すごかった八王子まつり

いやあ、すごかった、八王子まつり(8月4〜6日開催)。こんなに大がかりだとは思わなかった。今年は八王子市制100年ということで、特に盛大だったらしいが、19台もの山車が繰り出し、甲州街道に集まった山車総覧は圧巻だった。
また、芸者衆を乗せた「にわか山車」と呼ばれる小さな赤い車が街中を巡行する様は、とても幻想的で、「千と千尋の神隠し」みたいだ。浅草や神田ではなくても八王子にこんな古い歴史があるなんて、と私も驚いた。

だが、この祭、残念ながら、地元周辺の人以外、あまり知られていないのではないか。吉祥寺に住む私も初めて行ったのだが、実は集客も相当で、浴衣姿の若い世代も大量に集まっていた。しかも吉祥寺よりずっと客層が若い。もしまだ知らない読者がいたら、23区内からでも、他県からでも、ぜひ来年は行って欲しい。

八王子というと、近年人口も減少しており、大学も都心に戻ってしまうし、百貨店なども撤退が相次いだ、ということで、商業地としてはあまり良い噂は聞かなかった。同じ市内である高尾は、ミシュランの星付き観光地となり、外国人を含めた客が増えているが、その客が八王子駅は素通りしてしまうのが悲しいという地元の声も聞こえてきていた。だからまあ、正直、私としても八王子にそんなに期待して取材を始めたわけではない。

取材したいと思ったきっかけは八王子市中町(なかちょう)にある八王子の花街(かがい。「はなまち」とも読む)だ。取材に先立って情報を集めているうちに、花街で置屋「ゆき乃恵」(ゆきのえ)を経営するめぐみさん(写真)が、八王子の近年の街づくりに大きな貢献をしているらしい、しかも美人だ、というので、これは取材するしかないと考えたのだ。

壮観だった山車総覧壮観だった山車総覧

織物で栄えた街

八王子に花街があることは知っていた。花街の黒塀を復活する事業を進めるための「八王子 黒塀に親しむ会」が熱心に街づくりをされていることも、やっと近年新聞で知った。
しかし、八王子の花街が「東京六大花街」(新橋、赤坂、神楽坂、浅草、芳町(人形町)、向島)に次ぐ花街と言われるほど栄えていたとは知らなかった。三多摩では唯一残る花街である。

考えてみれば、八王子は江戸時代以来の絹の産地であり、明治以降は織物の街として栄えた。1878年の内国勧業博覧会には、八王子から40人が参加、3名に優秀賞が授与された。1886年には八王子織物組合が結成。90年の内国勧業博覧会では小川時太郎の出品した綾糸織が一等有功賞を受賞するなど、その技術力において八王子の織物は高い評価を得た。

八王子周辺で生産された生糸、それが織られた反物、着物、ハンカチーフなどが国内のみならず、横浜から海外に輸出され、外貨を稼いだ。1921年には八王子の織物生産は最高潮に達し、生活のモダン化に合わせて日本一のネクタイ産地となった。ユーミン(松任谷由実)が八王子の荒井呉服店の娘だということもファンなら知っているだろう。

こうして羽振りの良い機屋(はたや。織物業者)が増え、その経営者たちが夜ごと集まり、料亭で芸者を呼び、遊び、接待をした。それが八王子花街の発展の理由である。
大正時代には芸者数200を超え、1952年には料亭45軒、芸者215人だったというが、1960年代の高度経済成長期に、化学繊維が普及して絹織物の需要が減ったこと、また、機屋さんたちが、当時新しい観光地となった熱海や箱根で遊ぶことが増えた。それが八王子花街の衰退の理由だという。1997年には、料亭6軒、割烹料亭5軒、芸妓14名にまで減少した。

全盛期の八王子花街の置屋、待合など。
出所:久保有朋、岡崎篤行「花街建築に関する分布の変遷及びまちづくりのプロセス—八王子市中町を対象として−−」『日本建築学会退会学術講演梗概集』2014年9月
全盛期の八王子花街の置屋、待合など。 出所:久保有朋、岡崎篤行「花街建築に関する分布の変遷及びまちづくりのプロセス—八王子市中町を対象として−−」『日本建築学会退会学術講演梗概集』2014年9月

めぐみさん、奮闘する

「私が芸者になった1985年頃はまだよかったんですが、それからどんどん衰退していきました。おかあさん、おねえさんたちからは、昔はこうだった、ああだったと、景気が良かったころの話をたくさん聞かされました。でも、だったら、こんなことをしたらお客さんに来てもらえるんじゃないですか、こんなことはできませんか、と私は何度もしつこく提案してきたんです。」

めぐみさんのしつこさ、いや、熱心さ、情熱は、八王子に限らず有名らしい。
「それで、1999年に、芸者募集のポスターをつくらせてくれって頼んだんです。芸者をポスターで募集するなんて、未だかつて聞いたことがないと、あきれられたり、怒られたりしました。でも、私があんまり言うので、じゃあ、やってみればいいということになったんです。」

