東京に隣接した都市として発展した神奈川の今

横浜市磯子区付近の様子。工場が建ち並ぶ沿岸地域と、内陸には大規模な団地が建ち並ぶ横浜市磯子区付近の様子。工場が建ち並ぶ沿岸地域と、内陸には大規模な団地が建ち並ぶ

企業本社や都市機能が一極集中し、言わずと知れた日本最大の都市・東京都に隣接する神奈川県には、明治時代から製造業の工場が立地し、第一次世界対戦や関東大震災の後、工場建設はさらに加速する。
工業地帯に隣接する市街地では、工場で働く人のための社宅建設や大規模住宅開発、娯楽施設などの整備も行われ、工業都市としての街づくりが行われる。港湾部の埋め立ての歴史は1900年頃から始まり、いわゆる根岸湾臨海工業地帯や川崎臨海工業地帯などを始めとする臨海部や内陸も含めると、約80(※神奈川県企業誘致促進協議会調べ)もの工業団地が存する産業都市として、発展を遂げてきた。工業地域の多く集まる横浜市では、高度経済成長期にあたる1955年~1970年の人口増加は約110万人。1997年~2012年の増加約35.8万人と比較すると、当時の勢いがわかるだろう。

しかし、工業地帯として栄えてきた神奈川県では、現在産業構造の変化が起こっているという。横浜市経済局の調査によると、横浜市の製造業事業所数は1990年の約6,200から2010年では約2,900へと減少している、また従業者数は1970年の約25万人をピークに2010年には約10万人へと、20年間でともに約半分まで減少している。
横浜市全体の人口は現在も緩やかな増加傾向にあるものの、横浜市高齢者保健福祉計画・介護保健事業計画の想定では2020年の374.7万人をピークに2055年には321万人へと約50万人もの減少が見込まれている。ただし、しばらくは増加傾向にあるとされる人口だがその内訳は高齢者割合の増加が予想されており、超高齢社会へと進んでいると言える。

変化する環境に対応し、活性化した社会として永続していくために都市はどのように対応していくべきなのだろうか?「産業構造の変化」「人口減少・超高齢化」という県の主な課題に対して解決策を模索するため、2014年12月2日に「サステナブル社会のまちづくり」国際シンポジュウム横浜会議が横浜交流会議実行委員会主催のもと、神奈川県住宅供給公社が主体となって開催された。

開発から50年経過した汐見台団地を歩いた

シンポジウムではまず、神奈川県の課題を背景に、約50年前に開発された団地の現在の様子を見学するプログラムが行われた。

横浜市磯子区の汐見台団地は、根岸湾岸の工業地帯に従事する労働者向けの住宅確保のため1959年に開発された、約75ヘクタールの敷地に企業の社宅と公社住宅が約3,500戸、計画人口約14,000人の大団地だ。「団地経営」の観点から、歩車分離設計の街並みや当時としては非常に珍しい電線の地中化などが施された。
しかしその後、建物の老朽化や企業社宅の撤退などにより街並みの保全や人口減少に課題を抱えていたという。しかし企業社宅が多くを占めていた汐見台団地では、社宅の分譲マンションへの建て替えが進められ、街が生まれ変わることができた。開発時に定められた街区ごとの戸数制限ルールにより、ゆとりと高級感のある大規模マンションが多く建設されている。

開発時に将来の社宅建て替えをどこまで想定していたかはわからないが、無電柱の街並みが与える開放感は新しくできたマンション販売時のPR要素になっており、当時から守られている戸数制限によって、ゆとりある街並みが保たれている。当時としては画期的であった「団地経営」という方針が、結果的に50年経っても廃れない団地のベースを作ったと言えるのではないだろうか。開発から数十年経った団地の老朽化・過疎化の問題が叫ばれる中、この団地はおそらくそれらとは全く雰囲気が異なる。しかしそれは、民間所有の土地の売却が比較的容易に進み、生まれ変わる事ができたのが大きな要因と言えそうだ。敷地と建物の全てを公社や行政が所有していた場合、莫大な費用と入居者の調整が発生する建替えは非常に困難だと想像できる。

(左上)建て替えられた大規模分譲マンション。手前のテニスコートは、団地共益費で管理される</br>(右上)賃貸住宅も外壁が塗り替えられ、清潔感が保たれている</br>(左下)歩車分離、無電柱でとても開放感を感じられる街並み</br>(右下)団地の中央広場には、店舗と郵便局などが設けられている。</br>植栽や噴水もあり、住民の憩いの場となっていた(左上)建て替えられた大規模分譲マンション。手前のテニスコートは、団地共益費で管理される
(右上)賃貸住宅も外壁が塗り替えられ、清潔感が保たれている
(左下)歩車分離、無電柱でとても開放感を感じられる街並み
(右下)団地の中央広場には、店舗と郵便局などが設けられている。
植栽や噴水もあり、住民の憩いの場となっていた

