文化財クラスの建物が、国内最古のリノベーションマンションに

東京・文京区、東大赤門からほど近い住宅地に、文化財級の建物を再生した国内最古のリノベーションマンションがあるのをご存じだろうか。その名も「求道学舎(きゅうどうがくしゃ)」。

大正15年(1926年)に学生の寄宿舎として建てられた日本最初期の鉄筋コンクリート建造物を、平成の世に定期借地権のコーポラティブ方式を採用した集合住宅へと再生したものだ。アーチ状の窓が美しいフォルムを描き西洋館の佇まいを見せる外観。これを目にしたたけで、素人目にも近年の建造物とは異なる趣を感じさせる。

同潤会アパートの例をとっても分かるように、日本最初期の鉄筋コンクリート建造物が、今もなお実際に人々が住まう場として再生されている例はほとんど見られない。それだけ日本はスクラップ&ビルドの思想で建物を壊し、新たに作ることを進めてきた証だ。

この「求道学舎」も一時期は、すべて取り壊して新たなマンション建築を進める話も持ち上がったという。

今回は、「求道学舎」のオーナーであり、平成の改修を担当した建築家の近角真一氏に、「求道学舎」の魅力はもちろんのこと、取り壊しではなく再生を決断したその想いをうかがってきた。

「求道学舎」外観。建設はなんと大正15年。2004~2006年にリノベーションを行い、コーポラティブハウスに再生されたが外観は当時の面影を残す。創建時の設計は明治末~昭和初期を代表する建築家、武田五一氏が担当。アーチ型の開口部や階高の高さなど、ヨーロッパ標準のデザインが日本に持ち込まれた「求道学舎」外観。建設はなんと大正15年。2004~2006年にリノベーションを行い、コーポラティブハウスに再生されたが外観は当時の面影を残す。創建時の設計は明治末~昭和初期を代表する建築家、武田五一氏が担当。アーチ型の開口部や階高の高さなど、ヨーロッパ標準のデザインが日本に持ち込まれた

時代を担うエリートを輩出した「求道学舎」

改修前の建物内部の様子。老朽化が進み、雨漏りなどで漏水の跡もおびただしい。改修前の建物内部の様子。老朽化が進み、雨漏りなどで漏水の跡もおびただしい。

「求道学舎」は、日本の明治期~昭和初期に活躍した真宗大谷派の僧侶、近角常観氏が学生の寄宿舎として建設したものだ。常観氏は近角真一氏の祖父にあたる。「歎異抄(たんにしょう)」の存在を広く伝え、日本の近代化の精神的拠り所として多くの知識人や学生に慕われた人物。求道学舎に隣接する「求道会館」では連日常観氏の“説教”に人々が集まり、求道学舎では近隣の東大等の学生が共に暮らし次代を担うエリートを輩出した。常観の“人材育成”の拠点として存在したのが、この「求道会館」であり「求道学舎」であった。

「求道学舎は、一種のコミューンを形成していました。3階建ての建物の中には、6畳1間の部屋が30室以上並び、共有スペースには食堂や書庫。そこには常観をはじめ一族も暮らしていました。ひとつの大きな家族のようで、常観の子ども達も中学生になると寮室に入り、成人して結婚すると寮室を2つ連結して新居にするという具合です。私の叔父などは、幼いころ廊下を三輪車で走りながら寮室にいる学生に郵便物を配って遊んでいたそうです」(近角氏)

常観亡きあと、「求道学舎」は真一氏の叔母夫婦が舎監を務め、平成に入ってもなお、学生を受け入れ続けてきた。しかし、建物の老朽化は否めなかったという。

「改修直前の頃には雨漏りにより3階、2階は全滅、かろうじて1階に叔母とわずかな学生が残る状態。平成11年(1999年)に叔母が亡くなったこともあり、求道学舎の在り方を見直すことになったのです」(近角氏)

取り壊して、新築ワンルームマンション案も浮上

この時、求道学舎はすぐに今のような住居としての再生にたどり着いたわけではない。文化財の指定を受けて再興するか、はたまた一度更地に戻しての新築マンション建設案も浮上したという。

