古来、神仏が宿る霊山として崇められた「信仰の山」

高尾山山頂から見る富士山高尾山山頂から見る富士山

今や年間300万人が訪れる都内屈指の国際観光地に成長した、高尾山。前回(「高尾山にミシュラン3ツ星を引き寄せたゴミ対策。「世界で愛される山」となった秘密とは」)は、ミシュラン3つ星を引き寄せた、高尾山のゴミ持ち帰り運動について紹介した。

だが、近年の高尾山の隆盛に対して、寺院が果たした役割についてはあまり知られていない。
そもそも高尾山とは、薬師信仰と飯縄信仰(※山岳信仰の飯縄大権現を崇める信仰)で栄えた霊山である。創建以来、高尾山薬王院はこの山を拠点として一大信仰圏を築いたが、時代の趨勢には逆らえず、参拝者の減少という問題に直面していた。これに歯止めをかけるべく、薬王院は過去20年にわたり、さまざまな振興策を打ち出してきた。後年、高尾山が都内有数のパワースポットとして注目を集めるようになったのも、こうした布石があってのことである。
では、薬王院のどのような”経営努力”が、高尾山を今日の隆盛に導いたのか。

寺伝によれば、高尾山の開山は天平16(744)年。古くから神仏が宿る山として崇められ、真言密教と修験道が渾然一体となった祈りの聖地として大いに隆盛をきわめた。
薬王院は護摩祈祷の霊験で知られ、後北条氏や徳川氏など、戦国武将や大名家の帰依も篤かった。江戸中期以降には、江戸庶民の間で高尾参りが流行し、関東一円から100を超える講中(※「講」という集団を作って寺社に参詣する人々の集まり)が高尾山を目指したという。

こうした高尾参りの伝統は、明治以降も脈々と受け継がれ、1967年、京王高尾線・高尾山口駅の開業を機に参拝者が急増。昭和40年代には参拝者の数がピークを迎えることとなる。

「高尾山はもともと、薬王院への参拝者が9割を占める“信仰の山”。かつては、100人規模の講や参拝団が、関東一円に何百とありました。そういう講中の人たちと、個人で参拝される信徒さんのお護摩祈祷によって、高尾山は成り立っていたんです」
大本山高尾山薬王院で広報を担当する尾形功さんは、こう語る。

「核家族化」と「国鉄民営化」で薬王院の参拝者が減少

しかし、経済成長と社会構造の変化にともなう信仰の退潮は、高尾山にも暗い影を落としつつあった。昭和50年代から減少傾向にあった薬王院の参拝者数は、バブルの狂騒が終わると、さらに減少の度合を強める。本堂や本社の前で手を合わせることもなく、薬王院を素通りして山頂を目指す人の姿が目立つようになった。

「参拝者が減った一番の理由は“核家族化”です。3世代同居が普通だった時代には、祖父母の真似をして、孫も手を合わせるのが自然の流れでした。ところが、高度経済成長やバブルを経て核家族化が進み、親元から独立した子供の家からは神棚や仏壇が消えた。世代を超えた信仰の継承が、核家族化によって途絶えてしまったのです」

だが、薬王院の参拝者が減った理由は、それだけではない。もう1つの引き金となったのが、1987年の「国鉄民営化」である。
国鉄時代は、高尾山に参拝する貸切の臨時列車が数多く運行され、その本数は多い年で年間37本にも上った。関東各地から高尾山を目指して、参拝者を満載した貸切列車が続々と集まってきたという。

当時、貸切列車の集客に大きく貢献していたのが、各駅の駅長だった。国鉄時代の駅は地域に密着しており、駅長はいわば“町の名士”。各駅に旅行代理店の資格を持つ社員もいて、貸切電車が運行されるたびに、地域の人々に呼びかけて集客や添乗を行うのが常だった。

「ところが、国鉄民営化でJRに代わった途端、駅が集客に協力してくれなくなった。駅長が複数の駅を兼任するようになって地域との関係が薄れ、団体窓口も『びゅう』に一本化されて、駅が動かなくなったんです。ツアーに参加したい人が、自分から窓口に来て申し込まないかぎり、貸切電車の席は埋まらない。今では貸切列車も、年に数本ある程度です」

