国会議事堂にも使われた日華石で作られた2階建て団地

改修前の状態。ダストシュートもあった改修前の状態。ダストシュートもあった

兵庫県芦屋市宮塚町。東海道線芦屋駅から海に向かって数分歩いた住宅街の中に周囲に並ぶマンションとは全く異なる風景が現れる。石造2階建ての団地「旧宮塚町住宅」だ。

2017年までは市営住宅として使われていたもので、1952(昭和27)年に建設された。2019年の時点で築67年。当時の団地自体が少なくなってきていることに加え、石造である。団地以外でも石造の、この古さの建物は珍しいと市は保存を決め、2018年9月からは利用方法を考えるワークショップを開催、耐震補強を経て2019年2月からはオフィス、工房などとして貸し出すための募集が始まった。

使われている石は石川県小松市産の「日華石」。白山の火山灰が堆積して形成された凝灰岩で小松市観音下町でとれることから「観音下石(かながそいし。読めない!)」あるいは「大華石」と呼ばれることもある。黄色がかった褐色のぬくもりのある色目で、通気性が良く、湿気を帯びにくい、加工がしやすいなどの特徴を持つとか。敷地内に落ちていた破片を拾ってみたが、軽くてびっくりするほどだった。

大正初期から採石が始まり、大正から昭和にかけて日本全国の建物に広範に使われてきたそうで、私達がしばしばテレビなどで見かけている場所にも使われている。国会議事堂2階の廊下だ。1936(昭和11)年に完成した国会議事堂は全国各地から石を集めて作られており、内装だけでも40種類以上が使われている。日華石も100トン以上使われており、国会の廊下で政治家が記者に囲まれた映像の背景にあるのが日華石というわけである。

なぜ、石なのか。経緯は不詳

持ってみるととても軽い石だが、大谷石のような劣化は見られない持ってみるととても軽い石だが、大谷石のような劣化は見られない

そんなに遠目に見ていても分からないという人なら、目黒区立駒場公園にある旧前田家本邸洋館を訪ねてみるとどんな石かが分かる。前田家はかつての加賀藩、現在の石川県の殿さまであり、地元の石を邸宅に使ったのである。16代当主の利為(としなり)公爵が昭和初期に建てた洋館は国の重要文化財に指定されており、日華石は建物の外装、ベランダ、アーチなどに使われており、羽の生えた獅子の石像も。加工のしやすさを熟知した使い方である。

それ以外では千代田区紀尾井町にある、かつての旧李王家東京邸、その後にグランドプリンスホテル赤坂旧館となり、現在は東京ガーデンテラス紀尾井町内にある赤坂プリンス クラシックハウスや、大阪市中央区北浜にある旧大林組本社ビル、現ルポンドシェルビルなど。生産量の減った現在も、日本の石では暖色は珍しいと引き合いは少なくないのだとか。だが、文化財、それに並ぶような建物に多く使われている日華石がなぜ、団地に使われたのか。

残念ながら、経緯は全く分かっていない。市にも資料が残っていないのだ。当時はまだまだ住宅が足りず、短期間で大量に建てることが優先された時代である。そのため、団地は基本、コンクリートで建てられており、現在は空き地になっている隣地にかつて建っていた団地も普通にコンクリート造だった。

なぜ、この1棟だけが石で作られたのか。しかも、表面を丁寧に削り、1階と2階の間のコンクリートを使った部分には違和感がないよう、丁寧に石に見えるような加工が施されてもいる。その時代には珍しいほどの手間をかけた建物なのである。

ダイニングキッチン発祥すぐの間取り

残されていた図面。だが、これもまた詳細は不明残されていた図面。だが、これもまた詳細は不明

住戸は各階に4戸で計8戸。もともとの間取りは全戸36.5m2の2DKで、公営住宅標準設計52FC型という図面に基づいて建てられたものである。

公営住宅標準設計とは、戦後の住宅不足に対処するために国が国家事業として鉄筋コンクリート造の高層住宅の建設に乗り出すにあたり、どの地域でも均一な、標準化された間取りが必要として定めたもの。建築設計監理協会(後の日本建築家協会)を通じて多くの建築家が様々なプランを提案したが、その中で採択され、1951年の標準設計とされたのが51Cである。

このプランは東京大学の吉武泰水助教授が提案したもので、限られた空間でいかに食寝分離と就寝分離を実現するかが大きなテーマだった。そこで51Cでは12坪(約39.6m2)の中に食事ができる台所=ダイニングキッチンを作り、それがその後の公営団地の設計はもちろん、農村部などの住宅、さらには現在の住まいにまで引き継がれていく。日本の住宅史の中ではエポックメーキングな間取りだったのである。

