皆さんは「所沢」と聞いて何を思い浮かべるだろう。西武ライオンズの本拠地、西武園ゆうえんち、日本の航空発祥の地として知られる航空公園、あるいは狭山湖。なかでも強いのは、「西武グループの企業城下町」というイメージかもしれない。

しかし、現在の所沢はその印象だけでは語りきれないまちになりつつある。東所沢では「ところざわサクラタウン」が新たな文化発信拠点として存在感を高め、所沢駅周辺では商業機能と回遊性の向上が進行中。さらに住宅地の整備も重なり、所沢は“企業城下町のベッドタウン”から、“多くのコンテンツが揃った郊外都市”へと姿を変え始めている。

かつて鉄道とレジャーによって発展したこのまちは、いま何を強みに次の時代を目指しているのか──所沢の過去・現在をたどりながら、まちの将来価値がどのように変わっていくのかを読み解いてみたい。

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【過去】鉄道とレジャーが育てたまち、特定企業依存型の都市構造に

▲一日の乗降客数が10万人を超えるビッグターミナル「所沢」駅が開業したのは明治28(1895)年のこと。その後駅周辺の区画整理事業を経て、昭和25(1950)年に所沢町が市制を施行して「所沢市」が誕生し、昭和30(1955)年に三ヶ島村と柳瀬村が編入合併して現在の市域の基礎が形成された(所沢駅西口/筆者撮影)▲一日の乗降客数が10万人を超えるビッグターミナル「所沢」駅が開業したのは明治28(1895)年のこと。その後駅周辺の区画整理事業を経て、昭和25(1950)年に所沢町が市制を施行して「所沢市」が誕生し、昭和30(1955)年に三ヶ島村と柳瀬村が編入合併して現在の市域の基礎が形成された(所沢駅西口/筆者撮影)

まずは所沢の歴史を振り返ってみよう。発展の原点にあるのは、やはり鉄道だ。

所沢駅が開業したのは明治28(1895)年のこと。西武新宿線の前身である川越鉄道の停車場としてスタートし、その後は大正4(1915)年に西武池袋線の前身となる武蔵野鉄道も乗り入れた。こうして所沢は、埼玉南部の主要な交通結節点としての役割を担うようになる。

戦後、昭和21(1946)年に現在の「西武鉄道」が発足すると、、同社は鉄道事業だけでなく、沿線価値を高めるためのまちづくりにも力を注ぐようになった。狭山湖・多摩湖周辺には遊園地やスキー場、ゴルフ場などのレジャー施設が整備され、所沢は「暮らすまち」と「遊ぶまち」の両方の魅力を備えた郊外都市として発展していく。

高度経済成長期に入ると、所沢駅周辺では都心へ通勤する人々の住宅需要が拡大した。昭和30年代には日本住宅公団による新所沢団地の開発をきっかけに大規模な土地区画整理事業が進み、昭和50年代には所沢駅東口エリアの市街地整備も本格化。所沢は首都圏有数のベッドタウンへと成長していった。

▲西武ライオンズの本拠地球場であるベルーナドームは、昭和54(1979)年に「西武ライオンズ球場」として開業した(筆者撮影)▲西武ライオンズの本拠地球場であるベルーナドームは、昭和54(1979)年に「西武ライオンズ球場」として開業した(筆者撮影)

住宅開発と並行して、西武グループは所沢の都市ブランド形成にも力を入れるようになる。そのきっかけとなったのは、昭和53(1978)年の「西武ライオンズ(旧クラウンライター・ライオンズ)」の買収だ。

翌年には本拠地を福岡から所沢へ移し、米軍キャンプ跡地を活用した西武ライオンズ球場(現ベルーナドーム)が開業。「所沢=西武ライオンズの本拠地」というイメージは全国区の認知度で定着した。

さらに昭和61(1986)年には、西武鉄道の本社機能が池袋から所沢へ移転した。沿線の中心都市に本社を置くことで、地域の求心力を高めようとする狙いがあったとされる。こうして所沢は、鉄道を軸に“西武グループの事業拡大”の恩恵を受けながら成長を続けた。

