由緒正しき高台に建つ、歴史的価値のある住宅

京都市山科区。天智天皇陵があることから名づけられた地下鉄東西線御陵(みささぎ)駅を降り、坂を登っていくと緑豊かなお屋敷街に出る。我が国最初の日本人による大土木事業として知られる琵琶湖疏水を背に建つのは、昭和4年に日本最初期のコンクリートブロックむき出しの建物として竣工したモダンな邸宅、栗原邸だ。

この建物は京都高等工芸学校(現・京都工芸繊維大学)校長だった鶴巻鶴一氏の邸宅として同校教授だった建築家・本野精吾氏が設計したもの。長らく失われたものと思われていたそうで、それが発見されたのは平成11年。現存しているだけでなく、当時、本野氏がデザインした家具その他も含め、竣工時の状態をよく保った状態であることも判明した。以降保存活動が開始され、平成17年からは一般公開が始まり、平成23年以降は京都工芸繊維大学大学院の教育プログラムとして屋上防水、室内の修復が少しずつ進められてきた。平成19年にはモダニズム建築の保存に関する国際組織DOCOMOMO Jpanから優れた日本のモダニズム建築のひとつとして選定され、平成26年には国の登録有形文化財にもなっているが、ひとつ、問題は今後、この建物をどう継承していくか。

当たり前だが住宅は人が住むために作られた建築物で、面白いことに人が住まなくなると劣化が加速する。栗原邸も4年ほど空き家になっていた時期、また、1階しか利用されていなかった時期などがあり、まだまだ今後も修復が必要だ。さらに未来に向けて使って残していくためには住み継いでくれる人についても考えていかなくてはならない。建物公開には保存活動の一環としてだけでなく、継承者を募る意味もあるというわけだ。5月に行われた一般公開で建物を見て来た。

建物2階中央にあるサンルーム。公開時には関西からだけでなく、首都圏その他日本全国から見学者が訪れていた建物2階中央にあるサンルーム。公開時には関西からだけでなく、首都圏その他日本全国から見学者が訪れていた

コンクリートブロックむき出しの建築が京都に生まれたワケ

建物外観で目を惹くのはコンクリートブロックむき出しの外壁とそこに半円状に突き出た玄関ポーチ。玄関ポーチの柱、軒、庇などもコンクリートがむき出しになった仕上げになっており、これは日本最初期のものであると同時に、世界的に見ても同様なのだとか。昨今ではよく見かけるコンクリート打ちっぱなしだが、この当時からすると超がつくぐらい斬新だったわけだ。ただ、その分、技術的にはまだ洗練されていなかったのだろう、コンクリートの表面はザラッとした素が見えるような状態である。

こうした先端を行く建物ができたには京都という風土がある、と、長らく保護活動に携わる京都工芸繊維大学デザイン・建築学系助教の笠原一人氏。「京都は学術の街であり、この建物を設計した本野精吾も、本野を招聘した武田五一も大学教授を務めながら建築家として活躍する、いわゆるプロフェッサー・アーキテクトでした。そのため、理論を突き詰め、伝統を打ち破る新しい理念や表現、技術が追及できました。お隣、大阪やその他の都市での建築家がビジネスとして建築を考えざるを得なかったのと比べると最先端の建築を考えられる環境にあったというわけです」。

建物そのものの作り方も面白い。建築技師中村鎮(なかむらまもる)氏によって開発されたコンクリートブロック(通称:鎮ブロック)を積み重ねて造る中村式鉄筋コンクリート建築というそうで、1920~1930年にかけて日本全国で119棟が建てられている。2種類のL字型ブロックを組み合わせながら積み、四隅など耐力が必要な部分には鉄筋コンクリートを入れるという作りで、関東大震災でも1棟も倒壊しなかったとか。耐震性能、耐火性能に優れた建築というわけだ。栗原邸では窓部分に鉄の雨戸が設置されてもいるので、火に対する強さは一般の木造住宅の比ではなかろう。

なんとも印象的な外観。敷地内には鬱蒼と樹木が生い茂り、この辺りの手入れも少しずつ行われているなんとも印象的な外観。敷地内には鬱蒼と樹木が生い茂り、この辺りの手入れも少しずつ行われている

今は途絶えたブロック利用の構法

上/1階の応接室。襖絵は最初の所有者鶴巻氏によるもの。家具類は建築家によるデザイン 下/これが鎮ブロック上/1階の応接室。襖絵は最初の所有者鶴巻氏によるもの。家具類は建築家によるデザイン 下/これが鎮ブロック

また、ブロックが型枠を兼ねているため素早く建設できる、壁用、床用のブロックが共用できる、未熟練工でもある程度の精度で壁が積めるなど、その他にも様々なメリットがあったそうだが、残念ながら、現在この構法は使われていない。そもそも、現在では強度の問題からブロックで建物を作ることはできないことになっている。安価に安全な建物が作れるはずの合理的な工法がなぜ、伝わらなかったのか。

「大きな空間や自由な形の空間が作れなかったからだと思います。そのため、栗原邸でも階段の吹き抜け部分や2階のサンルームなどは柱と梁で支えるラーメン構造の鉄筋コンクリート造が採用されています。小規模な個人住宅であれば十分使用に耐えるとは思いますが、他にどんどん新しい構法も登場しており、一度絶えてしまった構法を復活させるのは難しいことです」。