「一足先に、求道会館は東京都指定有形文化財の指定を受けて、復元事業を行っていました。これは私が施主となり見てきたのですが、文化財の指定を受けることは本来の姿を厳密に残すことが前提です。その結果、修復費用は補助されるものの、その後の光熱費やセキュリティなどの維持費用は自前で捻出しなければなりません。そのために求道学舎は収益が出る形で活用していかなければならなくなりました」(近角氏)

収益を考える以上、文京区という好立地では、取り壊して新築のワンルームマンションを建設する案が近角氏のもとには複数寄せられた。

「確かに新築マンションにしてしまえば、収益的には求道会館分も十二分にフォローできます。しかし祖父が心血を注いで人を育てた学生寮という場所に、同じようなワンルームマンションを収益性だけのために建ててしまったのでは、あまりにも祖父に申し訳ない。取り壊しはどうしても進めることができなかったのです」(近角氏)

そこで近角氏は、現在の建物、祖父常観の想いを残す形での再生を模索した。文化財指定を受けることも当然できたが、「求道会館」の経験から、指定を受けては改修の自由がまったくなくなり生活の場にはできないと判断。なんとか、建物を活かした運営ができないものかとマンションや団地の再生コンサルティングを手掛ける田村誠邦氏に相談をしたという。近角氏の想いに賛同した田村氏により、試行錯誤の結果「62年の定期借地権のコーポラティブハウス」(入居希望者が集まり組合を結成し、土地を借り受けつくる集合住宅。住戸は個別設計が行える)というモデルが導き出されたのだ。

東京都指定有形文化財「求道会館」外観(左上)。こちらも武田五一氏が、ヨーロッパ近代建築の新潮流を学びその日本への定着を試みた作品。仏教の教会堂という日本では珍しい空間(右上 右下)。「求道会館」「求道学舎」をつなぐ敷地内には大木のヒマラヤスギが建物を守るようにそびえる(右下)東京都指定有形文化財「求道会館」外観(左上)。こちらも武田五一氏が、ヨーロッパ近代建築の新潮流を学びその日本への定着を試みた作品。仏教の教会堂という日本では珍しい空間(右上 右下)。「求道会館」「求道学舎」をつなぐ敷地内には大木のヒマラヤスギが建物を守るようにそびえる(右下)

実はリノベーションに適していた歴史的建造物

平成16年(2004年)に10戸の集合住宅に生まれ変わった「求道学舎」だが、改修設計にあたった近角氏は、当初の設計の秀逸さに改めて驚いたという。

「求道学舎の設計は明治末~昭和初期を代表する建築家、武田五一氏にお願いしたものです。ヨーロッパ留学の後に求道会館・求道学舎を設計しているのですが、アールヌーボーなどの新たなデザインを日本に入れただけでなく、そこには“ストック”という概念がすでにあったのだと改修しながら私は思いました。

求道学舎の間取りはシンプルで一間半巾の6畳間が続くのですが、廊下も1間幅で広くとられていて、都市を構成するモジュールのように思えました。モジュールをつなげば、例えば学生が結婚したら家族用の住まいに変えられる、そんな想定があったのではないでしょうか。実際に常観一族は、そんな風にして部屋を広げてここに住んでいましたから。

階高も非常に高く、ヨーロッパ標準を持ち込んでいるので、水回りなどの配管の再レイアウトも非常に柔軟に行えました。大きなアーチ型の窓というデザイン性の面だけでなく、長く建物を残し活用していく意思を感じました」(近角氏)

結果、外観はほとんど変えることはなく、かつての求道会館の趣と歴史をつないだままの改修を実現。ただし、内庭が見える南側の窓は間口を広げた。実はこの南側の間口を広げる案を主張したのは、入居者の各住戸の設計を担当した設計家である妻の近角よう子氏。

「当初私は、南側の間口を広げることに反対していました。あくまでも外観は当初の求道会館を踏襲することにこだわったのです。ただ、妻が『外側は歴史を守るにしても、どこか自由な場所がなければ生活の場にはならない』と主張して私が負けました(笑)。結果的には非常に良かったですよね。窓一つで勉強するだけのかつての居室空間から、子育てにも適した家族が住む明るい空間になりましたから。歴史を守ることと生活を向上させる新しい工夫、その良いバランスがとれたのではないかと思っています」(近角氏)