しかし、目覚ましい発展の一方で、地域経済が特定企業の投資判断に大きく左右されやすい都市構造が出来上がっていた。この「企業城下町」としての強みと脆さの両面が、のちに所沢の転換点へとつながっていく。

バブル崩壊後に訪れた危機、西武グループ再編で動揺が広がった2000年代

▲特急を使えば「池袋」へ約20分、「西武新宿」へ約30分。このアクセス力の高さがベッドタウンとしての急成長につながった所沢。写真の駅東口は、バブル初期の昭和61(1986)年に土地区画整理事業が完了し、新たに開設された▲特急を使えば「池袋」へ約20分、「西武新宿」へ約30分。このアクセス力の高さがベッドタウンとしての急成長につながった所沢。写真の駅東口は、バブル初期の昭和61(1986)年に土地区画整理事業が完了し、新たに開設された

平成に入ると、所沢を取り巻く環境は少しずつ変わり始める。バブル崩壊後、西武グループは積極的な不動産投資やリゾート開発によって膨らんだ有利子負債の圧縮を迫られ、経営環境が悪化。さらに平成16(2004)年には西武鉄道の有価証券報告書の虚偽記載問題が発覚し、上場廃止に追い込まれた。その結果、創業家の退陣とグループ再編が進み、“企業城下町・所沢”でも雇用不安などの大きな動揺が広がった。

ただ、この時期の所沢が直面していた課題は、西武グループの経営問題だけではない。高度経済成長期から続いてきた「レジャー併設の郊外型住宅地」という都市のあり方そのものが、時代の転換点を迎えていたのだ。

「西武園ゆうえんち」をはじめとする既存施設では老朽化が進み、集客力は徐々に低下。一方、東京近郊では「武蔵小杉」駅前の大規模再開発や、「つくばエクスプレス」開業を契機とした沿線開発など、大型商業機能を併せ持つ新しいタイプの郊外型住宅地が次々に登場していた。

かつて首都圏有数のベッドタウンとして人気を集めた所沢も、都市間競争が激化するなかで相対的に存在感を弱めていく。所沢駅周辺の地価は長く下落基調が続き、かつての成功モデルだけではまちの将来像を描きにくい時代に入っていた。

こうして停滞期を経験した後、所沢は再生に動き始める。その手法として選んだのは、単なる駅前再開発でも、単なる企業誘致でもなかった。

【現在】文化・エンターテインメントという新たな成長エンジンを獲得

▲西武グループのお膝元である「所沢」駅ではなく、JR武蔵野線の「東所沢」駅から徒歩約10分の場所に誕生した「ところざわサクラタウン」。もともとは旧所沢浄化センターがあった場所だが、公募型プロポーザルによってKADOKAWAへ約3.7ヘクタールの敷地が売却された(筆者撮影)▲西武グループのお膝元である「所沢」駅ではなく、JR武蔵野線の「東所沢」駅から徒歩約10分の場所に誕生した「ところざわサクラタウン」。もともとは旧所沢浄化センターがあった場所だが、公募型プロポーザルによってKADOKAWAへ約3.7ヘクタールの敷地が売却された(筆者撮影)

大きな転機となったのは、平成28(2016)年に始動した「COOL JAPAN FOREST構想」だ。

東所沢エリアにあった旧所沢浄化センター跡地の活用に向けて、所沢市は公募を実施。事業者としてKADOKAWAが選定され、共同プロジェクトによって新たなまちづくりがスタートした。

この構想の特徴は、単なる企業誘致ではなく、所沢のイメージそのものを更新しようとした点にある。

「みどり・文化・産業が調和したまち」というコンセプトのもと、文化・商業施設、教育機能、コンテンツ産業の集積を目指すことで、これまで「鉄道とレジャー」を軸に発展してきた所沢が「文化・エンターテインメントコンテンツ」という新たな成長エンジンを獲得することになった。

同プロジェクトの象徴として令和2(2020)年に誕生した「ところざわサクラタウン」には、KADOKAWAの旗艦オフィス「KADOKAWA 所沢キャンパス」に加え、図書館・美術館・博物館を融合した「角川武蔵野ミュージアム」やイベントスペース、本に囲まれたホテル「IN THE LIBRARY」、地元食材を生かした「角川食堂」などがオープン。

