神楽坂をより魅力的なまちにするために。2003年に「NPO法人 粋なまちづくり倶楽部」が発足

「NPO法人 粋なまちづくり倶楽部」のホームページ。様々な活動内容が紹介されている「NPO法人 粋なまちづくり倶楽部」のホームページ。様々な活動内容が紹介されている

JR、東京メトロ東西線、都営大江戸線が使えるなど足回りの良さ、お洒落で美味しい飲食店の充実、路地や石畳がある風情あるまち並みなどで都内屈指の人気スポットである神楽坂。神楽坂をより魅力あるまちにするために、新しい時代のまちづくりの在り方を考えると同時に様々な問題解決に取り組んでいる団体が「NPO法人 粋なまちづくり倶楽部」。設立は2003年5月。活動内容についてお話をうかがったのは、事務局長の西谷正さんである。

「1991年に発足した『神楽坂まちづくりの会』という任意団体があったのですが、様々な活動を行う中で対象とするべきまちの課題が、文化、歴史、コミュニティ、地域の課題解決など、全国的な都市中心市街地における普遍的なテーマと同じであることがはっきりしました。その問題に対して支援すべき具体的事業や方策が明確化してきたこと、さらに活動を継続的かつ実践的にするためには、特定非営利活動法人にすべきであると考える賛同者が多数となったことから、平成15年に『NPO法人 粋なまちづくり倶楽部』を立ち上げることになりました」

徳川家光の御成道として整備、繁栄した神楽坂

都内屈指の人気を誇るまち、神楽坂の兵庫横丁。「粋」という言葉が似合うまちでもある。その神楽坂をより魅力的なまちとして後世に残していきたいと活動するのが「粋なまちづくり倶楽部」だ都内屈指の人気を誇るまち、神楽坂の兵庫横丁。「粋」という言葉が似合うまちでもある。その神楽坂をより魅力的なまちとして後世に残していきたいと活動するのが「粋なまちづくり倶楽部」だ

活動内容などをお聞きする前に、まず神楽坂がどのような歴史を持つまちであるのかを西谷さんに教えていただいた。
「神楽坂には縄文時代から人が暮らしており、まちとして広がってきたのは1400年代ぐらいから。群馬の豪族、大胡氏が牛込に城をつくり移ってきたのが神楽坂のまちのはじまりと言われています。現在の光照寺がある場所が牛込城跡なのですが、その城下町として神楽坂のまちが広がり始めました」

その後江戸時代に大きく発展。神楽坂通りが整備されたのが3代将軍・徳川家光の時代。
「若狭の小浜藩主だった酒井忠勝(徳川家光から第4代将軍徳川家綱時代の老中・大老)の下屋敷が矢来町にあり、家光はその屋敷に100回以上通ったとされます。そのため将軍がお通りになる道(御成道)として神楽坂通りが造られました。また、神楽坂に行元寺(ぎょうがんじ)という大きなお寺があったのですが、その境内に岡場所などができたことから花街が発達したと言われています」

焼け野原から朝鮮特需で復興。その後の「周回遅れ」からの脱却を目指し、ヒューマンスケールのまちづくりを目指す

神楽坂の象徴のひとつである黒塀の美観を維持するために、塀を塗り直すワークショップを開催。昔ながらの風情ある街並みも住民の手で守られている神楽坂の象徴のひとつである黒塀の美観を維持するために、塀を塗り直すワークショップを開催。昔ながらの風情ある街並みも住民の手で守られている

江戸時代が終わり、明治・大正時代になると商人・町人のまちとして発達。大きな武家屋敷の敷地を分割したため、その敷地の間に境界となる道路が設けられ、これが路地となった。
「多くの店が一間幅。当時店の間口に合わせて税金がかけられていたようで、税金対策として間口が狭く、奥行きが長い店ができたのではないかと言われています」

大正9年の関東大震災では地盤の強さからほとんど被害を受けなかったため、東京の名だたる百貨店が支店を出すなどして賑わいを見せた。
「結構隆盛していた神楽坂ですが、昭和に入ると新宿、渋谷、池袋など大きなターミナル駅に集客を奪われ、少しずつ凋落が始まりました。さらに昭和20年の東京大空襲後の、4月12日と5月24日の2回の空襲で神楽坂は焼け野原となってしまったのです」