通常の画一的な物件とは異なる「求道学舎」は人気となり、10戸は完売。内装を自由に設計できることから、天井までずらりと本棚をしつらえたり、余計な装飾は施さずに建設当時の雰囲気を楽しむなど、入居者は思い思いの住まいを実現したという。

「コーポラティブ方式は、新築ですと入居者の方々の意見が折り合わずに紛糾するとよく聞きます。しかし、中古物件でのコーポラティブは、外観の雰囲気をみて気にいった方が集まるので、非常に意見がまとまりやすいメリットを実感しました。既に販売から10年以上過ぎましたので、外壁の大規模修繕を行おうと思っているのですが、みなさん“新しくしすぎないでください”と一致した意見を言われます(笑)」

階高を活かした解放感のある部屋。水回りの変更も柔軟に行われている(左)。この建物の歴史を感じさせるキッチンむこうのアーチ型のが印象的(右上)階高を活かした解放感のある部屋。水回りの変更も柔軟に行われている(左)。この建物の歴史を感じさせるキッチンむこうのアーチ型のが印象的(右上)

日本初、200年マンションを目指して

株式会社集工舎建築都市デザイン研究所 代表取締役 近角真一氏(建築家)。近角常観氏の孫にあたり、「求道会館」「求道学舎」の改修施主を務めた株式会社集工舎建築都市デザイン研究所 代表取締役 近角真一氏(建築家)。近角常観氏の孫にあたり、「求道会館」「求道学舎」の改修施主を務めた

収益だけを考えたら、この地域でこの敷地を以てリノベーションというのは考えにくい話かもしれない。しかし近角氏は「残す選択をしたことは大きく、この場の歴史、祖父の想いを残せたこと、そして建築の持つ力を再確認できた」という。

「常観は、ある意味体制の殻を破る異端児でしたので、宗派からはあまり評価されていませんでした。でも生前は多くの弟子や知識人や学生たちがこの会館や学舎で説教を聞き、育っていきました。いつかまたカリスマ性を持った者が一族の中から出てくるまで、この場所を守りたいというのが一族の願いです。私自身は講話ができるわけではないので、何ができるだろうか、と逡巡したこともありました。ただ、私には建築は文化をつなぐものだという思いもあって、それをひとまず提示することができたのではないかと思っています」(近角氏)

「求道会館」では現在、セミナーなどのイベントが開催されているが、そこに足を運んだある研究者が、改修作業を経る中で発見された常観の書簡をもとに「近角常観研究」を進め、その功績を新たに世に問うことができたという。

また先日、全国47都道府県建築士会連合会のまちづくり大会が求道会館で行われ、そこでも空間の力を見せつけられたという。吹き抜けを介して2フロアに点在して各ブロックに分かれて協議が行われたわけだが、これまで何十回と行ってきた通常の会場にはない、ゆるやかにつながる空間。個別ながらも一目で見渡せる会場空間の力を集った人が実感したそうだ。

敷地には、新築ではありえない大木のヒマラヤスギが建造物を守り、少し時を巻き戻したような静寂さとかつての激動の時代を生きた人々の熱がどこかに残っているかの空間だ。求道学舎も建物ばかりではなく、こうした環境とあいまって独特の雰囲気を放っている。最後に近角氏に、借地契約が終わる2068年以降、どのようにこの場所が活用されてほしいか、その願いを聞いてみた。

「ここで、もう3人の赤ちゃんが生まれたんです。嬉しいですよね。次世代の人の重荷にはなってほしくない。でももう一度、次の62年がつながったら嬉しいですね。

もちろん、駆体のメンテナンスやコンクリートの打ち直しは必要です。しかし本来建物はそんなに簡単に取り壊す必要はなく、世代を超えて受け継いでいけるはずなのです。2068年にもう一度この建物の存続が決まったら、求道学舎は日本で初めての200年マンションになります」(近角氏)

2068年には、きっと私自身もこの世にはいないだろう。しかし、もしかしたらこの建物がその後もまだ生き続けているかもしれない。求道学舎を見上げながら、そんな風に思い馳せる。長くそこにたたずむ建物は、過去ばかりでなく未来をも垣間見せてくれたのだった。

2017年 03月27日 11時00分