一般に公開されるドイツのまちづくり「IBAプロジェクト」

ドイツの都市計画家、H・シュトレープ氏ドイツの都市計画家、H・シュトレープ氏

神奈川県と同様に、産業の変化に伴う街の衰退から再生を成功させた国がある。ドイツだ。今回のシンポジュウムでは、その例としてドイツでの地域活性化の取り組みが紹介された。

様々な産業で発達したドイツだが、産業構造の変化による各地の過疎化、空洞化などの課題を抱えていた。そうした中で1900年代から「国際建築展覧会」を意味する「IBA(イーバ)」と呼ばれる活動が行われてきた。

IBAは個人・法人問わず誰でも参加できる公募の形式で、提案された地域活性化プロジェクトのアイデアとプロセスは一般に公開される。コンペによって選ばれたプロジェクトが補助金を獲得し、約10年をかけて計画を実行できるのだ。この形式で、移民問題や遊休地の利用などそれぞれの地域の課題解決を目的に、ドイツ各地では現在も複数のIBAプロジェクトが進行中だという。

IBAプロジェクトの代表的な例として、ノルトライン・ヴェストファーレン州のエムシャーパークプロジェクトが挙げられる。
1950年代後半に石炭産業の斜陽化によりスラム化が始まったエムシャーパークでは、土壌と水質の汚染が残ってしまう。ここにIBAプロジェクトを用いて、もともとある運河や歴史的遺産を活かしながら環境改善と企業誘致、住宅建設等で、経済の活性化、地域の再生を図った。結果、総面積800平方kmにおよぶプロジェクトにより地域は再生され、企業誘致に成功、州のGDPは旧東ドイツ全州に匹敵すると言われるほどとなった。

講演を行ったドイツの都市計画家、H・シュトレープ氏は「IBAの方法で行う参加者にとってのメリットは、プロジェクトに社会の関心が向けられる他、PRにもなり、支援を受ける事もできる点です。一方で政府は新しいアイデアを広く集められるというwin-winの関係を作ることができます」と説明した。

サステナブルな都市への構造変化を図る神奈川県

横浜市立大学教授 鈴木伸治氏。横浜市の埋め立ての移り変わりなどの写真も交えて説明が行われた横浜市立大学教授 鈴木伸治氏。横浜市の埋め立ての移り変わりなどの写真も交えて説明が行われた

産業構造の変化、人口減少の課題を抱える神奈川県。今回のシンポジュウムでは、対策を模索していくという趣旨だったが具体的にはどのような事が挙げられているのだろうか?

講演の中で横浜市立大学教授の鈴木伸治氏は、製造業からサービス業等への産業構造の変化について、みなとみらい地区や横浜駅周辺の再開発などの対応を行政が行ってきていると説明した上で、「しかしまだ部分的」と指摘した。
「かつての工業専用地域に、現在は研究者などのホワイトカラー層が働いています。しかし用途地域による規制のため、飲食店やコンビニ等、彼ら向けの商業施設の建設が難しい。これは変化に都市計画が追いついていないと言えます」(鈴木氏)

また、神奈川県住宅供給公社理事長の猪股篤雄氏は、自治会活動がよく機能している人的資源を活用し、GDP(国内総生産)の指標を団地に当てはめた「GDDP(Gross Danchi Domestic Product)」を見える化し、住民とともに団地内の生産と消費のバランスを取りながら解決策を模索するという方法を、県住宅供給公社のサステナブルプランとして説明した。
また、開発からの経過年数とともに少子高齢化が進み、消費減退、空店舗増加が起きやすい団地の活性化には「高齢者の健康維持と若年・子育て世代の流入が必須」とし、横浜市若葉台団地で行われている、親子向けのイベントなどを紹介した。

時代とともに移り変わる都市部と、それに伴って拡大された郊外住宅の二面性をもつ神奈川県ならではの課題に対し、ハード面だけでなく都市計画や人の動きを見直す、いわばソフト面での対策が必要だという点を、鈴木氏と猪股氏は共通して主張した。

政治・経済状況が変化し、少子高齢化が進むなか、2014年の日本創生会議の発表では、全国で896もの自治体が「消滅可能性都市」とされた。今回は神奈川県の例だが、こうした課題は全国の多くの自治体が抱えている。「サステナブル社会」というとエネルギーの話題が取り上げられがちだが、そこにいる人や社会の構造に応じた都市計画の観点で、街をどうするか、何が求められているか、という議論は、どの地域でも行われていくだろう。今回のシンポジュウムをふまえて今後神奈川県がどのように変容していくか、注目したい。

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