多くの映画の舞台となってきた街、サンフランシスコ
アメリカ西海岸、わずか11キロ四方ほどの坂の街サンフランシスコはこれまでにも多くの映画の舞台になってきた。古いところでは1958年の、ゴールデンゲートブリッジが印象的だったヒッチコックの名作『めまい』に始まり、スティーブ・マックイーン(ブリット/1986年)やクリント・イーストウッド(ダーティー・ハリー/1972年)扮する刑事たちは急坂を走り、チェイスし、同じ坂をアントマン&ワスプ(2018年)も駆け抜けた。アクションからロマンス、ミステリーその他さまざまなドラマの舞台となってきたサンフランシスコに新たな映画が誕生した。アメリカでは2019年に公開された『ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ』である。
この映画の舞台は変わりゆくサンフランシスコと、そこに残されたビクトリアンハウスと呼ばれる住宅群。背景には全米一の家賃の高さがある。コロナ禍で2019年8月に比べるとだいぶ下がってはいるが、それでもアメリカの賃貸情報サイト「Zumper」が発表した2020年8月時点の全米で家賃が高い街トップ10でサンフランシスコは堂々のトップ。1BRの賃料中央値は3,200ドルである。
2020年8月30日のアメリカドルの為替レートは105.34円だったので105円として計算すると33万6,000円。1BRは日本でいえば寝室が1室の、1LDKに相当する間取りで、専有面積は50m2前後から70m2超までと物件次第。六本木や赤坂など都心部のタワーマンションでは見ない賃料ではないが、一般的でないことは確か。
1,000ドル以下はバス、トイレ、キッチン共同のワンルーム
全米で家賃が高い10エリアのランキング。下は市内で950ドルで借りられる部屋Zumper National Rent Report: August 2020より
https://www.zumper.com/blog/zumper-national-rent-report-august-2020/
ちなみに「Zumper」で最も安い部屋を探そうと500ドル以上で検索してみたところ、最安値は795ドル(8万3,475円)。広さが分からないので、賃料、広さともに分かる部屋を探したところ、出てきたのは950ドル(9万9,750円)、11.16m2のワンルームである。どうやら市内で1,000ドル以下で探すと、室内には洗面のみでトイレ、バスルーム、キッチンは共有という、日本のシェアハウスのような住宅になるようだ。この高さに住宅に住めず、車やヨットなどで暮らす人もいると聞くが、それも分からないではない賃料である。
コロナの影響を受け、多少安くはなっている(検索していると刻一刻と賃料が変わる!)が、それでもまだまだ賃料水準が高いのはサンフランシスコ周辺にGAFA(Google、Apple、Facebook、Amazon)をはじめとする名だたるIT企業が集積していることが要因といわれる。狭く、坂の多いサンフランシスコは住宅を増やそうにも地形的に難しく、さらに建物の高さその他を厳しく制限する規制もある。それなのに住みたい人が多いとなれば、家賃は高くなるわけである。
そのため、映画の主人公であるジミーとモントが暮らしているのは中心部からはかなり離れた場所らしい。なかなか来ないバスを諦め、スケボーで坂を下って中心部にやってきた2人が見に行くのが舞台となるビクトリアンハウスである。
築百数十年の木造住宅、ビクトリアンハウス
現在ではサンフランシスコの観光の要素ともなっているビクトリアンハウスはビクトリア女王がイギリスを統治していた時代に建てられた木造住宅のこと。女王の統治は1837年から1901年だが、サンフランシスコのビクトリアンハウスはそれより多少ずれており、1850~1910年頃までを幅広く指すようだ。
また、ビクトリア女王の時代に建てられた住宅を指すため、様式はイタリアネートスタイル、スティックスタイル、クイーン・アン・スタイルなどいろいろ。いずれもカラフルに塗られており、「Painted Ladies」(化粧した女性たち)という異名もある。一部、市に寄贈された建物もあるが、大半は現役で使われているというから、住宅の寿命が短い日本からすると驚くべき長寿のレディたちである。過去の映画では1993年に公開され、ロビン・ウィリアムズの女装が話題になった「ミセス・ダウト」の舞台がビクトリアンハウスのひとつ。現存しており、まちの建築ツアーの目玉となっていると聞く。