技術が絶えるという言葉はよく聞くが、たかだか80年ちょっと前の技術ですでに絶えてしまったものがあったとは。どれだけこの間の日本住宅の発展、変化が著しかったのかを物語るようである。そして、だからこそ、この住宅の希少性も分かるというものだ。

建て方だけではなく、デザインも魅力的だ。本野氏は合理的で機能性を重視するモダニズム建築の人で、モダニズムといえば装飾のない直線的構成を持つ立方体をイメージしがちだが、栗原邸には照明器具や階段などところどころに装飾的、表現的なデザインが散見される。統一されていないといえばそうも言えるのかもしれないが、全体としては堂々とした箱ながら、細部には可愛いところもある建物なのである。

建築家デザインの家具、照明なども魅力

上/ダイニングルーム。テーブルは伸長するタイプ。どの部屋にも暖炉があった 下/2階の寝室。ここの家具類も建築家デザイン上/ダイニングルーム。テーブルは伸長するタイプ。どの部屋にも暖炉があった 下/2階の寝室。ここの家具類も建築家デザイン

建物そのものに加え、ソファやダイニングセットなど建築家がデザインした家具類が残されているのも魅力。古いお屋敷では建築家がデザインした家具をしばしば見かけるが、別々に作られたものより、一人がデザインしているほうが全体がきれいにまとまるのは言うまでもない。今どきはそこまで依頼できないのかもしれないが、家を建てるならトータルに考えられた空間を作ってみたいものである。

家具類の中で特に印象に残ったのは3段階で畳めるというダイニングセット。フルに広げれば8人掛けだが、畳んでいくと6人掛けになり、4人掛けになり、最後は丸テーブルで2人ということらしい。伸長できるテーブルは今もあるものの、これだけ幅広く対応できる商品は少ない。現在はうかつに畳むと傷むのではないかという懸念から広げたままになっているそうだが、どのように作られていたかを解明、商品化していただきたい。

ちなみに本野氏は建築家でありながら、客船船内、船体、服飾、舞台デザイン、音楽、絵画、広告批評、エスペラント語の普及活動(!)などと幅広く活躍した人で、そのせいか、本業の建築は寡作。京都にある自邸、西陣織物館など13作品。その意味でも希少性のある建物というわけだ。

また、施主である鶴巻氏の手によるダイニングとリビング間のロウケツ染の襖絵も目を惹いた。鶴巻氏は途絶えていたロウケツ染を復興、その後の京都の染色産業に大きな貢献をした人。この建物が現在栗原邸となっているのは、鶴巻氏最晩年に広告業の草分けとして知られる大阪の萬年社の栗原伸氏に譲渡されたため。その後、進駐軍に接取された後、現在はまた栗原家の元に戻っている。

この建物を後世に残したい

上/広く、清潔な雰囲気のキッチン。作り付けの棚も多く、使いやすそう 下/屋上からは市街地を見下ろす上/広く、清潔な雰囲気のキッチン。作り付けの棚も多く、使いやすそう 下/屋上からは市街地を見下ろす

最後にちょっと不動産的な話を。栗原邸の敷地面積は約600坪(1,980m2)、建築面積は64坪(211.2m2)、延床面積は124坪(409m2)で3階建て。建物の背後にある林もすべてこの住宅の敷地で、ちょっとした公園くらいの広さがある。

玄関を入ったホールの正面に階段があり、部屋は左右に配されている。1階右手には客間、食堂があり、その奥には当初所有者鶴巻氏のアトリエ。左手には居間、キッチンに女中部屋があり、階段脇には小さな電話室も。バストイレも1階にある。

2階は左右に寝室が2室ずつあり、各室は10畳程度が中心でそれほど広くはない。階段正面、外から見て半円になった部分にはサンルームがある。また、3階には倉庫とルーフバルコニーがあり、そこからは市街地を眼下に見渡す眺望が広がる。居室はすべてが洋室である。

各室には暖炉が用意されているほか、スチーム暖房用のラジエーターも配されており、1階にはそのためのボイラー室も。部屋によってはベッド、収納家具、椅子などが置かれてもいる。

という住宅がさて、おいくらいするものだろうか。みんなの不動産という不動産業を営み、一般公開に立ち会っていた住宅遺産トラスト関西理事の末村巧氏に聞いてみた。

「これほどわかりやすく価値が確認できる建築を継承していけないなんて現代人として悔しい。そこで現在、依頼を受けて継承者を探す活動をしていますが、使い方には工夫が必要なので住宅遺産トラスト関西の知恵と経験をお貸ししながら、柔軟な姿勢で再び人が出入りする光景を目指します。金額はう~ん、交渉の余地が多々あるという前提で大台を目安にしていただけると。詳しくはお問合せください」。

どの大台にせよ、私はまず間違いなく無理だが、どこかにこの素晴らしい住宅を引き受け、大事に使ってくださる方はいないものだろうか。せっかく再発見され、ここまで改修されてきた建物である。ぜひとも後世に残して行きたいものである。

住宅遺産トラスト関西
http://hhtkansai.jp/

2016年 06月26日 11時00分