空襲でほぼ壊滅状態であったにも関わらず再開発など戦後復興事業は行われず、戦前の道路そのままにバラックでの店舗再開となった神楽坂。そのような中、朝鮮特需による好景気が訪れ、花柳界がいち早く復興。昭和30年代には元の賑わいを取り戻した。

しかし、昭和から平成へと変わる頃、花柳界や商店街が衰退。住民が都市整備をめぐる“周回遅れ”を実感し始めた頃に、新宿区により都市整備方針が出され、地域でのまちづくり活動が始まった。「昔の良さを活かした情緒のあるまちであって欲しい」「あまり変わらないで欲しい」という住民の希望を受け、現在は「伝統と現代がふれあう粋なまち~神楽坂~」を目指して、まちの良さ、個性は何かを見つめたヒューマンスケールのまちづくりが行われている。

「神楽坂の中で江戸時代から後に新しくできた道は大久保通りと牛込中央通りの2つぐらいしかありません。この2つを除いて基本的に全部江戸時代の道、武士が出て行った後の明治時代に区分けした道が残っているという状態です。平成6年には『まちづくり憲章』がつくられ、高層ビルやマンション建設の問題が発生する中、街並み景観をつくる『まちづくり協定』や『地区計画』を策定するなど、神楽坂の歴史や個性を守っていく活動が続けられています」

様々な活動を通してまちの魅力を高めると同時に、地域の課題解決に取り組む

「ゆかたでコンシェルジュ」のポスター。大勢の客で賑わう人気のイベントだ「ゆかたでコンシェルジュ」のポスター。大勢の客で賑わう人気のイベントだ

「NPO法人 粋なまちづくり倶楽部」の活動についてうかがった。その活動は大きく分けて 
●まちづくり住まいづくり塾の開催 ●観光・まちづくり活動 ●伝統芸能の活動 ●アーカイブスの活動 ●まちづくりの研究など、まち全体に向き合い、包括的かつ持続的にまちや地域の課題解決に取り組んでいる。

「楽しくまちづくりをしよう」との考えで活動しているのが、「まちづくりすまいづくり塾」。神楽坂に関わる方を講師に招き、色々な話を聞くというもので、原則毎月第一金曜日夜に開催。170回以上も続いている人気のイベントで、「神楽坂よもやま話シリーズ」「神楽坂匠シリーズ」「今あらためて! 神楽坂まちづくりシリーズ」などの興味深い話を誰でも参加して聞くことができる。

観光・まちづくり活動としては、毎年7月の神楽坂まつりのほおずき市に合わせて行われる「ゆかたでコンシェルジュ」が代表的。浴衣の着付けサービス、浴衣でのまち案内などが人気を博している。

「神楽坂まち舞台 大江戸めぐり」と称する、日本を代表する様々な伝統芸能を世代を超えて多くの方にわかりやすく楽しく紹介するイベントも好評だ(アーツカウンシル東京との共催)。
「神楽坂のまちの中にいくつかの場所をステージに見立てて伝統芸能の演奏会などを行います。3万8千人ほどの人が集まる非常に注目度の高いイベントで、まちと人が一体となった祭りとして注目されつつあります。スタンプラリーなども行い、踏破すると記念品がもらえるなど、伝統芸能と観光・まちづくり活動の一環として力を入れています」

伝統芸能の活動のひとつとして落語を開催。神楽坂には明治時代からいくつもの寄席や演芸場があった。昭和40年代からは毘沙門天で落語会が数々行われ、多くの実力派の噺家が神楽坂から育っていった。そのようなまちの伝統と庶民芸能の賑わいを受け継いでいる。
「落語『菊之丞の会』は古今亭菊之丞師匠を迎え年に3回開催しており、今年の4月に40回目を迎えます。毘沙門天の書院を借りて行っているのですが、100人ほど入る会場が毎回ほぼ満席という状態です」

その他、神楽坂の歴史などを紹介する書籍の発行や勉強会、まちの魅力を増している黒塀を塗るワークショップの開催、ワイン講座などを行う「神楽坂大学」の開講なども行って、地域活性化に結び付けている。

2017年 03月22日 11時00分