アニメやゲーム関連のイベントを積極的に開催することで、コスプレ文化との親和性が生まれ、これまで所沢に馴染みが薄かった若者層を惹きつける「日本最大級のポップカルチャー発信拠点」が完成した。

▲西武グループのお膝元である「所沢」駅ではなく、JR武蔵野線の「東所沢」駅から徒歩約10分の場所に誕生した「ところざわサクラタウン」。もともとは旧所沢浄化センターがあった場所だが、公募型プロポーザルによってKADOKAWAへ約3.7ヘクタールの敷地が売却された(筆者撮影)▲ところざわさくらタウンのシンボルとなっているのが、隈研吾氏が手掛けた「角川武蔵野ミュージアム」。ポップカルチャーイベントが定期開催されているほか、非日常的な撮影スポットも充実していることから、近年は“コスプレの聖地”として若者の人気を集めている。この日も多くのコスプレイヤーとカメラマンが広場に集まっていた(筆者撮影)

乗り換え駅から消費滞在型の楽しい駅へ、新たな“所沢ブランド”の確立

▲所沢駅の中央改札を出ると「グランエミオ所沢」2階に直結。2018年の第1期、2020年の第2期増床開業を経て、アパレル、雑貨、カフェなど120を超える専門店でのショッピングを駅直結で楽しめるようになった。なお、グランエミオは西武鉄道と住友商事の共同開発による商業施設ブランドだ(筆者撮影)▲所沢駅の中央改札を出ると「グランエミオ所沢」2階に直結。2018年の第1期、2020年の第2期増床開業を経て、アパレル、雑貨、カフェなど120を超える専門店でのショッピングを駅直結で楽しめるようになった。なお、グランエミオは西武鉄道と住友商事の共同開発による商業施設ブランドだ(筆者撮影)
▲西武鉄道の旧車両工場跡地を活用して誕生した「エミテラス所沢」。1階にはテラス付きのフードホールや人工芝の公園も併設されており、ファミリー人気が高い▲西武鉄道の旧車両工場跡地を活用して誕生した「エミテラス所沢」。1階にはテラス付きのフードホールや人工芝の公園も併設されており、ファミリー人気が高い

まちの変化は「東所沢」周辺だけで起こったわけではない。ビッグターミナル「所沢」駅周辺では、西武グループが中心となって都市機能の再整備を進めていた。

平成30(2018)年には、所沢駅東口に「グランエミオ所沢」が開業。駅構内の改良工事に伴って新改札や東西自由通路も整備され、駅ナカの回遊性や商業利便性が大きく向上した。駅直結で買い物や食事を済ませやすくなった点は、“まちの暮らしやすさ”の面でも評価を高めることになる。

さらに、令和3(2021)年には「西武園ゆうえんち」が大規模リニューアルを実施。老朽化を逆手に取り、あえて“昭和レトロ”を前面に押し出す戦略へ転換したことで、Z世代が“わざわざ所沢を訪れたくなるきっかけづくり”につながった。

そして令和6(2024)年になると、所沢駅西口に大型商業施設「エミテラス所沢」が開業。西武鉄道の旧車両工場跡地を活用したこのプロジェクトは、「所沢駅西口土地区画整理事業」の中核を担う存在となり、映画館やフードホール、公園施設が新設されたことで、所沢駅は“乗り換えるための駅”から“楽しく過ごせる滞在型の駅”へと機能を広げた。

▲西武鉄道の旧車両工場跡地を活用して誕生した「エミテラス所沢」。1階にはテラス付きのフードホールや人工芝の公園も併設されており、ファミリー人気が高い▲「エミテラス所沢」は所沢駅東口から徒歩約4分の場所にあるが、東口から西武所沢S.C.を経由してペデストリアンデッキでスムーズにアクセスできるため、駅ソト移動のハードルは感じない。館内には所沢市民待望の映画館「T・ジョイ エミテラス所沢」がオープンし連日盛況となっている(筆者撮影)