ジミーたちが訪れたビクトリアンハウスには夫婦の居住者がいる。だが、ジミーは彼らが家の手入れをしないことを不満に思っている。「12年も住んでいるのになぜ、手入れをしない」。不満の余り、ジミーは勝手に外壁に塗装を施し、夫婦に嫌がられたりするのだが、そんなある日、2人は住宅から家財道具が運ばれていくのを目撃する。
事情を聞きに不動産会社を訪れた2人は居住者の夫婦が相続のトラブルで退居せざるを得なくなったことを知る。チャンス!とばかりに2人は家に忍び込み、リフォームを始めることにする。叔母に預けてあった家具を運び込み、模様替えまでしてしまう。
祖父の建てた家を大事にしたい
勝手にこんなことをして良いのかとはらはらしながら映画は進むのだが、その一方で家の美しさはどきどきもの。柔らかい光を放つ照明器具、落ち着いた色合いのステンドグラス、手の込んだ寄木の床、飴色に光る彫刻のある階段の手すり、本棚にはディケンズ、プルースト。アルコーブにはオルガンもあった。時間を経た建物ならではの雰囲気が何とも言えず、住宅が好きな人であれば細部に見とれるはず。この家だから舞台となったのである。ジミーがこの家に惹かれるのは当然とも思うだろう。
だが、ジミーがこの家に惹かれるのはその美しさからだけではない。この家は彼の祖父が建てた家なのだ。運び込んだ家具は以前この家で使っていたものなのだ。
家の手入れ中、ジミーはバルコニーの上から通りかかった建築見学ツアーのガイドの、1800年代に建てられた家という言葉を否定、「この家は1946年にサンフランシスコ最初の黒人だったおじいちゃんが建てた家なんだ」と説明する。ガイドはそんなはずはないという表情をするが、ジミーは意に介さない。誰が何を言おうと、自分がこの家が好きだし、今は他人のものになってはいるが、自分たちのかつての家なのだ。
2人は大好きな家に旧友を招待、楽しい時間を過ごすが、その後、事態は急変する。旧友が喧嘩相手に殺され、空き家に置いた家具は外に搬出されてしまう。勝手に入り込む人間がいることに気づいた不動産会社の仕業である。そして、ジミーは久しぶりの人と出会い、モントは旧友の死を題材にした芝居を執筆し、と物語はさらに進んでいく。
変わっていく街で変わらないものを探す
これ以上はネタバレになるのでやめておくが、変わっていく街で変わらないものを求める気持ちは洋の東西を問わないと思ったことを付け加えておきたい。長く愛されてきたビクトリアンハウスに寄せるジミーの切ない気持ちは変貌し続ける東京に暮らす私たちにも通ずるものがあるような気がする。
日本では10月9日に公開予定の同映画は、オバマ元米大統領が選んだ2019年のベストムービーであり、サンダンス映画祭では監督賞、審査員特別賞をダブル受賞、ロサンゼルス映画批評家協会賞ニュージェネレーション賞受賞、その他数々の映画賞を受賞、ノミネートされるなどしており、話題になっている。家だけでなく、映像の美しさも含め、一見の価値ありである。
最後に「Zumper」でビクトリアンハウスが借りられないか、探してみた結果を。見つけたのはサンフランシスコの中心部に近い場所にある66m2ほどの1ベッドルームで賃料は3,000ドル。31万5,000円である。
ただし、映画での居住者夫婦は1棟丸ごとを使っていたが、この物件は1棟を5戸に分けて貸し出されている。最近では分割して多少でも安く貸せるようにするやり方が多いのだとか。1棟を借りるとしたらいくらになるのだろうと思いながら、家賃高騰の功罪を考えた。経済を考えると家賃が低迷するのは問題だが、住む人にとっては上がり過ぎるのもつらい。妥当な線はあるものだろうか。悩ましいことである。
ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ
http://phantom-film.com/lastblackman-movie/
Zumper National Rent Report: August 2020
https://www.zumper.com/blog/zumper-national-rent-report-august-2020/
The Victorian Alliance of San Francisco
https://www.victorianalliance.org/
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