核家族化による信仰の途絶と、国鉄民営化による参拝列車の縮小。その影響は、参拝者の減少、ひいては寺院経営を支えてきた護摩祈祷の減少となって表れた。こうした変化はあたかもボディブローのように、じわじわと薬王院の屋台骨を揺るがし始める。

(左上)大錫杖。音を鳴らせば、煩悩を取り去り智慧を得ることができるという。(右上)六根清浄石車(ろっこんしょうじょういしぐるま)。回転させると、眼・耳・鼻・舌・身・意の六根を清浄にすることができるという。(右下)願叶輪潜(ねがいかなうわくぐり)(左上)大錫杖。音を鳴らせば、煩悩を取り去り智慧を得ることができるという。(右上)六根清浄石車(ろっこんしょうじょういしぐるま)。回転させると、眼・耳・鼻・舌・身・意の六根を清浄にすることができるという。(右下)願叶輪潜(ねがいかなうわくぐり)

目指すは、脱・“縁切り山”。あの手この手で縁結びをPR

高尾山薬王院で広報を担当する、用度部部長・尾形功さん高尾山薬王院で広報を担当する、用度部部長・尾形功さん

薬王院にとって、頭痛の種は他にもあった。高尾山にまつわる“ある風評”に、関係者は神経を尖らせていた。
「我々が子供の頃は、『高尾山は縁切り山』、という言い伝えがありました。理由はわかりませんが、『男女の縁を切りたいなら高尾山に連れて行け』、と言われていた時代があったんです。今では考えられないことですが」

世の中には縁切りのご利益を大々的に謳った社寺もないわけではないが、薬王院は本来、病気平癒や火伏せ、諸願成就の霊験で知られる大本山。これ以上、“縁切り山”の風評が広まっては、若い世代をさらに遠ざけることになりかねない。
このまま手をこまねいていては、お寺はいずれ立ち行かなくなる――そんな危機感から、薬王院は1990年代以降、さまざまな新機軸を打ち出し始めた。

その1つが、「縁結び」にフォーカスした境内の“テーマパーク化”である。
薬王院は、1993年から1997年にかけて4つの堂宇を建立。縁切り山のイメージを払拭するべく、縁結びをテーマとした境内の整備に着手した。
真紅の愛染明王をまつった愛染堂を新たに作り、「赤い紐を結べば縁結びのご利益がある」とPR。やはり恋愛成就にご利益ありとされる、秘仏・歓喜天をまつった聖天堂も建立した。また、倶利伽羅堂では、赤い紐で五円玉を結べば諸縁吉祥が叶うとし、就職難にあえぐ若者に向けて、恋愛のみならず企業との縁結びもアピール。さらに、八大龍王堂には水場を設けて「ここで硬貨を洗えば金運がアップする」と謳い、参拝者の遊び心をくすぐった。

「紐を結んだり、石車を回したり、何か動作をするような作りにしたのは、本堂に行って手を合わせるだけではなく、楽しんでいただきたいと考えたからです。今風のデザインのお守りを品揃えしたりして、なんとか若い人に来ていただこうと試行錯誤を続けました」

「修験の山」としてのイメージを打ち出し、差別化を図る

もう1つは、修験の伝統を前面に打ち出したイメージ戦略である。
薬王院の修験道との関わりは、南北朝時代に京都・醍醐山から俊源大徳が入山したことに端を発する。俊源大徳は、修験道(※日本古来の山岳信仰と密教、道教などが習合して成立した実践的な宗教)と関わりの深い飯縄大権現を勧請し、本尊としてまつった。以来、薬王院は、修験者(山伏)が修行を行う修験道根本道場として名を馳せることとなる。
こうした伝統を踏まえて、薬王院は「修験の寺」としての側面を強調するため、山内に次々に天狗像を建立。山内の行事では、山伏装束で法螺貝を吹き鳴らすのが恒例となり、修験の祭りである柴燈護摩や火渡りも、より一層、大々的に行われるようになった。