現在の所沢でもうひとつ注目したいのが、所沢駅東口から徒歩約10分のエリアで進む「北秋津・上安松土地区画整理事業」だ。

野村不動産を事業協力者とする官民連携のまちづくりにより、約40年の調整期間を経て、約27ヘクタールの広域整備が遂に本格始動。令和6(2024)年には、商業・住宅・公園が一体となったまちづくりプロジェクト「ToKoKoRo TOWN」の一環として、大型商業施設「SOCOLA所沢」がオープンした。さらに戸建て街区や大規模マンションが整備されることで、所沢駅東口の居住環境は着実にアップデートしている。

これはただの山林を切り開く宅地開発とは異なり「所沢駅徒歩圏の暮らしの価値を底上げする再編」と言って良いだろう。

▲西武鉄道の旧車両工場跡地を活用して誕生した「エミテラス所沢」。1階にはテラス付きのフードホールや人工芝の公園も併設されており、ファミリー人気が高い▲所沢駅東口から徒歩約10分、ToKoKoRo TOWNに誕生した大型商業施設「SOCOLA所沢」。近隣には総戸数120戸の戸建て街区や総戸数303戸の大規模マンションが誕生する予定であり、新たな賑わいの創出と共に「東口のエリア評価向上」をもたらしている

【未来】“オール所沢”での発信がエリア評価を押し上げるか?

「ところざわサクラタウン」が文化コンテンツの発信拠点なら、「所沢駅周辺」は商業と生活・交通利便の中枢拠点であり、「西武園ゆうえんち」はエンターテインメントの再生拠点を担う。これらは一見すると別々のプロジェクトのように感じるが、実は共通して根底にあるのは「所沢にわざわざ足を運びたくなる仕掛けづくり」だ。

では、それらの強力な仕掛けを得て、所沢はこれからどこへ向かっていくのか。今後のカギとなるのは“点在する魅力”をどうやって「面」として広げていくか?だろう。

「ところざわサクラタウン」「所沢駅周辺」「西武園ゆうえんち」は、それぞれが高い集客力を持つ拠点へと進化したが、現状は各拠点の魅力が個別に認知されており、所沢全体のエリア評価向上へつながっているとは言いがたい。

特に、筆者が今回取材して感じたのは地理的な課題だ。「東所沢」から「所沢」は約4km、さらに「所沢」から「西武園ゆうえんち」までは約6km離れており、その間を直結する鉄道交通網は無い。路線バスは運行しているものの、エリア全体を回遊しやすい環境が未整備状態なのだ。

そのため、今後は交通動線の工夫や官民・企業の垣根を越えた事業連携も含めて、各拠点の魅力を“オール所沢”として束ねて発信していくことが不可欠だろう。

▲ところざわサクラタウンの最寄り駅であるJR武蔵野線「東所沢」駅。所沢市は練馬区・清瀬市・新座市などの近隣自治体と連携しながら、都営地下鉄大江戸線(都市高速鉄道12号線)の東所沢方面への延伸促進を進めている。現時点ではあくまでも構想段階だが、実現すれば所沢からの都心アクセスがさらに強化され、まちの魅力を一段と高める可能性を秘めている(筆者撮影)▲ところざわサクラタウンの最寄り駅であるJR武蔵野線「東所沢」駅。所沢市は練馬区・清瀬市・新座市などの近隣自治体と連携しながら、都営地下鉄大江戸線(都市高速鉄道12号線)の東所沢方面への延伸促進を進めている。現時点ではあくまでも構想段階だが、実現すれば所沢からの都心アクセスがさらに強化され、まちの魅力を一段と高める可能性を秘めている(筆者撮影)

同時に興味深いのは、所沢の近年の進化がまだ広く認知されていない点だ。実際に訪れてみると、商業・文化・エンターテインメント・レジャー・居住環境・自然環境がバランスよく整い、「楽しく快適に暮らせるまち」へと変わったことを実感できるが、地価の推移をみると近隣都市に比べて落ち着いた水準にあり、まちの「本来の実力」に対して「市場評価」がまだ追いついていない印象を受ける。ただし、この点は将来へののびしろを備えた“所沢のポテンシャル”として捉えることもできるだろう。

企業城下町として発展してきた所沢はいま、多くの魅力を備えたコンテンツ都市として“次世代の所沢ブランド”を構築する過程にある。この進化が「住みたくなるまち」としての価値向上につながっていくのか?未来の可能性に注目したい。