建築史家の藤森照信氏は1990年の著書「昭和住宅物語―初期モダニズムからポストモダンまで23の住まいと建築家」でダイニングキッチンを備えた最初の住宅の例として51Cを取り上げ、「日本の建築計画学が日本の戦後住宅に与えた最初で最後でそして最大の贈り物」と書いている。藤森氏のみならず、社会学者上野千鶴子氏や建築家の山本理顕氏、塚本由晴氏なども51Cについて書いており、これ以降、ダイニングキッチンが普及したとされている。実際にはそれ以降の標準設計にDKのないプランもあることから、当時の人たちがそこまでDKを発見と思っていたかどうかは微妙だが、過去を振り返った視点からはそう捉えられているのである。

ちなみに51は1951年の意だが、Cはサイズの違いを意味する。最初の設計では16坪のA、14坪のBがあり、そのうちで、最も小さいCが採択されたのである。

南向きの明るいキッチンが印象的

上は居室側からダイニングキッチンを見たところ。換気扇などは後から付けられたもの。キッチン脇のドアの外にかつては風呂が増築されていた。下はキッチンの様子上は居室側からダイニングキッチンを見たところ。換気扇などは後から付けられたもの。キッチン脇のドアの外にかつては風呂が増築されていた。下はキッチンの様子

この流れからすると52FCは1952年の標準設計のうち、もっとも狭いタイプということになる。DK誕生の翌年に生まれた、DKを備えた最初期の住宅というわけだが、謎なのはFの意味。標準設計に関する論文をいくつか当たってみたが、52Cはあっても、52FCは見つけられず。公団時代を知る人に訪ねても「聞いたことがない」とのこと。ご存じの方があれば、教えていただきたいものである。

さて、宮塚町住宅では1階4戸のうち、もっとも奥まった4号室が竣工当時の姿をかなり残しており、それを見学させていただいた。北側にある玄関を開けると右手にトイレ、正面に小さな玄関ホールがあってその奥がダイニングキッチンである。キッチンは右側の壁沿いに設置されており、ダイニングスペースはその左手。勝手口もあり、南向きで明るいDKである。

キッチンはステンレスのシンクに人研ぎ(じんとぎ。人造石塗り研ぎ出し仕上げの略。セメントに大理石や蛇紋岩などの種石と顔料を練り混ぜて塗ったものを硬化後にグラインダーで研磨して表面を滑らかに仕上げたもの)の天板。収納もきちんと取られている。窓のあるキッチンは当時としては珍しかったはずだ。換気扇は後から設置されている。

和室2室はDKをL字型に囲むように配されており、見学時にはその部分の床が取り払われ、一段下がったコンクリート敷になっていた。今回募集された4戸のうち、3戸はこの形状に近い形で貸し出される予定だ。

ダイニングスペースに勝手口があるのを利用、かつては南側に風呂場が増築されていた。新たに入居者を募集するにあたり、風呂場は撤去され、今後、そこにウッドテラスが作られる予定。各住戸のウッドテラスの間は庭として使用可能で、畑としても使えそうだ。

創業、起業支援のため、安価な家賃設定も魅力

改修後。増築されていた風呂部分を減築、そこにウッドデッキを設置した。室内はシンプルな作りのまま改修後。増築されていた風呂部分を減築、そこにウッドデッキを設置した。室内はシンプルな作りのまま

今回募集されたのは1階の4戸。奥の3戸は前述した通り、1段高い木の床とコンクリート部分からなっており、その比率は住戸によって多少異なる。入居者として想定されているのは食品、革製品、ファッション小物や陶芸、染め物、彫刻やインテリア雑貨などに関わる職業のアトリエや地域のブランド力向上に寄与する事業など。住宅街の中に新しいものづくりの拠点を作ろうというのである。賃料は安価に設定されている。

一番公道側に近い住戸はDK部分も含めてスケルトンの広いワンルームになっており、カフェなどの一般に開かれた用途が想定されている。ウッドデッキや他住戸より広めの庭などを使って、他の入居者と地域を繋げ、賑わいを生む場となることが期待されているのだ。

2月から事前に内見の予約が始まったが、希望者が数多く殺到した。人気の要因は2つ。ひとつは地域でもひときわ目立つ建物であり、多くの人が気にしていたということ。もうひとつは創業、起業を支援する意味で家賃が安く設定されていたことだ。

募集を担当した神戸R不動産の西村周治氏によるとこの周辺の家賃は個人事業者である職人には借りにくい価格相場だそうだ。芦屋市は市の建物を使ってもらってスタートアップを応援したいという意図で募集を行っているとのこと。

契約は5年間の定期借家で、それで成功して巣立って行って欲しいというのが市の意図。その後、入居が決まったのは革製品(カバンなど)職人、革靴職人、ガラス工芸職人、カフェは老舗の紅茶専門店とのこと。それぞれの入居者に頑張って欲しいと思うと同時に、せっかくゆったりした敷地に建っているのである、その敷地を活かし、何かしら、楽しいイベントなども仕掛けて行って欲しいと思う。

2019年 06月23日 11時00分