという人たちに向け、吉川教授は設問の質には気を配ってほしいとアドバイスする。
「たとえば、俳句は17文字を読むだけで、その情景が頭に浮かびます。クロスロードの設問も100字以内という原則の中で、状況がわかるものにすれば、より多くの人がゲームに参加できるものになります」
クロスロード「神戸編・一般編」の開発で、吉川教授たちが最も時間を費やしたのが、少ない文字数でも状況が伝わる設問づくりだったそうだ。
クロスロードをプレイする意味について、吉川教授は次のように説明する。
「たとえば、『人数分用意できない緊急食料をそれでも配るか』という設問で、自分は配ったほうがいいと答えたが、配らないほうがいいという人もいた。ゲームとしては多数派・少数派が決まったが、本当はどうなんだろう…とモヤモヤを抱えることになります。実はこれこそが重要です。モヤモヤを抱えて考え続けることで、だれかと話したくなったり、関連する新聞記事やニュースが気になったりして、視野が広がります。また、心理学では、人間は課題が解決してスッキリした瞬間に忘れてしまう現象が知られています。考えることをやめないことが大切です」
クロスロードは、災害時の「想定外」を少なくしていくために、平時に行える有効な訓練と言えるだろう。
※クロスロードまたはCROSSROADは登録商標です。
クロスロード:登録商標第4916923号
CROSSROAD:登録商標第4916924号
公開日:







