東西にあった遊廓。東遊廓の跡に古い旅館が一軒

1930(昭和5)年に発行された「全国遊廓案内」(全国の遊廓専門のガイドブック)によれば広島市にはかつて2カ所の遊廓があったそうだ。成立が早かったのは1892(明治25)年に入船町にあった西遊廓で、もうひとつは1902(明治35)年に成立した東遊廓。後者は当時の下柳町、現在の中区銀山町、橋本町、薬研堀あたり。今も繁華街となっているエリアで、広島市の観光ガイドブックにも歓楽街と書かれているほど。当時は妓楼40軒ほどに200人を遥かに超す娼妓がいたそうだ。

もちろん、その時代の遊廓は1945(昭和20)年8月6日の原爆投下で消滅しており、現在残されているとしたら戦後のもの。実際、現在も賑わう歓楽街の外れ、駐車場も目立つ一画にある一楽旅館は戦後すぐに建てられたという。周囲では見かけなくなった和風の建物は窓や手すりに独特のデザインがあり、人目を引く。

角地の、細長い敷地に建つ一楽旅館は建て増し、建替えで今の形になった。元々は現在、ビルになっている部分と隣接する部分が戦後すぐに建てられ、1958年(昭和33年)の売春防止法完全施行までは多くの男女に利用されてきた。宿泊というより、逢引に使われていたのだろう。その隣に現在、玄関になっている部分が作られたのは1960年(昭和35)年。この時点では遊郭は消滅しており、一楽旅館は宿泊のための施設として作られたという。

左手の黄色っぽい外壁部分が1960年(昭和35)年築、その奥が戦後すぐ、さらに奥のビルは最初にあった旅館を建て直したもの。窓回りその他のデザインが目をひく左手の黄色っぽい外壁部分が1960年(昭和35)年築、その奥が戦後すぐ、さらに奥のビルは最初にあった旅館を建て直したもの。窓回りその他のデザインが目をひく

建物中央に鯉のいる池と吹き抜け

玄関を入ると目の前にロの字型の廊下に囲まれた池が。それを上から見下ろしたところ玄関を入ると目の前にロの字型の廊下に囲まれた池が。それを上から見下ろしたところ

とはいえ、どことなく色っぽい雰囲気があるのは歴史のせいか。玄関を入ると目前に広がるのはロの字型になった廊下に囲まれた池。上部は吹き抜けになっており、それほど広くない建物内にいるというのに妙に開放的である。ここに池があるのは、建物が建つ前は庭として使われており、そこにあった池を残したからだ。生計のため、建てざるを得ないが、そこに池があった記憶を残したい。その思いが建物の真ん中に池を作らせることになったのだろう。鯉が飼われているのはこの建物を建てた現オーナーの父の趣味。鯉が好きだったのである。

池にも驚かされるが、それ以上に驚くのは池と廊下との間にはガラス1枚も入っていないこと。廊下部分は言ってみれば外なのである。中庭を囲む柱、梁には敷居状の刻みがあるものの、記憶にある限り、戸が入っていたことはないと現オーナー。当然だが冬はとても寒いそうだ。一方、夏は風が入るので涼しく、「家は夏を旨とせよ」が実践された建物と言えそうだ。

入ってくるのは外気だけではない。簡易的な、開閉可能な屋根はあるものの、雨水も容易に吹きこむ作りのため、建設当初のままの2階の廊下は色が変わってしまっているほど。華奢な手すりは間違って落ちないかなどと不安をかきたてるが、今のところ(!)、落ちた人はいないそうだ。

部屋の名称と使用する木材が揃っていたり、いなかったり

客室は中庭を囲んで1階に3室、2階に5室。戦後すぐの建物部分には3室と大広間がある。ただ最近は宿泊客が少なく、利用しているのは主に2階の部屋だ。

客室は廊下に面して木製の扉があり、小さな踏み込みがあってさらにもう1枚の扉という作り。部屋には桃の間、桜の間、松の間、萩の間などと植物の名前が付けられており、桜の間の戸には桜の木があしらわれ、踏み込みには桜が描かれているが、萩やバラなど使う木がない部屋は種類が分からない木や竹が使われている。こだわっているのか、いないのか、微妙なところである。

部屋は4畳半が基本だが、場所によっては多少広かったり、押し入れがベッド状になっていたりと少しずつ違う。床の間の形も部屋それぞれ。また、1階、2階に1部屋ずつ、風呂付の部屋もあった。見せていただくと膝くらいの高さからの襖を開けるといきなり浴室、洗い場があるという不思議な作り。脱衣スペースがないので、部屋で脱いで、襖を開けて入浴ということなのだろうか。だとすると入浴後は濡れたままで畳の部屋に戻るということになるのか。謎である。ただ、底が抜けそう(!)とのことで現在は使われてはいない。

階段の手すり、窓、扉、様々な意匠が凝らされているが、微妙に統一されていないところも階段の手すり、窓、扉、様々な意匠が凝らされているが、微妙に統一されていないところも

老朽化に将来への不安も

細かいところにこだわりがあり、面白い建物ではあるのだが、老朽化は否めない。戦後すぐに建てられた部分の廊下は明らかに傾いており、部屋の砂壁はだいぶ薄汚れている。セキュリティにも問題がある。当初は部屋に鍵がなかったそうで、さすがにそれではまずいと現在は付いてはいるが、なんと南京錠。きちんとした施錠ができるようにするためにはドアを交換する必要があり、資金がなかったのだという。出かける時にはそれを使い、在室中は掛け金を使う。いずれも押し入る気になれば簡単に壊せるものだし、そもそも、廊下に面した窓からも入ろうと思えば入れる。

加えて冬の寒さ、隙間風もある。宿泊客が減っているのも当然だろう。周囲の同業者も2軒は廃業、1軒はホテルへと建て直したという。近いうちに屋根の修理を予定しているものの、この先はどうするかねえ。本業を持ちながら、宿泊者がある時だけ掃除をするというオーナーの呟きである。

建て直すとしたら、防火地域であるため、木造は不可。今の姿を維持するためにはそれなりの手を入れる必要があるが、オーナーはそれで料金が高くなったらお客さんに申し訳ないとも。立地が良いことから、ビジネスユースを中心に長期で滞在する若い常連さんなどもいるそうで、律儀な心配である。

それほど近くはなかろうか、いずれは相続がある。その時にどうなるか。普通の家庭の主婦が営むような素朴さは魅力ではあるが、将来を考えると不安でもある。泊まれる時に泊まり、見られる時に見に行っておきたいとしか、言葉が見つからない。

傾いて色落ちしている廊下や使われていない風呂、戦後すぐに建てられた部分の、剥げかけた壁など経年変化を感じる箇所多数傾いて色落ちしている廊下や使われていない風呂、戦後すぐに建てられた部分の、剥げかけた壁など経年変化を感じる箇所多数

2018年 05月27日 11時00分