現在では電車の中のポスターでもインターネットでも全国各地で芸者の募集は行われている。その最初が八王子だったのだ。

「にわか山車も、昔あったのはみんな売ってしまったのか、もうなくて、昔の写真を見て、ああ、やりたいと思って、それで2005年の八王子まつりでやらせてもらいました。とはいっても最初は、ブルーシートを地面に敷いて、音響装置も小さなもので、しかも途中から雨が降ってきて、というようなことで。でもそれから、中町町会さんが中心となってお金を集めてくださって、今の朱塗りのにわか山車をつくってもらったんです。」

また、芸者にとっては踊りを披露する会がどうしても開きたいということで、祇園の「都をどり」、新橋の「東おどり」のように、八王子ではこれまで開かれたことのない興行として、2014 年には念願の「八王子をどり」を開いた。これは3年ごとに行われ、今年も開催、20年にも開催予定だ。

「あれがないからできない、これがないから無理なんて言っていたら、何にもできません。昔、見番(※注:けんばん)があったころは、中に檜の舞台があったというんですから。でも、高校野球を見ていても、雪国でグラウンドが使えない、設備もない、バッティングマシンも少ないなんていう高校でもしっかり甲子園に出てくるじゃないですか。」(※注:見番とは花街の業者の組合事務所のこと)

めぐみさんめぐみさん

これからの八王子は「和」を中心に

「これからの八王子は、やはり『和』を打ち出すべきだと思いますね。立川はずいぶんモダンになりましたが、八王子は、駅から遊歩道がありますので、ここにもっと『和』の要素を入れたい。鳥居をつくって、門前通りらしくね。特に用事がなくても、歩いていて楽しいレトロの街にしたいです。だって、今はどこの駅前もチェーン店ばっかりで、面白くないじゃないですか。せっかくお祭りや踊りに来て頂いても、街全体が『和』の雰囲気がないと、がっかりして帰っていかれて困りますから。『黒塀に親しむ会』さんとも協力させて頂きながら、やっていきたい。」
「和」だ「レトロ」だといいながら、めぐみさんの視線はあくまで未来志向だ。

「花街って外から見ても何だかわからない夜の世界、古い世界でしょう。そこが魅力でもあるのですが、でも、おもてなしの世界ですから、やはり清潔感もないといけません。花街は、歌、踊りだけでなく、建物、お部屋、お茶、お花、所作まで、生活全体を美しくする総合芸術じゃないかと思うんです。そういう街があるってことは素晴らしいことです。」

芸者衆を乗せた「にわか山車」が街中を巡行する様は幻想的芸者衆を乗せた「にわか山車」が街中を巡行する様は幻想的

全盛期の花街を復活させよう

八王子市商工会議所や住民は、1999年に「八王子黒塀に親しむ会」を結成し、花街文化の伝承とその情報を発信し、芸者衆は地元の行事に積極的に参加し、その技芸を披露しており、その芸の質も高いと評価を得ている。
2008年には、住民や商店主による中町地区まちづくり推進準備会が発足。2009年には、東京都に申請した「江戸・東京まちなみ情緒の回生事業」が日本橋と共に選定され、花街黒塀通りの石畳舗装・外壁の黒塀風塗装・街灯の整備などが行われた。
2010 年には中通り(見番前の東西道路)が石畳風に改修され、伝統と文化が薫るまちの再興に向けた気運がさらに高まっている。
現在は準備会から発展した「中町まちづくり協議会」が八王子市に認定され、駐車場のネットフェンスの黒塀化、竹灯篭による灯りのプロジェクト、まちづくり通信の発行など、地元主体のまちづくり活動を行っている。(中町商店会ホームページ参照)

2006年には「越中八尾おわら風の舞いin八王子」に八王子の芸者衆も参加。その後は独立した連として修業。17年9月17日にも「風の舞い」が行われるが、そのために6月、八王子芸者衆は八尾町に出向いて指導を受けているのだ。
「土地の芸能には土地の人々の暮らしや思いが深く染みついています。手先の伸ばし方、間の取り方・・・すべてに必然性と意味があります。それを理解する努力をした上で演じ、舞わせていただくことは、芸者衆としての責任だと思うのです」
芸者としての矜持(きょうじ)を示すと共に、すべての土地が、同じような店ばかりで同じような風景になってしまうことを嫌うめぐみさんの考えと通底する言葉だ。

募集ポスター以来、芸者衆も増えた。そこから新たに置屋になる人も3人生まれた。彼女たちは中町に柳を植えて、全盛期の花街をますます復活させようという勢いだ。

八王子まつりには多くの家族連れ、浴衣姿の若い女性などが集まった八王子まつりには多くの家族連れ、浴衣姿の若い女性などが集まった

2017年 09月26日 11時03分