城下町として栄えた大和郡山

大和郡山市役所 地域振興課 観光戦略室長の植田早祐美さんと、町屋物語館ガイドの佐藤良士さん大和郡山市役所 地域振興課 観光戦略室長の植田早祐美さんと、町屋物語館ガイドの佐藤良士さん

筒井順慶が築城した後、豊臣秀長が立派な城下町を整備した郡山城。
魚町、塩町、紺屋町などの町名が現代にも残る城下町、箱本(はこもと)十三町では、火の見櫓からの見張りといった防火や治安、伝馬の世話を当番制で運営していた。当番が持ち回った「御朱印箱」は、秀長からの特許状が収められたもので、「箱本」と染め抜いた小旗を立て、目印とした。

整備された城下町の風情は現代も残り、紺屋が染物を洗った水路は今も残っている。古い屋敷も散見され、たとえば創業400年の和菓子屋「菊屋」は大正時代の建物を残しており、豊臣秀長が秀吉に献上したと言われる「御城之口餅」が名物。奈良街道が通るなど古くから交通の要衝で、大正13年には近鉄の駅ができた。

繁栄する町には、自然と花街ができる。奈良県内には4カ所の遊郭があり、そのうち2カ所が大和郡山にあった。一つが東岡町に、もう一つは洞泉寺町にあり、幕末には特に賑わったという。

洞泉寺町にあった遊郭は6軒で、建物が現存するものが4軒ある。そのうち「旧川本邸」が耐震改修を終え、この春「町屋物語館」として公開されたので、大和郡山市役所地域振興課の植田早祐美さんと町屋物語館ガイドの佐藤良士さんにお話を聞いてきた。

旧遊郭ならではの間取りや建築

「町屋物語館」のネーミングは市長によるアイディアだという。「大和郡山市は、遡れば古事記を暗誦した稗田阿礼(ひえだのあれ)の出身地でもあるので、『物語』にフィーチャーしています。だから、他にある資料館も『箱本物語館』と名付けられているんですよ」と植田さん。

川本邸の本館と座敷棟が建てられたのは、大正13年。木造3階建てで、格子が特徴的な、重厚な外観だ。1階と2階は親子格子で、1階は3本子持ちの親子格子、2階は2本子持ち、3階は普通の格子と、階によって異なる意匠で変化を持たせている。

玄関を入ってすぐ左側は娼妓溜(しょうぎだまり)と呼ばれる部屋で、往来する男たちを、格子窓から遊女が呼び止めることもあっただろう。客のついた遊女は、この部屋の階段を使い、2階に上がったようだ。客はこの奥にある階段から2階に上がり、そこで遊女と出会う演出がされていた。

客間は3畳余りの小さな部屋がほとんどで、16室ある。1階には大広間があり、宴会場として使われていたらしい。3階には8畳の客座敷があり、上客用だったと考えられる。

夜の町屋物語館。格子窓が特徴的だ夜の町屋物語館。格子窓が特徴的だ

旧遊郭の再生

遊郭を閉業してから、下宿を運営していた時代や住居として使っていた時代もあったが、大和郡山市に所有を移し、その後しばらく空き家として埃をかぶっていた。
だから再生は、大掃除から始まったのだという。掃除をイベント化した大掃除大会を開いて、学生や近隣の人たちを巻き込みながら整備し、内部を見学できるまでになった。予約があればボランティアガイドが案内していたが、耐震精度が万全ではなかったため全面的な耐震工事を施したのだ。

耐震工事では本来の建具を残しながら、柱に補強のためのリングをつけたり、土壁の中に耐震材や柱を入れた。遊郭時代の間取り図は残っていなかったので、往時の姿に戻すために川本家の人たちに聞き取りをしたり、外部から有識者を招いた検討委員会で議論したりしたという。たとえば玄関の土間に床を作っていたのを元に戻した。これは、避難経路を確保するためもあるそうだ。また、下宿屋時代には取り外されていた娼妓溜の階段も、設置しなおされている。

3階建ての木造なので防災面の問題をクリアするのは大変だったというが、植田さんは、「本来、木造建築は震災に強く、阪神淡路大震災でもなんともなかったのですが、法的にクリアしようとすると大変でした。でももっと重要で、大きな問題は、地域の理解を得ることでした」と語る。

遊郭には、どうしても暗いイメージがつきまとう。地元には、遊郭跡は負の遺産であるとの意識もあり、「女性がここでどんな思いをしていたのかを考えれば、内部を見物させるのはいかがなものか」という意見もあったそうだ。
しかし、歴史も含めて語り継いでいくことも、建築として残していくのも重要なのでは、と議論を重ねた。まちのための使い方ができるので、いろいろ考える勉強の場になれば良いと、改修に踏み切ったという。

町屋物語館の間取り町屋物語館の間取り

貴重な遊郭建築の魅力

格の高い遊郭らしく、建物は贅沢に造られている。
たとえば大広間にも数々の工夫があり、障子の欄間があったり、天井の桟が面取りしてあったりして、建築関係者が見学に来ることも多い。また、遊郭ならではの意匠もある。たとえばハート型に似た猪目窓(いのめまど)は、猪の目をデザイン化したもので、魔除けだったとか。一部の一階の窓に鉄格子の跡があるのは、遊女たちが逃げないようためのものだろうか。常時見張りがついていたという話も残っているそうだ。客間ごとに神棚が設けられているのも、興味深い。

客間の数が客座敷を合わせて17あり、女たちはここで暮らしていたというから遊女の数は20人程度だろうか。台帳には、花代などのお品書きも残っている。

どの客室にも神棚がある(左上)、猪目窓には鉄格子がはめられている(右上)、娼妓溜にも階段があり、客とは別のルートで二階にあがっていたという(左下)、静御前を守った源九郎狐を祀る源九郎稲荷(右下)どの客室にも神棚がある(左上)、猪目窓には鉄格子がはめられている(右上)、娼妓溜にも階段があり、客とは別のルートで二階にあがっていたという(左下)、静御前を守った源九郎狐を祀る源九郎稲荷(右下)

遊女たちの思いが息づく

遊郭のはずれには、源義経と別れた後の静御前を守り従ったとされる源九郎狐をまつる源九郎稲荷があり、「静守大神」と書かれた扁額が残っている。静御前は白拍子、当事でいう高級遊女だから、彼女を守った狐は遊女の守り神として信仰されたのかもしれない。

今は貴重な建物をまちのために活用しようといろいろなイベントが行われる場所として再生された。

町屋物語館は休館日の月曜日と祝日の翌平日以外は常時公開しており、予約なしでも無料で入れるうえ、ガイドが内部を詳しく説明してくれる。2月24日から3月4日に城下町一帯で開催される「大和な雛まつり」では、中央にある大階段いっぱいに緋毛氈を敷いて雛人形を飾るし、別のイベントとして演劇や音楽会も企画されているそうだから、ぜひ立ち寄ってほしい。

大和な雛まつりでは、中央階段を雛壇に見立てて人形を飾る大和な雛まつりでは、中央階段を雛壇に見立てて人形を飾る

2018年 03月09日 11時05分