「護摩祈祷も、昔は全員が僧衣で務めていたのですが、今は僧衣と山伏装束が半々です。高尾山は祈願だけのお寺ではない、もともとは山岳信仰から発展した、修験者がいる山だとアピールすることで、薬王院ならではの特色を鮮明に打ち出したのです」

現在、薬王院では、高尾山修験道の伝統にもとづくさまざまな修行が行われている。2007年には、修験者が高尾山から徒歩で富士山頂を目指す、昔ながらの富士登拝徒歩練行も復活。こうした修験の伝統回帰とイメージ戦略は、修行体験を求める新たな層を呼び込むこととなった。現在、薬王院では一般向けに1泊2日の峰中修行会を行っているが、近年は毎回100人余りの老若男女が集まるという。

さらに付け加えるならば、薬王院の広報方針の転換も、高尾山の隆盛に少なからぬ影響を及ぼした。
もともと薬王院は、過去の経緯から、大手新聞やNHK以外の取材を受けることには消極的だったという。だが、2002年頃から、民放テレビ局や雑誌の取材にも広く門戸を開放。マスコミでの露出が増えたことで、薬王院を訪れる人の数も急増し、高尾山の年間登山者数は200万人を突破した(東京都環境局調べ)。

若い世代のニーズに対応したご利益のPRと“テーマパーク化”、修験の伝統をクローズアップした差別化戦略、広報活動の強化――この3つの施策が相乗効果を発揮して、薬王院の境内は再び賑わいを取り戻した。高尾山が都内有数のパワースポットとして人気を博した背景には、このような薬王院の20年にわたる奮闘の歴史があったといっても過言ではない。

飯縄権現堂(御本社)の前に立つ、山伏姿の天狗像。古来、山伏は天狗と同一視されることが多かった飯縄権現堂(御本社)の前に立つ、山伏姿の天狗像。古来、山伏は天狗と同一視されることが多かった

精神性とエンタテインメント性の共存こそが、薬王院の魅力

琵琶滝での修行風景 提供/高尾山薬王院琵琶滝での修行風景 提供/高尾山薬王院

「都心に近い場所に、これほど多様性に富んだ自然がある」という点が評価され、2007年、高尾山はミシュランで3つ星を獲得。山麓には温泉施設やミュージアムもオープンし、高尾山は年間登山者数300万人を超える超人気スポットとなった。
だが、薬王院の台所事情は依然として苦しい。

「今は、ご朱印料やお賽銭はたしかに増えていますが、主な財源であるお護摩祈祷は、全盛期と比べるとかなり減っています。お護摩だけではお寺の経営が成り立たなくなっているので、近年はお札やお土産、精進料理にも力を入れています。そうでもしないかぎり、これだけの大本山は維持できませんから」

山内の大伽藍や職員の雇用を維持するためには、物販や飲食などの“副業”に力を入れざるを得ない。とはいえ、信仰の山としての一線だけは今も固く守られている。たとえば、山内の行場である琵琶滝や蛇滝だけは、一部の例外を除いて、マスコミの取材を断っているという。

この滝については、興味深い話がある。高尾山のミシュラン掲載に先立ち、覆面調査員と思しき外国人が薬王院を訪れた。そして、節分明けの厳寒期に滝行を体験した後、「琵琶滝をガイドブックに載せたい」と持ちかけたという。
だが、薬王院は、「真剣な思いで行をされる方に迷惑がかかる」と掲載を断った。時代のニーズには柔軟に対応しつつも、仏道修行の場を守ることにかけては妥協しない。成田山新勝寺、川崎大師平間寺と並ぶ真言宗智山派の関東3大本山の一つ、高尾山薬王院の気概を感じさせるエピソードである。

今、日本の伝統宗教においては、信仰の退潮が普遍的な問題となっている。手をこまねいていては、社寺の衰退は止めようもないが、過度な俗化や商業主義が進めば、聖地としての魅力は失われてしまうのも事実である。
高尾山薬王院の魅力は、山岳仏教の精神性と現代的なエンタテインメント性が共存している点にある。時代に呼応しつつも、厳しい修行の伝統を守りぬくというストイシズム。そのバランスの妙こそが、高尾山を他に並びなき山にした、もう1つの理由なのかもしれない。

2017年 05月03日 11時00分